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作曲当時の演奏スタイルと言ったって実は、最新の解釈じゃ無いのか?と考えたんだけど

Ludwig van Beethoven (1770-1827) 独 作曲家

没年は幕末の文政年間
むかーしのえらい音楽家先生  音楽室の壁に難しい顔をした肖像画がかかっている事で有名

Joseph Böhm (1795-1876) 澳 ヴァイオリニスト 音楽教師

没年は明治の中頃
ベートーヴェンの音楽仲間  弦楽四重奏曲 第12番の初演時(正確には1ヶ月後の2回目)のメンバー
交響曲 第9番の初演時にもオーケストラに加わっていた
ウィーン音楽院の初代学長 弟子にヨーゼフ・ヨアヒム他 多数

Joseph Joachim (1831-1907) 洪 ヴァイオリニスト  音楽教師

没年は明治末
ブラームスのお友達、後にちょっとケンカする。でも仲直り。ヴァイオリン協奏曲の初演者
ベルリン高等音楽学校の校長 弟子にカール・クリングラー他 多数

Karl Klingler (1879-1971) 独 ヴァイオリニスト

亡くなったのは・・・つい先日だ、長生きだったねえ
ヨアヒム・カルテットのヴィオラ奏者

後に「クリングラー・カルテット」を結成
1911年(ベートーヴェンの没後84年)にOp 18-5を録音する

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そのクリングラー・カルテットの1911年録音が収録されたCD
子供の頃のイメージだとベートーヴェンなんてはるか昔の偉人の印象だったけれど、年表に落としてみると結構最近の人なのね


上記ヨゼフ・ベームさんはベートーヴェンの生前に一緒に演奏をやって本人からOKを貰っていたのだから

「作曲された当時の演奏スタイル」で正しいかどうかの議論なくズバリ!の人だよねえ

で、ベームの弟子のヨアヒムと一緒にカルテットを演奏していたクリングラーは、孫弟子に当たるのだけどプロの演奏家としては一世代だけ下なので周りの先輩や音楽関係者、もしかしたら下宿のおばちゃんとかベートヴェンその人と親交があったり触れ合った人がまだまだ沢山残っていた時代である

そのクリングラーはつい先日まで生きていたのだ
ノリントンの録音が1987年だから、あと15年ほど長生きしてくれていたらどんな感想だったか聞いてみたかった
(勿論プロの演奏家が他のプロに対して自己の意見を言う訳はないので、コッソリ耳打ちで)



と言う事で、CDを聞いてみました

端正で清涼感のある凛々しい演奏です 
ウィーン風というのかポルタメントのチャーミングな面とインテンポの追い込みの対比がとてもはっきりしている

際立って感情的に歌い上げるのではなく、だからと言って即物主義に徹した機械的なんてとんでもない
勿論アゴーギグやデュナーミクを殊更強調して、どうだ!オレって先鋭的だろ。なんて自己主張からは対極にあると言っていいと思う


ベートーヴェンの没後90年経った時点でどれ程演奏スタイルの変化があったのか今となっては知る由もないが、最も作曲家に近い演奏として時代の空気感を想像するための良い資料であるのは間違い無いと思う

ただし演奏はとても素敵だけれど、機械吹き込み時代のSP盤を復刻したCDしか無いので音響的には少々の食い足りなさを感じてしまう

なのでこれをテキストにしてベートーヴェンの隣りに座って聞いている気分になるにはどのレコードが近しいか

ブタペストSQ アマデウスSQ スメタナSQ ズスケSQ ブッシュSQ バリリSQ A・ベルグSQ を纏めて聞いてみた

文句なしにバリリSQに相似点を一番多く感じた
自分はウィーン人でもなんでもないくせになんだか手前味噌の様で恥ずかしいのだけれど
W・バリリ  O・シュトラッサーもウィーン音楽院の出身でヨゼフ・ベーム先生の直系の弟子になるのですね

ウィーン・フィルハーモニーに脈々と伝わる頑固なウィーン風の伝統はことある度に言われるが、室内楽ユニットであってもそのまま当てはまる様ですね

ただし大きな問題がある、バリリのレコードはバカ高いんだ、とても手が出ない



今回の記事を書くに至った動機は
クリングラーSQの演奏がベートヴェンの生きた時代の演奏法の継続であろうに、学究的でなくリリカルでロマンチックであった事と

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このクルレンツィスの演奏を聴いて、前世紀の古楽演奏の基本理念とされた「作曲された当時の演奏スタイルに回帰する」を離れて「最先端の新解釈による古典派、ロマン派の新たな演奏スタイルの構築」に移っているんだなと感じた事によります


まあ、そりゃそうなるわね
どんなに正しいと主張したって、演奏家自身も含めて誰も正否を検証できないんだから

結局は演奏家個々の到達した解釈によって演奏するしか無いじゃない


その意味でもクリングラーSQの伝統に則ったと伝わるCDを聴けたことは、私自身にとって一つの指標となる貴重な体験でした





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オリジナル楽器による時代考証された「最新の演奏」ってどゆこと?

オーディオやレコードよりも生演奏に軸足を置いている友人は言った

「現在の東京(日本)では、時代のカッティングエッジである最新の解釈によるクラシック演奏が頻繁に行われている
これを聴かずして、古の手垢にまみれた演奏ばかり聞いているとは何事ぞ」

ヘェ〜そうなんだ
あたしゃあ最新のAMGよりも55年のガルウィングの方が好きなんだよね、買えないけどねどっちも。としか答えようがありませんでしたが、
クラシックの演奏に対して「現代的」「先鋭的」という言葉は果たして肯定的に用いられる物なのでしょうか?
「感動的」とか「理想的」なら分かるんですけれどね

「先鋭的だけど凡庸」な演奏を「現代的」だからと言うだけで評価するのはいかがなものか?と思っておるのです




ピリオド楽器を用いて、ピッチやテンポの課題を学究的に見直しノンヴィブラート奏法などを駆使し、作曲された当時の演奏スタイルに迫ったとされる古楽演奏家たちの活動は1950年代には世に出ていた様ですが、オーディオ界が1957年にステレオに移行すると共に古楽演奏はクラシック界の大きな潮流の一つになりました


1940年代の前半にAEG-Telefunkeはマグネットフォンの2トラック化に成功しており大戦下で既にステレオ録音が存在して幾つかはCDで聞くことが出来ます
しかし、戦争は激化してドイツは押し込まれ、ステレオの実験どころでは無くなりました

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AEG-Telefunken  1945年の資料によると
AEG のエンジニアは急速にシステムを完成させ、1943 年までに実用的なステレオ レコーダーを完成させました。1945 年まで、リヒャルト シュトラウスとフルトヴェングラーを含む約 250 のステレオ テープ録音が存在することが知られていました。生き残ったのは3巻だけ

フルトヴェングラー のも当然あったんですね(第一人者だもんね)戦争で行方不明か燃えたか・・・戦争のバカ



戦後になるとTelefunken傘下のNeumannはステレオの録音、編集、カッティング設備を完成させていましたが早期の普及に一抹の不安がありました

そんな折、同じくTeklefunken傘下のDGGは中部ヨーロッパのルネサンス期や前バロック期の無名曲を音楽鑑賞用というよりは、資料として録音したいと考えていましたがその様なマイナー楽曲では経営的には実現不可能に思えたのです

そこに目を付けたのが商魂たくましい(失礼)Neumannでした

普及段階の家庭用ステレオ装置では大編成の交響曲では音を持て余します。そこで・・・

そうだ! 
トリオソナタや宮廷の室内楽ならステレオ効果が分かり易いし、チェンバロやリュートの澄んだひっかき音は高音特性の優秀な最新レコードにピッタリじゃないか、と
よしよし、DGGの古楽レーベルに投資して録音させればステレオのデモレコードとして売上に貢献できるぞ  ウッシッシ

かくして、DGGは古楽専門レーベル「Arciv」(=アルヒーフ=英語で「Archives」アーカイブス=記録・保管所の意)を誕生させるのです  (初期にはモノラル録音も僅か存在する)


このレーベルはDGGの予想(きっと売れないよな)とNeumannの思惑(ステレオのデモになると良いな)も見事に裏切りビックビジネスになりました

その成功はレコード一枚一枚に、曲や録音の詳細なカルテを添付するなど学究的な姿勢を貫いたのも立派ですが、バロック以前の音楽の素晴らしさやリヒター を始めとする演奏家陣による格調高い演奏、そしてNeumannの録音機材の優秀さまで三拍子、五拍子揃った名盤揃いだったからに他なりません



さて、Arcivの成功はあまり世に出ていなかった古楽奏者達のその後にも大きな影響を与えました

G・レオンハルト クイケン兄弟 N・アーノンクール F ・ブリュッヘンなどなどスターが出て、ハルモニア・ムンディ  セオン アストレーなどなど古楽専門レーベルも雨後の筍の様に生まれました

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おかげで、それまでの日本では名前すら聞いたこともなかった作曲家も含む数多くの素晴らしい曲が紹介されました


さて、ここまでは良いんです、問題なしです


ところがある時   「え?」   ということが起こりました

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左 1987年 録音 R ノリントンによるベートーベンの交響曲
右 1994年 録音 E ガーディナーによるもの


ノリントン盤は国内プレスでライナーノーツは平野昭さんと言う方が執筆されています
モダン・オーケストラの対比としてオリジナル・オーケストラが出たときの衝撃・・・
新たな解釈、別の意味を持たせた解釈、衝撃的な解釈・・・と解釈の連打
モダン・オーケストラの様な粘着質な感情的表現で無く、即物主義的姿勢

とあるが
残念ながら一曲を通して聴いたときの充実感という意味では自分の心の琴線には響かなかった

というだけで無く
セル シューリヒト クライバーらの演奏は令和の今聴いてもより先鋭的で際立った解釈を見せる箇所も多々ある様に感じるし、曲の全体像をガッツリ掌握して提示する力が往年の名手たちに遠く及ばないのではないかと言う印象だけが残ってしまった

しかも、ライナーによると「一世代前の1983年録音のホグウッドも大層な衝撃だったが、4年違いのノリントンはさらに大きな衝撃だ!」とあるが7年後のガーディナーから見るとノリントンの演奏も随分とのんびりに聞こえる

僕がいつも言っている「今日の最先端は明日には当たり前の普通」であって、3周くらい回ってまた先頭に立たされたのか?往年の巨匠の中によりエッジーな演奏を見つけるが、時代とはそんなものだろう


その後
BBC制作の映像作品「エロイカ」の劇中で使われていたガーディナーの指揮とされる演奏には非常に感銘と言うか衝撃を受けた

けれど、けれど
その演奏が素晴らしいと思ったのでDVDと別に同じガーディナーのCD全集も買ってみた(写真 右)
これが劇中の演奏とは別テイクとの事で、DVDほどの感銘は受けなかった



・・・結局 その演奏の個別の優劣の問題なんじゃね? と、悪魔はしごく当たり前のことを耳元で囁くのだった


続く








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何年ぶりに影響を受けて買ったレコード・・・有り〼

その方は、一年ほど前から何度か我が家にお越しいただいたことはありましたが、こちらから伺ったことはありませんでした

今年に入ってから春頃に、BUDのマスターと旧知のTさんにお誘いいただいて初めて訪問が叶いました
40畳以上の立派なリビングにオートグラフとWEのモニタースピーカーが鎮座しています

プレーヤーは4台?5台?もあったでしょうか、それぞれに3本づつ、今では極めて希少になったORTOFONのヴィンテージアームとさらにそれに倍するカートリッジの数々が控えていました
プレーヤーの対面にはロンドンの新聞紙で作られたと言われる大型のストレートホーンを持つEMG製グラモフォンがあります

その方はKさんとおっしゃいます
以降ガラード、マッキンのプリアンプとメンテを担当させていただくうちに、オーディオへの想いやお悩みをお聞きするようになりました

Tannoyのオートグラフ(モニター・ゴールド搭載の英国製オリジナルセット)は世評の通り、低音の分解能が悪い「雰囲気」だけの音なのだろうか?と
自分自身そう感じる部分はあるし、誰に聞いてもらっても口を揃えて

「オートグラフとはそういうものだ、無駄な抵抗はやめて別のスピーカーにしたら」の大合唱だというのです

私は胸を張ってこう言いました

大丈夫です。オートグラフは全帯域で引き締まった、他のスピーカーでは出し得ないニュアンス豊かな音楽を必ず奏でます!へんてこりんな音しか出ないスピーカーが歴史的名器と言われるわけはないんです!信じてください

まあ、そんなこと言われたってKさんは全く信用していなかったでしょうね
それほど我が国におけるオートグラフの定評(良しにつけ悪しきにつけ)は根強いと言わざるを得ません




このブログで以前に書いたかもしれませんが

私は昨年の天高く晴れたある日 
ボーーーっと椅子に深く腰掛けて本を読んでいる時
Tannoy創業者のファウンテンおじいちゃんのお話だったが、その時ファウンテン翁その人から啓示を受けたのだ(ウソウソ)
オートグラフが生まれた必然と、その意図を忠実に理解、構築できればオートグラフはとんでもない音楽を描くのだぞよ・・・と

Kさんの御宅のオーディオシステムの構築を一緒に考えていくご依頼を承ったことにより
早くもその教えを実践する機会に恵まれたのです



個人情報の保護のためにお部屋の写真を載せませんが、機材のカットインでご覧ください

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それから、3ヶ月ほど通いつめ、没頭してメンテを行いシステム構築のお手伝いをしました
梅雨入り前には当初に描いたグランドデザインを現実にすることができました

出現した音や音楽を言葉にするような無粋はしませんが、逆にいえば簡単に言葉にできるような音はその程度のクオリティに止まる
本当にうまいもの、本当に良い音楽を目の前にした時人間は息を飲み言葉を失うもの。とだけ申し上げておきます


この世の全てのオーディオマニアのオートグラフに対するイメージを覆す音楽が出現しています
低域の量感と解像度の両立は他の装置では中々味わえぬテクスチュアであり、オートグラフがまごうことなく時間を超越した歴史的名器であることが納得できます




一つ付け加えると、オーディオ雑誌やマニア推奨の

・音質向上策
・魔改造
・スペシャル・チューニング
・ルーム・チューニング
・ケーブルやアクセサリー類の比較選択 等々

の類は一切おこなっていません

それどころか、音に悩んで色々と施してあった対策やアクセサリーを一つ、また一つと取り除いてゆく道程でした
その度に厚く立ち込めた雲の向こうから少しづつ音楽が姿を現し始めました



只々ひたすらに、
パワーアンプとスピーカーの組み合わせに留意し
カートリッジとトランスとEQの総合周波数特性をマッチングさせることに腐心し
インピーダンスの整合に気を払い、ゲインの配分に集中しました
それと同時に各々のパーツが十全な性能を確保するためのメンテナンスを行ったに過ぎません

普通のマニアが見ると「ポン置き」にしか見えないだろう「音質対策」と言われることは何一つしていないのだから
しかし、水面の下では数値的な根拠に乗っ取り莫大な数のロジックというバタ足でもがいて推進力にしています


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まだ、肌寒かった頃に漕ぎ出したこの冒険活劇も、半袖シャツが必要になる頃には帰る港が見えてきました
今日で一応、オートグラフのシステム構築は終了します、あとは聞き続けることで10年は成長を続けると思いますよ
なとど言いつつ工具などの片付けを始めた頃、Kさんは1枚のレコードをかけてくださいました


長くなったので、今日はこの辺で







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新手一生 (演奏に古い新しいはあるのか)

昭和に活躍した人気棋士に升田幸三 実力制第4代名人という方がみえた

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ますだ こうぞう 1918-1991年 将棋棋士 広島出身

見ての通り「昭和の勝負師」を地で行く風貌とともに、勝負師としての生き様を「新手一生」の言葉に残したようにアバンギャルドな存在としても有名
また、豪放な人柄から武勇伝に溢れ、陣屋事件などは社会現象になった

では棋界で言われる「新手」とはどう意味だろう

将棋というゲームは現在のルールに整備されてから400年以上ほとんど変わりなしに続いている
プロの手順は棋譜(一手一手の差し手を記録したもの)となって保存され、膨大な棋譜は全てデータ化されてプロの棋士であればあらゆる局面を即座に検索できるようになっている

このように400年検討され尽くしたような将棋の世界にあっても過去の棋譜にない強力な手が定期的に生み出され、一定の期間はその手法が棋界を席巻することになる
「藤井システム」「ごきげん中飛車」などの新定石は名前をご存知の方もいるでしょう



そうした「新手」に特にこだわって生き抜いたのが升田先生ということだ、ご本人はこう語る

 人に何か書いてくれと頼まれると、よく「新手一生」と書く。(中略)私は将棋は創作だと考えている。何はともあれ、一歩先に出た方が勝つ。もし一局ごとに新手を出す棋士があったら、彼は不敗の名人になれる。その差はたとえ一秒の何分の一でもいい。専門家というものは日夜新しい手段を発見するために苦しまなければならぬ。

(「名人になって」57年7月、朝日新聞紙上の手記から)

刃を交わし戦う剣士みたいな表現ですね

前置きが長くなって恐縮だが大事なので現代棋界の第一人者 羽生善治三冠の言葉を合わせて載せておきたい

確か升田先生についてのインタビューで「羽生先生も新手を指しますか?」的な質問に答えて・・・自分はどちらかというとオーソドックスな棋風なのでと謙遜しながら

みなさんよく新手と言われますが、
ある一手があまり見たことのない「目新しい手」であった時
しかし、その手が間違いなく「新手」ということができるかどうかは、過去のすべての棋譜と見比べて
確実に今までに指された前例がないことがわからない限り、「新手」であるとは言えません

つまりたった一手であっても本物の「新手」が生み出されたかは、先人のすべての足跡をくまなく研究し知っている人にしか判断できないことなのです


この一言は音楽を語る上でもたいそう重い、
脈々と人類が音楽に向けた情熱の歴史を知らず、ただ「新しいから素晴らしい」と上滑りした考えで良いのだろうか?

そうした中で、いつもお世話になっている「GRFのある部屋」さんは毎週のように精力的に演奏会に通い時に暖かく、時に厳しい感想も書かれているけれど・・・
GRFさんの部屋には古今の名演奏のレコードやテープが網羅され聞き込まれていることを(ご本人は最近あまり言われないけれど)私は知っている、だからGRFさんだけには「あなたも新しいのも聞かなきゃ」と言われると僕も頑張ろうと思えるのです

人間の重みはどんな立派なことを語るかではなく、どんな実績を積んできたか、言葉はなくとも背中で伝わってしまうのですね



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私は、ご存知の通り1920年代から1960年代頃の演奏を聴く機会が多い(とブログには書いている)
実際に家で一人で聞くときにはむかしのレコードを聴くことは少ないのだが、鑑賞の中心は?と聞かれれば躊躇なくその辺りです。と答えるだろう。

そんなだから時々、現代の演奏は聞かないんですか?とおっしゃってくださる方もお見えになる

結論から申し上げると
ブログ記事にしていないレコードや演奏会がたくさんあるだけで、まあ、中心的にとは言えないが聞いています。と答えている
あまり感心しなかったレコードや演奏会のことを否定的な記事にせず、書かないほうがいいと思っている




横浜にいた時に比べたら少ないですが、地方都市に住んでいるオーディオ趣味の人間としては頻繁に演奏会にも顔を出す方だと思います

例えば昨年から年初にかけて、世界的に有名な3人のピアニスト(メジャーからCDを多数出している二人の新進の女流と男性の大御所でいずれも外国の方です)を聞きました、でもとても記事にはできませんでした
3人とも演奏がどうこう言う以前の問題です。いったい先生は何を教えているんだろうと思いますが、答えは簡単です

現代でコンサートピアニストとして食べていくには、名のあるコンクールの入賞歴の二つ三つが必要なのでしょう
畢竟どんぐりの中で目立つためだけに、ただただ押し付けがましい大音量の・・・素人歌舞伎が大見得を切るようなドタンバタンの演奏の乱立とあいなるのです

600人も入ればいっぱいの会場もありました、ピアノの音が割れんばかりの大音量、前の音の反響に混じって次の音がfffで打鍵されるので会場はカオスの世界です
会場の大きさによって音量を変えるように、くらいの事も教えていないのでしょうか?

先生はコンクールに入賞する方法論よりも、音楽とは何か?作曲家は何を伝えたかったのか?リリカルやメランコリーについてを先んじて教えて欲しいものです
・・・が、現実ではそれも難しいのでしょうね、先生も生徒も食わなきゃなりませんから

痛々しいのは、3件の演奏会のうち2人はうら若きお嬢さんでした、曲の終わり毎には拍手喝采、ブラボーの掛け声
私は終演後急ぎ足で駐車場に向かいましたが、エントランスにはアンコールをパスしたのでしょうか?すでにサイン待ちのおじ様達の長蛇の列ができていました

レコード会社のある企業の元社員としては言い辛いのですが、音楽とは違った座標平面で今の音楽界の経済は回っているのですね



以上は、ちょっとひどいなあと思う事例でしたけど、
時代に即した新しい解釈、現代の感覚、演奏  ってなんでしょう?

羽生三冠の言葉を借りるまでもなく、過去の演奏をくまなく聞き込んだ上で現代の演奏を「現代感覚」と言った言葉が使われているのでしょうか?

若い人の演奏を今日聞いたから=最先端の演奏

という、単純な方程式では説明になっていません
何年も前に出尽くした手法の上書きかもしれないのに?
過去の演奏をすべて知っているわけでないのに、なぜそう言い切れるのだろうか?

純粋に演奏として、音楽としてどのように感じ取り見極めるかが大切だと思います
最新の演奏の中にも今後何年も語り継がれる名演が必ずあるはずです、唐九郎さんの言葉を借りると悲しいほど少ないにしても・・・

しかし過去の名演だって同じですよ、莫大な演奏の中からわずかに残っている物を今日の私たちが手にしているだけですから



前回の記事で私の最初のスピーカーについて書きました

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それはこの通り、フルレンジ2発+ドライバー1発のモノラルシステムでした

この当時はSP盤の復刻LPやモノラル時代のLPを中心に聴いていたのです
後ろに控える英国Lowtherのホーンシステムは、WE購入から5年ほど後に初めて買ったステレオ(2台セット)のスピーカーでした

今でも蓄音器からCDとFMまでは我が家で聞けるようになっています、去年はネットプレーヤーもあった、あっただけだけど
あの時から30年あらゆる時代の音楽を聞いて、確信を持ったことなのですが

1920年であっても
1940年であっても
1960年であっても

2016年であっても

それぞれの時代に作られたレコード(奏でられた演奏と同じ)は、それぞれの時点での最先端なのです
その時代々々でできることの最善を尽くして、最高の才能が最高を求めた結果ですから、それぞれに意味があり、価値があるのです

芸術が誕生した瞬間から偉大な芸術家はその人なりの「新手」を打ち出してきた(からこそ偉大といわれる)わけで、1920年の新手が2016年のそれに古いから劣ると言うのなら、それは死人に鞭打つ後出しジャンケンのような現代人のおごりに過ぎない

もし、そのようなバカげた妄想がまかり通るならば、クラシックの演奏は時代を遡るほど劣悪になり
ブラームスのVn協奏曲を初演したヨーゼフ・ヨアヒムの演奏がこの曲の人類史上最悪の演奏ということになってしまう
ラフマニノフのように作曲者初演であれば、作曲者自身の演奏が一番しょーもない演奏になってしまうのか?



この簡単なロジックが理解できれば
単純に2016年に行われた演奏が最先端で最も良いと言うのは「今、生きている人間のとんでもない思い上がりに過ぎない」ということもわかります

今日の最先端は、明日には過去になり
1920年や 1940年と同じ過去のものとして、ただ音楽的な価値だけで判断されるのです。そこには若くて綺麗な肢体や肩の出た衣装も関係ありません

だから私の答えは、良き演奏ならいつの時代のでもありがたく楽しませてもらっています、です
約100年前に録られたSP時代から聴き始めて徐々に新しいレコードに移り、いまは60年ほど前の素晴らしい演奏を勉強している途中なんです
これからどんどん時代を下っていきますから、少々お待ちください。過去を知らずして現代はとても語れませんから
・・・が本心ですね

逆に言うと「モノラル以外は聞けねえ」なんて人の意見には全く賛同できない、ということも付け加えておきます



さて、明日は参議院選挙ですね、升田先生は一度出馬を打診されたことがあります
その時の答えを今日の最後に載せておきます、当たり前の答えですね、先生は将棋で「新手一生」なんですから


参院選に出馬を打診された際「本業に自信のあるものは政治家にはならない」と断った。






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我が家のハイ・レゾリューションサウンド あったどー

今日の話題は先に某所で公開したネタなので心苦しいのだけれど、少しオーディオ寄りにアレンジしてお届けします(笑)

Sir William Turner Walton  サー・ウィリアム・ウォルトンは現代イギリスを代表する作曲家の1人で一通りクラシック音楽のカテゴリーを網羅しているけれど現代人としては、映画「バトル・オブ・ブリテン」の音楽を担当した人と思うと急に親しみを感じることができましょう。

代表作の一つに「ファサード・エンターテイメント」に付随する曲を付けた室内楽とそれを元に演奏会用にオーケストラアレンジをした「ファサード組曲」があります。
ファサード自体が我々日本人には理解を超えているのですが、抽象的または象徴的な詩を音楽に乗せて語るといった近代のエンターテイメントの様式があったようです(違っていても直しませんので失礼)

組曲の方は音楽として単独で鑑賞に足るもので、わたし的には大好きなカテゴリーになります。
下はイギリスの演奏家サージェント指揮で、EMIからリリースされたもので同曲の代表的なものの1つでしょうか。
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ASD400番台のホワイトゴールドレーベルです。
その名声にたがわず、滋味を帯びた音色と広がりに加え遥か彼方まで続くような深いディプスが印象的なレコードです。

でも、これが今日のお題の「ハイ・レゾリューションサウンド」という訳ではありません。
このレコードは2種類持っています。

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タイトルは「英国のバレエ音楽」どこまでも私向きのレコードです。
一曲目の「The perfect Fool」って。なめた曲名ですねえ。「惑星」で有名なホルスト先生です。

一枚は上の写真の通り白金のオリジナルプレスですが、もうひと組は
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録音データを書き込むスペースを残した白レーベルのいわゆるテストプレスなのです。

最近は見かけなくなりましたが、少し前まで「テスト・プレスは貴重品だ、特別製で音がいいんだ!だからものすごーく高いんだ」と言って法外な高値で売っている不届き者がいました。

私の家にはテスト・プレス盤は沢山ありますが、正規品より相当安く価格に惹かれて買ったものばかりです。元はタダですからね、こんなものは・・タダ!

更に一言で「テスト・プレス」って言いますけど、日本でレコード屋さんに販促のために無料で配布された「白盤(市販と同じデザインで色が着いていない)」の中身は市販品と全く相違ありません。

また、レコードの製造過程において機械やマスターやスタンパーの不具合を確認するために試し打ちをした本当の意味でのテスト盤は製造工程の各所に存在して数種類はあります。

ただし、いずれにしても正規より音が良いなんて妄想の範疇で、むしろ欠陥がある場合もあります。
だいたいマニアやコレクターは「特製」「特別」「限定」などのワードにモロイですからね。敵はそこに突け込んで来るわけです。

このテスト盤は比較的先頭に近い工程のものです。
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A面とB面がそれぞれ一枚ずつにカットされているので、2枚組でLP1枚分になっています。

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裏面はこのようにギョウシェ模様になっていてグルーヴはカットされていないのです。書き込みも無しです。
繰り返しになりますが、だからといってこのレコードが正規盤より音がいいなんて妄想も夢の中だけの話です。

一度、同じサージェントの「惑星」のテスト盤で明らかにテープの繋ぎの前後で左右のバランスが変わってるなんてのもありましたが、確認したくなって正規盤を買ってみたら修正してありました。
それはミスを発見するというテスト盤本来の機能を発揮しただけで、音質になんら違いはありません。

では、いよいよハイレゾです。

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これは同じファサードでRCAリビング・ステレオのフィストラーリ指揮のものです。
オリジナル・プレスではなくて後年「クラシック・レコーズ」と言うアメリカの会社がリリースした高音質盤になります。(ご教授受けました。ありがとうございました)
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一枚当たりのカッティング・エリアがこれだけしかありません。
45回転
片面カットなので、一枚あたり約6分くらいでなんと5枚組になっています。

何年か前に偶然入手したものですが、これまでに聞いたところでは良い印象がありませんでした。
大概において、大昔に秋葉原の販売店が作っていた「45回転盤」だの「高品位プリント・テープ」だのに懐疑的だった自分がいるのです。

ところが、この度の「自称・広帯域システム」で聴いてみると、これはとんでもないハイ・レゾリューションサウンドだ。と言うことが克明に分かるわけです。

やっぱりあれですね。
こんな50年も前に録音されたレコードだって、元の音はそれはそれは大した音がしているはずなんです。
相応しい装置を使ってやるってのは大事ですね。
何年もかわいそうなことしたなあ。と謝る日々なのです。




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