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お国なまりを大切に

過去2回分の記事を間を開けずに挙げたのは、実は今日の話題を昔から書きたかったのだけれど難しい問題を含むので
記事を書く前に「前提」を共通認識にしたかったからです

その話題とは

ズッカーマン

violinist.comの記事によると、
ピンカス・ズーカーマンの行為は、クラシック音楽における人種的・文化的ステレオタイプについて、ネット上で激しい論争を引き起こしました。

問題となったイベントは、「Starling-DeLay Symposium」が開催したバーチャル・マスタークラスです。

ズーカーマンは、入学前のニューヨーク生まれの一部アジア系の姉妹にコメントをしました。
シュポーアの「デュオ・コンチェルタンテ」を演奏した後、生徒たちに「もっと楽しんでください」と呼びかけました。

ズーカーマンは
「完璧すぎるくらい完璧な演奏だ。どれだけ完璧に弾くか、どれだけ一緒に弾くかを考えるのではなく、
もっとフレージングを考えるのです。もう少しビネガー......いや、ソイソースをかけてください」

"もっと歌うように、イタリアの序曲のように "と付け加えました。
"バイオリンは弦楽器ではなく、歌う楽器です。
弾き方に疑問があれば、歌うこともある。韓国では歌わないんだけどね」。

彼が詳しく説明した後、姉妹の一人が "でも私は韓国人じゃないわ "と言った。
ズーカーマンが彼女たちの出身地を尋ねると、彼女たちは「日本とのハーフです」と説明した。

続いて、「日本では歌も歌わないんですよ」と切り出した。
続けて、アジア人としてステレオタイプ化されている歌謡曲のボーカルスタイルを真似した。

その後、マスタークラスのQ&Aコーナーで、ズーカーマンは再び
「韓国では、彼らは歌わない。それは彼らのDNAにはない。"



ピンカス・ズーカーマン(ヘブライ語: פנחס צוקרמן‎, ラテン文字転写例: Pinchas Zukerman、1948年7月16日 - )は、イスラエルのテル・アヴィヴ生まれのヴァイオリン奏者



このWikiの紹介の通りスーカーマンはユダヤ系ポーランド人であり、ロマ「東欧州などで遊牧民として暮らしている人々、ジ○シーは差別用語なのでロマの人々の呼び方が適切」の人たちの伝統を継ぐ人なのかも知れません
(祖先や親戚に遊牧民が居られたと言う意味だけでなく、民族学上の系統が近しいと言う意味であっても)


さて、この話題が音楽界を揺らした当時、日本国内ではあまり騒がれなかったと記憶しています、私の耳に届かなかっただけかも知れませんが
その時期を過ぎて、改めて記事にするのです

私の考えでは
ズーカーマンと言うユダヤ系の1人のヴァイオリン教授としては、
自分の生徒さんに
「正確に弾こうとばかり囚われないで、もっと自由に歌って良いんだよ」と教えたのはごく当たり前の行為ですよ


一つだけ彼が犯した問題は「アジア人は・・・」と要らぬセリフを足して発言した事です

もし、日本人の先生が日本人の生徒に、あるいはドイツ人の先生がドイツ人の生徒に

「正確に弾こうとばかり囚われないで、もっと自由に歌って良いんだよ」

と、言ったのならば全く問題にもなっていないのです、演奏上や解釈のヒントを教えただけだからです

背の高い人に「背が高いねえ」
痩せている人に「スリムねえ」
これは差別と受け取られますか?

背の低い人に、ふくよかな人に・・・
受け取る人によっては悪口になるので気をつけるべきですね

背が高い低いは単なる身体的特徴なだけであって、言葉自体にトゲはありません
ふくよかな方を好む人も沢山いるのだから、特徴だけでは悪口にはならないはずですが
受け取る側が嫌だと思えば悪口になるので、避けるが賢明。と言うのが世の習いです



この手の人種問題で注意すべきは

「アジアのヴァイオリン奏者=機械的で正確だけど歌わない」

と、認識しているのは、他ならぬアジア人だから、痛い処を突かれたので怒りを感じるんです


また、少し前にフランス人サッカー選手が日本でホテルマンに差別発言をしたとして騒動になりましたが
植民地政策の後始末も終わっていないフランスでは同じアパートに何カ国もの家族が暮らすのは当然で
そこの子供達はいつも一緒にサッカー遊びをして「人種いじり」は日常なのです


我が家に来たフランス人のお嬢さんが
「サッカーの後アラブ人がシャワーに入ったらちっとも出てこない
おかしいと思って見に行くと、排水口の網の隙間から流されて行ってた、彼らは痩せっぽっちだから」

と言うのが定番の「いじり」だと教えてくれた
しかし、これは「お前のカーチャンでベソ」と同じでお互いにジャレ合っているだけで差別とは別次元だと言うが
長年単一人種に近い島国育ちの日本人からすると、ヒヤヒヤする関係性に見えます


国境が複雑に絡み合い、人種の坩堝にいる欧州人は差別や悪意の意図なく「民族小咄」をする人達なのでしょう
音楽界でもズーカーマンの様な発言はいくらでもあります
ホロヴィッツが
「女性とアジア人にピアノは弾けない」って言ってたらしいし、ともかく外に出るでないは別として彼らの思想的には
コモンなセンスと思っておいた方がこちらが一々傷つかなくて賢明です


問題なのはズーカーマンやR・マドリーに所属する世界的に立場のある人間が発言するのは、路地裏の子供の会話じゃないんだから大きな責任があるのに、その自覚のなさです






僕はねえ、思うんですよ

子供の頃からお寺に行けば日本古来の笙、笛で雅楽を聞いて、夏休みには盆踊りを聞いて育った我々が
この人達と同じ歌心を持っていると考える方が余程無理があるでしょう










ならば
日本人にしか出来ないクラシック演奏を目指せば良いんじゃないかと思います
それなら、ズーカーマンは逆立ちしたって出来んないんだから
もちろん目指すからにはそれでズーカーマン以上の世界的評価を得るしかないんですけれどね
だって、僕らは中島みゆきや八代亜紀で涙出来るじゃないですか、それこそ立派な民族的、音楽的特質ですよ

昨年のW杯でサッカー日本代表はその道に一筋の光を灯してくれました


もう何年も前になりますが
Wienのシュターツオーパーで小沢さんが「E・オネーギン」振ったのを聞きましたが、それはそれは素晴らしい演奏でした
大地に根を張った様ないわゆる「ロシア的」な演奏ではなかったかも知れませんが、繊細でリリカルな悲しみを湛えた見事な「E・オネーギン」でした




最後に
ロマの音楽で最も有名な曲の一つである「チャルダッシュ」を貼っておきます

こちらはハンガリーの有名なベラさんの演奏です
今日の3つの動画はわざと地域や年代の異なるものを集めました
人種や国といった単位を超えて受け継がれる血の伝統の様なものを感じて見るのも悪くないかなと


なお、「チャルダッシュ」は日本のヴァイオリン教室でも異常なほどの人気曲で多くの方が習っていますし
本当に多数の日本人ヴァイオリニストの演奏をyou tube上で見ることができます

ぜひ皆さんも下の動画を見た後に、「チャルダッシュ」で検索して邦人演奏家のものと聴き比べてみてください
私の意図と反して「悪い例」の様に思われると心外なのであえてリンクはしません


両方を聞いてから、もう一度ズーカーマン騒動の本質を考え直してみることもあながち無意味だとは思えませんが
如何でしょうか?

***繰り返しますが、あらゆる差別発言に対しては強く非難いたします***

同様に血の伝統が薄まりゆく事にも少し勿体なさを感じる今日この頃です











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「お国訛り」の魅力

博多の女の子に
「あんたの事、好いとーよ」

旭川の子には
「君のこと、なーんまら好き」

って言われたい
方言て良いですよねえ


その昔は、山や川に囲まれていた地方々々においてそれぞれ特徴的な生活習慣や文化が形成され、独自の発達を遂げていた事は想像に難くありません
もちろん「言語」も又その重要な文化の一つですから「方言」は混じらず、標準化されることもなく土地に深く根付いていました

時が下って

信玄が甲州街道を、家康が東海道を整備すれば時間的な距離は縮まり

メルセデスが自動車を作りライト兄弟がエアプレーンを飛ばすに至って
現代の羽田や成田では数分に1機が世界に向けて飛び立ち、東京発の東海道新幹線は5分毎に発車しています
私の地元の電車は未だ1時間に3本くらいですけれどね


確かに便利になって結構な事ですが、文化は混じり合い言葉が標準化されることも必定です
その上、ラジオ・テレビ・ネットの普及によって加速してますね

「お婆ちゃんの時代はそんな言い方してたけど、今の若い子はあんまり使わないね」って奴です

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旭川の子です



まあ、それでも世界中で英語だけが使われる事もなく、私たちは日本語を使っているしフランス人はフランス語を使い続けています


そこで、問題が起きますね
上述の通り、人や物は動きますし電子通信で遠隔のまま会話も出来ますけど、言葉の壁が残ったままですから
そんな私も「翻訳アプリ」の吐き出す怪しい英語やフランス語でもってe-bay内のやり取りしてますが、いつか激怒されるのでは無いかと冷や冷やしています


そしてもう一つ、大きな壁は歌曲やオペラを唄う歌手の母国語でない場合に感じるヒヤヒヤです

昔はアメリカ映画の中で米国育ちの日系の女優さんが和服を着て日本人の役をやる際のヒヤヒヤ感、ありましたよね
お綺麗なんですけれどね、なんかしっくりこないなあと日本人だからこそ分かる違和感です


********** * ***********

ちょっと、恥ずかしい話なんですが

お客さんが見えて、ドボルザークの「ドゥムキー・トリオ」をかけていました
Aさんが「誰の演奏ですか?」と聞かれたので「スーク・トリオ」です。と答えました

Bさんがこの曲のCDが欲しい、何が良いかと言われ
Aさんが「ボザール・トリオ」盤が有名です、と話されており

私の中で「ボザールか、持っていないなあ」等とのんびり考えていました

後日、なんと無しに普段聞いていないCDの棚を見ていたら、なんとボザール・トリオのドゥムキーがありました


お恥ずかしい話ですが

BEAUX ARTS TRIO を ビュー アーツ トリオと読んでいたので記憶に無かったのです

日本人は音節や単語毎に音を区切る癖がついています、前後の音を組み込んで流れる様に発音する意識がないから
読めないのです
でも、何人います?
予備知識なしに「ボザール」ってすぐに読める日本人

このCDは後日Bさんに進呈する事にしたのですが、なぜ「普段聞かない棚」にあったかは次回お話ししましょう

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こいつです

************ * ************



毎週金曜日の午後にNHK-FMで「オペラの時間」と言う番組がございますでしょう
時間が合う時は楽しみに聞いているのですが、ある日放送開始時間を過ぎてしまい番組の途中から聞き始め

なんの曲か分からずに10分ほど聞いていました、どこかで聞いた事がある様な、無いような・・・

少ししたら幕間になりナレーションが入って曲名を言われた時に衝撃が走りました
ビゼーのカルメンだったのです

前回の記事で書きました通り、カルメンなら全曲ほぼソラで覚えていますから「そんな筈はない!」と

その後、収録の情報がアナウンスされて、なるほど。と思ったことを告白します
名誉の為に名前は伏せますが、日本の歌劇団の演奏会の実況録音であり指揮者も主要歌手も日本の方々でした

今日の話の流れから、フランス語の発音が引っ掛かったのかと思われるかも知れませんが実はオケの伴奏、指揮者の
解釈で曲がわかりませんでした
本当に別の曲だと思って10分くらい聞いていたのです


音楽の表現・スタイルというのは
言葉と同等かより強烈に地域や文化の違いを表しているのではいかと常々考えています



それも含めて
言葉の発音だけでなく
ラヴェルやアーンのメロディー(歌曲のこと)やモンポーやグラナドスのスペイン歌曲において
クロアザやヴァラン、スペルビアやアンヘルスを聴くときのしっくり感は比類ない様に思うのです

長く留学をして、ネイティブの発音を身につけるだけでは届かない「何か」があるのでは・・・と?


つづく





















空より広く、海より深し

JAZZを聞いている方と話をすると、クラシックには簡単に手を出し難い。と考えている方が存外多い様に感じます

その理由の多くが「ジャンルや曲数が多過ぎて、どこから手をつけて良いか分からない」だそうだ(あくまで自分調べ)
まあ、クラシック・オンリーの自分からしても今からJAZZの大海に乗り出すには「ちと荷が重い」と同じ様に捉えている


しかし、上記の様に話してくださる方は、実はとても信用のおける人だ
ご自身がどれ程の時間と経済と労力と想いをJAZZにぶつけて来たかを身に染みているからこそ

これまでJAZZに燃やして来た情熱と同じだけの熱量をこの歳になって改めてクラシックに傾けることが出来るのか?
やり切った人間だけが知る「自分史の重み」を分かっているからこそ「荷が重い」のだ。 全くご同慶の至りである



対して
「俺は自分が気に入った物はなんでも聴くよ。音楽にジャンルは関係ないでしょ、共通言語だよ」
と、おっしゃる方とは音楽を語り合う事は無いだろうなあ。と反射的に思ってしまう

・・・本当は分かりませんよ、私みたいな半端者は子供扱いする様な強者かも知れませんが
まあ、そんな達人は目があった途端に分かりますよね、言葉を交わさなくとも

剣客同士の斬り合いなら間合いに入っただけで勝敗が分かるそうですから、世の中万事同じ事でしょう




もしも・・・途方もない仮定の話ですが
貴方がラジオ番組を作る人で、毎週・・そうですね火曜の23:00から30分間の番組を持って

「青少年のためのクラシック音楽入門」と銘打つレギュラー番組の編成を担当したとしましょう
四半期のクールで12週分あります  (人気があれば継続もありwww)

貴方はどんな曲を選曲しますか?

提供はユニバーサルミュージック・ジャパンですからクラシックのCDの販売促進に貢献しないといけません



このお題は
これからクラシックを聴こうとしているオーディオ好きのお仲間にどんなCDを紹介するか?と、同じです
責任重大ですね
ドップリと漬け込む為には紹介する側の手腕が問われます


このブログを読んでいただいている方も、自身のプログラムを想像して放送回順にラインナップして見て下さい
私は何度もシミュレーションしますが、中々大変な作業です


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こちらは「管弦楽入門」です



さて今回の記事で、こんな事を言い出したのには「元ネタ」がありまして
さるオーディオ関係者の方のHPで「これからクラシックを聴きたい人へ」と言うページがあり、総数600曲になんなんとする長編で、まるで「レコード芸術誌 別冊 世紀の名曲決定版」の様な力作でした

一例を転記すると
シューベルト、フランツ(1797・1・31~1828・11・19)オーストリアの作曲家。

交響曲 第5番 変ロ長調。
交響曲 第8番 「未完成」 (7番と呼ぶ事もあります)
交響曲 第9番 ハ長調「ザ・グレート」(この曲も、7番、8番と呼ぶ事があります)
管弦楽曲 「ロザムンデ」 作品26
ピアノ五重奏曲 ハ長調 「ます」 
「軍隊行進曲」 作品51 (4手用のピアノ曲。全3曲の内、特に1番が有名で、オーケストラ編曲もされ、しばしば演奏されます)。
弦楽四重奏曲 第14番 ニ短調 「死と乙女」 ほか
歌曲:歌曲集に ●「美しい水車屋の娘」●「冬の旅」(5・菩提樹、11・春の夢、24・辻音楽師)●「白鳥の歌」(4・セレナード、12・海辺で、14・鳩の便り)
歌曲に ●「野ばら」●「魔王」●「さすらい人」●「死と乙女」●「音楽に寄す」●「ます」●「アヴェ・マリア」●「セレナード」(聞け、聞け、ひばりを)など


これを、初心者が聴きおうせるでしょうか?
私だって、何年も聴いてないのもあるし「ます」なんて最後まで通しで聴いた事は一度もないかもしれません

別項のブルックナーに至っては「交響曲 全曲」なんてのもあります   



こんな勧められ方をしたら、今の自分でもお腹一杯で消化不良になってしまいますね


お勧めする側は
まず、クラシックへの敷居がなぜ高いのかを知らなければいけません

時間が長い   これに尽きます

だから、「クラシック音楽入門」の番組は30分が良いんです

今日はここまでです
次回、ちょっとだけ私の番組を発表したいと思います


是非皆さんもプログラムを考えて見て下さいね








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「こだわり(拘り)」を誇りに思うなよ

私は「拘り」という言葉が毛虫より嫌いです、蛾よりも嫌いです


「拘り」には二つの読み方があるようで

一つは「こだわり」
気持ちが囚われていること、拘泥のさま

もう一つは「かかわり」
そんな事にいつまでも関わっていないで、早く仕事しなさい
と言うように、些細で意味のない事に関わり過ぎる様を表します


いずれにしても物事に執着しすぎることを戒める言葉であって、元々は否定的なニュアンスを持ちます(諸説あり)
オーディオマニアが肯定的に「一つの事を拘って突き詰めるねえ」などは本来の言葉の意味とは違っているようです





一般に「オイロダイン・スピーカー」と言われるが、世の中にそんな名前のスピーカーは存在せず「KL-L439(他バリエーションは多数あり)」といったコードで機種表記されている

オイロダインとはEURO(欧州)+ DYN(CGS単位系の力の単位。 1グラムの質量の物体に働いて、毎秒毎秒1センチメートルの加速度を生じさせる力の大きさ)を組み合わせた造語でKlangfilm社の展開する業務用音響システムの「シリーズ名」であってその中には当然アンプ、スピーカー、映写機など一連の機器が存在する




私が初めてKL-L439オイロダイン・スピーカー(あえてこの名を使います・真田幸村見たいな感じ)を購入した時に1950年代Klamgfilm社の資料を入手し、対となるKL-V401オイロダイン・アンプ(笑)を探して購いました


その当時
「アンプまで揃えるなんて聞いたことがない!拘っているねえ」と、いう方が何人か見えましたが
私には何御事かさっぱり理解できませんでした


自分としては、製造当時の資料によって「これらを組み合わせて使いなさいよ」と、メーカーが指定したアンプを探してきただけですから「自分の感情とか嗜好とか拘りの類は一切動員していないのです」

「ハイオクガソリン専用」のエンジンにハイオクガソリンを入れて使うのは「拘り」ではなく設計性能を担保し、故障を回避する為の当たり前の行為でしょう?

ハイオク仕様のエンジンに「レギュラーガソリン」や「軽油」を入れる者があればそいつの方が余程「自意識の強い拘りの人物」だけれど、言い換えれば「馬鹿者」です





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☆☆
この件ずっとブログに書きたかった・・それ程衝撃的なものでした

ある時、オーディオの歴が浅い若者でしょうかその人のブログを読んでいた時のことです

昨今のレコードブームに乗じて自分もプレーヤーを誂えた
今のところ付属のカートリッジで聞いているが、将来的には他のメーカーのカートリッジを買って使ってみたい

「DENONの〇〇のカートリッジを買ったら、まずXXのシェルリードに付け替えて音質向上させるぞ!」

一見、若者の意気込みや良し。って事なんですけど
文脈からみて、明らかに買ったら即交換して使う気満々なんですね

どうしてそうなっちゃたんだろうなあ
「お金を使う」ことがイコール「音質向上」とでも思っているのでしょうかねえ
そんなこと言っちゃ可愛そうだけれど、君にはまだシェルリードによる音の変化が音楽再生に対してプラスなのか否かは分からないよ

そりゃ音が変わることくらいは分かるでしょうけど、そんなものは小学生だって分かる

・・・と言うか
オリジナルの状態の音を聞かないとすると「音質が向上した」かどうか、どうやって判断すんだ!?
もしかしたらオリジナルのシェルリードの方が君の持っているレコードを再生するのに音楽的なアドヴァンテージがあるかも知れないじゃ無いか
その可能性を最初から放棄して・・・一体全体、何をしたいんだ!
雑誌に書いてある様な「オーディオするフリ」をしたいだけなのか?



ま、それはよしとして
その程度の些末な事がオーディオの醍醐味では無いのでね、正しく導いてくれる人が居ないことの悲哀を感じますね
高価なオーディオ部品を買うお金で未知のレコードを買う方が君の将来にとってどれほど有用で近道か分からない

ネットや雑誌やオフ会の仲間や、経済のみで繋がる販売店から何かを得ようとすると遠回りになります

「そんな事に関わってないで、自分自身の感性で以って音楽と向き合う時間を取りなさい」
そうすればいつか一廉のものを掴む事になりますよ



手を入れる事が悪いと言っているのでは無いのです
その前にできる事、やるべき事は沢山あるだろうにと思うのです

あまりにも表面的で、他人任せで、チョロチョロっと弄ること自体を楽しんでいる風潮に嫌気を感じているのです


男なら、まずは黙ってオリジナルとジックリ取り組みましょうや
結論は何年先でも良いじゃねえですか



・・・それが私の「こだわり」です







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オーディオに求めるもの  完結編・・・になるのか?

このブログを読んでいただいている人の反応も色々で

「お前のブログは何を言っているのかさっぱり分からん」と言う人あれば、同じ日の記事に対して

「今回の記事は”あるある”だよねえ、笑った」と言ってくれる人もいます

この様な反対の感想が出るのは、特定の思想に「右向け右」をしていない証拠で健全な内容である為と自負しております

音楽やオーディオを聴くことは、感性による作業ですから受け取り方が人それぞれに異なるのは当然です
感性のベクトルが真逆の人とオーディオや音楽の話をしても全く噛み合わないのは必然ですから、一つのブログの記事に対して異なる反応があるのは正常なことでしょう


尤も、ブログは日記的に平明でたくさんの人が興味のある内容のが良いのも又真実でしょうがねえ
閲覧数とか👍の数を競うのが目的であればそれも正義でしょう

それでも、見知らぬたった1人の誰かのきっかけにでもなれば本望だと思いブログを書いています



さて、そんな分かり難いこのブログにおいても前回は超絶中途半端に終わりまして、各方面からツッコミが入っています

私が言いたかった事を簡単にまとめると

生演奏でも、特別な機会でしか体験できない様な「エモーショナルな経験」をオーディオを通じて追体験できるならば、オーディオを以て音楽を聴く行為としては本懐である
元々はこんな趣旨で書き始めました

でも、途中で李香蘭のライブ音源に出会ってしまい
この歌唱を聞いてしまったら、自分がどんな文章を書いたところでこれ以上を伝える事は不可能だと打ちひしがれて途中で投げ出してしまった訳です




私が初めてオーディオを通じて意識を失いそうになるほどの衝撃を体験をしたのは、40年近く前の22歳頃の事でした
こちらでも何度も書きましたから、簡単に列挙しますが

・我が家にて 
 ボベスコ/ジャンティ ラフマニノフのヴォカリーズやフォーレの入った一枚 アメリカの再発盤
 WE728+WE713モノラルで

実家の子供部屋・・・在来工法の二階6畳
トランポリンの様な床に、厚さ6mmの板を貼っただけのタイコ状の内壁
炊飯ジャーと電子レンジとヘアドライヤーを同時に使うとブレイカーが落ちてしまう様な電源環境という
オーディオマニア的には禁則事項の展覧会の様な環境でもたらされた体験でした

その後、我が家と他所で合計数回これに匹敵する体験をしましたが、いずれもスーパーオーディオマニア宅の立派な装置と専用室ではなく一般の住宅で、極めて紳士的?なオーディオセットによるものでした

ちょっと悪い言い方を許してもらえるなら
施策の限りを尽くしたオーディオマニアさん宅の音は、美しく整っていて非の打ちどころの無いものも多くありましたが、その為か返って音楽や演奏の熱を伝えにくい印象を受けることがあるかもしれません

元メーカー出身=提案する側?の私が言うのも変ですが、オーディオフェアのブースや試聴会で聞かれる「あの音」と言えばご理解頂ける方もいると思います


さて、
それらの神の如き再生音楽体験はその後のオーディオ人生における決定的な「指標」を私の中に植え付けてくれました


今の私が、真空管やケーブルを変えたり、アースの金属タワシがどーしたのと言った音変え遊びに全く興味がないのは

普通の住宅環境で、ビデオに無料でついてくる様な赤白ケーブルだったり、テーブルタップもホームセンターで売っている700円くらいの白い物でも「神の如き音」は出るときには出るし

レコードも特別製の高額盤やオリジナル初期盤ばかりで無い経験があるからなんです


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あるときネットで拾った画像です。どなたのかは存じません
印象的な写真(映え)だったのでずっと前に保存していました、本文を補完する一例以外の他意はありません

色々なアプローチがある事は否定しません、本人の満足に従って楽しむべき事です
個人的な感想は、賑やかな色彩の室内は好まないかなあ




私は知ってしまったんです


・高額で有名なアクセサリーやケーブルや
・真空管を変えて音の変化を楽しみ、より良い音を追求する
・〇〇な特殊金属のインシュレーターやボード類を使うと音質向上
・金タワシや200本のアース棒、しまいにゃ自家製電柱  ・・・ その他大勢 ・・・


この様なベクトルで幾らお金をかけて身を減らして音の変化を追いかけても自分は「神の如き音楽」には一生出会えないんだということ身を持って体験させられたのです
他人様のことは知りません、そうしたアプローチを楽しんでいる方々の趣味は最大に尊重します

私がオーディオに求める「音楽のエモーショナルなパワー」を聴くためにはその方向では、上手くいかないんだな。と
私の感性が思い込んでいる・・・だけであるということです



この体験を、いくら紙面(ブログ記事)で力説したところで全く他人に伝える力はありません
その瞬間に同席した人か、あるいは明らかに同様の経験を持つ人にしか理解されることは無いと断言できますからブログ記事としては何の意味も無いかもしれませんが


まだ出会っていない、これからも出会う必要もないですが同じ経験をした人と時空を超えて共感できるといいなと思います