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「音楽 x 音」であってこそ良い音と感じるのだ

同好の士のお宅へお邪魔して、かかっているCDやレコードのジャケット写真を撮らせてもらったり、こっそりと撮ってきた事があるでしょう?

逆に、自宅でお客さんが自分のレコードの写真を撮っていらっしゃるのは「気に入って貰えたんだな」と得心した事もあるでしょう

写真を撮ると言うのは、少なからず感じ入って「自分でもこのディスクを買って聴いてみようかしら」との興味が示された証ですからねえ・・・してやったり!ってなもんですよ
自分も欲しいと思えるのは、音楽の内容は当然ですが鳴っている音が心の琴線に触れたからに他なりません、オーディオマニアならば「こんな良い音するなら、俺もひとつ・・・」と恋慕の気持ちになっても罪はありません



と言うわけで、ここのところ聴いて良かったなーと思うディスクを上げていきますが、特段最近買ったとか23年度ベスト何ちゃらでは有りません
演奏評論するつもりも無いし、優秀録音なんて口が裂けても言えません。むしろ一般論では「悪い音」の範疇のが多いので悪しからず


このレコードが訪問先で上手いこと鳴らされたら絶対写真に撮って自分も買うぞ!ってのが判断基準です


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左 ブランデンブルグ   プチバンド  クイケン
右 オーケストラル・スィート  同

中学生の頃、K・リヒター盤を聞いてから私はずっと自分の中の完全なる「ブランデンブルグ」を探し続けて来ました
バウムガルトナー、世界一の録音と信じてやまないDiscophiles Francaisのリステンパルト、アーノンクールなどを経て近年はレオンハルトをよく聴いていましたが、ついに「自分が指揮者ならこう振りたい」と思える演奏に出会いました。

特に第二番のバロック・トランペットの響きは人類の持つバッハ演奏のブレイクスルーだと感じました。
21世期に入ってからの録音は爽やかで清潔感がありクイケンの目指した表現の背景にマッチしています。

我が家ではLowther TP-1一択ですね。Klangfilmでは実際より大人数に聞こえて立派すぎて返って興醒めです。この録音のストーリーにはLowtherがピッタリなのです

続けてリリースされた「管弦楽組曲」は曲調もあり演奏の印象は大人しいので決定盤!とまでは言えません。また次なる衝撃的な出会いに期待して旅を続けましょう


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右 L コーガン  Archives in France
左 J マルツィ  1976 Zurich Live

写真右はL・コーガンのフランス放送協会に保存されていたテープをCD化した物です
このCDはかなり以前に購入していたのですが、ヴァイオリンの音がキツく切り裂くようで豊かな響きが感じられない録音でした・・・と感じた。と、思い込んでいたし、実際に多くの再生装置ではそう聞こえるでしょう


我が家にDecca Stereo Decolaが登場し長い整備の時間の後、実はあまり期待せずにかけて、それまでのしょーもない自己評価を吹き飛ばす内容の良さにビックリしました
Decolaの帯域の狭さとか描写の良い意味でいい加減さによってピーキーな高音が豊かな弦の響きに昇華したのです

一聴しただけで本気で向き合わず「良い音がしない=録音が悪い」と責任転嫁をして愚かにも売ってしまっていたらこの神品の如き演奏を永遠に手放していたのです
メロディア時代の高い緊張感に対して、パリの空気を反映してでしょうか伸びやかな情感ある演奏に聞こえます



そんな経験もあって往時の放送録音はあまり買わずにいたのですが、コーガン盤の成功に背中を押され求めたCDの中に飛び切りの1枚が有りました

ヨアンナ・マルツィ晩年のライヴ

バルトーク、モーツァルト、シューベルト 共に、ライブならでは隅々まで熱い血が通っており、まるでダンスを踊る様な演奏です。ああ、一生に一度でもこんな演奏会に出会えたらなあと極東の島国のさらに田舎街から思うところで有ります

1950−60年頃の欧州では多くの都市で毎夜キラ星の如く輝く巨人たちによって数多の演奏会が行われ時折に驚愕の名演が生まれたと伝え聞く由、少しでもその様な機会に触れる事を求め今夜も私はオーディオに灯を灯すのです









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天才か狂気か?

昨日からブログのテンプレートを少し変えました
寄る年波には勝てず目が弱ったので文字の大きさを変えました
また元々ブラウン管モニター時代に作られた様で横幅が狭く記事領域が小さいのでこれも少しだけワイドにしてみました



モーツアルトは子供の頃イタリアはローマのシスティナ礼拝堂で門外不出とされていた“Miserere”を一度聞いただけで記憶し記譜するというエピソードがあります。

一方、ウィーンの王宮でマリー・アントワネットに「君をお嫁さんにしてあげる」とぶちかました。と伝えられています
17世期には分類化されていませんでしたが、現代の医学で診断するとASDの中でもサヴァンであると見られるのではないでしょうか(難しい話題を含みますので歯切れの悪い物言いですみません)

この春から始まったドラマ「厨房のアリス」を見ながらそんな事を思い出していました



クラシック(古典)音楽の作品は基本的に同じ楽譜を使います
オーケストラでは「音響効果」程度の加筆はありますが、一般的には運指の入れ替え程度で「編曲」「アレンジ」をされる事はあまりありません(原典主義)


となると、演奏の如何は解釈の違いになりますが、同一演奏家であってもその時々の出来に大きく左右されます
横浜では演奏会に頻繁に行っていたけれど「これはヤバい」と言う物には数年に一度出会えればラッキーと割り切っていました

と、言う事で記録に残された「紙一重」の名盤を考察してみました






スタジオセッションは完成度の面で一日の長があるとは言え「狂気」を捉えるかとなると分が悪いですね
そこでどうしてもライブ音源が主になります

クライバー 氏はDGGのレコードでも大変人気がありますけれど私は1枚も所有していません
勝手な想像ですが、極度の人見知りであった氏は手兵のババリア歌劇場以外のオケでは打ち解けるのに時間がかかったのかしら?それでもスカラ座等で凄いのやってますから本質的に実演の人だったのでしょう
簡単には掴み切れないのも天才性でしょうね

後年ニューイヤーにVPOで「こうもり」を振っていますが場所柄もあり随分とお正月気分な演奏でした
序曲は全曲の頭に聞かないとどうしても緊張感が感じられません
この「こうもり」序曲は天才の所業ですね
拍手が鳴り止む前に始めるところなぞ、正に狂気の沙汰です






ルドルフ・ケンペは日本では手堅い職人気質の中堅指揮者程度の見方をされて来た様に思います
ケンペ氏も多分人見知り故建設的な人間関係を築くのが苦手で有名オーケストラの常任を長く続ける事なく、渡り鳥の指揮者人生でした
そんな知名度の低さが遠く極東のファンにあまり受け入れられなかった理由の一つですね

しかし、欧州楽壇での印象は羽目を外すくらい熱狂型の指揮者でありその甘い容姿とともにマダムの間ではアイコンとして多大な人気を誇っていました

この動画は英国のオケなのでまだ大人しい方です、同じ「新世界」でNYフィルの映像もありますがよりぶっ飛ばしています








まだまだ、あるのですが今日のラストは以前に「もし自分でラジオ番組を持てるなら」でも取り上げたリパッティ のモーツアルトです

この曲はセッションでも入れていますが、天才を感じるのはもちろん1950年9月16日のラストコンサートの演奏です


私自身何度も書いていますがモーツアルトは頭の中の引き出しに曲の断片が膨大にストックされていて、ご注文が入ったらチャチャっと組み合わせて「はいお待ち!600シリングです・毎度あり」って出していたのだろうと、思わざるを得ないくらいの天才=その感じで他の作曲家を圧倒できる=なので

・・・「あなた、本当にこの曲書きたかったの?」とモーツアルトを聞きながら常に疑問が残るのです

しかし、このK310以降のピアノソナタとヴァイオリンと通奏低音のソナタの何曲かには、モーツアルト自身が書かなきゃならなかった魂の叫びが宿っている様な気がします
もし、これも「チャチャっと」ならばもう何も言えません。貴方は天才じゃなくて神だからゴメンなさいデス



さて、リパッティの最後の演奏会におけるK310は別に他人様に強要もしなければ共感も求めないけれど

自分自身で、この演奏を聴いて生きる事と死ぬ事に考えが及ばなくなったらもう音楽を聴くのを止めようと決めています

この記事を書き埋め込んだ動画を確認する途中でもちょっとウルッとしてしまったので、もう少し聞いていていいよと
雲の上の誰かが言ってくれた様です






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我が家に月刊「レコード芸術」誌が見当たらない

私の様に地方に住んでいると「あるある」かも知れない
とにかく

「外盤レコードが欲しい!!」


そうなんです、地方のレコード店の在庫は国内盤一色(1980年代当時)

DGG、エレクトローラのドイツプレスは?
Decca、コロムビアの英国プレスは?
PHILIPSのオランダプレス盤はどんな音がするんだろう・・・

ネットもヤフオクも無かった当時、外盤の存在は渡欧そのものに匹敵する文化的隔たりであったわけです
薄給の身ですからオリジナルどうのこうのではありません
兎にも角にも、再発でも再々発でも外国プレスのレコードに憧れたのです


では、どうする?
もちろん上京して都内のレコード店を回る他ないのですが、「遠い」「旅費が高額」などなど問題山積です
解決策は一つしかありません

「若さ」です


同好の士を募り、例えば3名で車に同乗し、朝5時に家を出て下道を走って所沢駅前のジャスコの駐車場に入れます
帰りに夕食のパンと飲み物を買えば(当時は)駐車可能でした・・・ジャスコさんごめんなさい、御社の規約内の事でしたのでお許しください・・・

そこから、電車に乗って都内へ、車内もワクワクが止まらず寝るどころではありません



初めて、石丸電気本店のレコード売り場を見た時の感動、衝撃、畏怖の感情をどの様に表現したら良いでしょう
「息を飲む」とはこの事でした

神田の古書センター9F「富士レコード社」も行きました、2階ほど下に「新世界レコード」(だったかな?メロディア盤やシャンソンのレコードが豊富)があってビルの奥の階段で降りれるんですけれど、途中の階に「芳賀書店」があって

「私はそこに行くんじゃない」と言う顔を作るのに苦労しましたね


パンパンにレコードが詰まったデパートの紙袋を4袋も持てば、紐が食い込んで指が千切れるんじゃないかと思うほどの苦行でしたが、もちろん意気揚々と都下を闊歩したものです


交差点の先に「ルノアール」を発見して、何時間ぶりに休憩をとり戦利品の見せ合いをしてはドヤ顔をしたり悔しがったり
体育会の部活のノリですね

帰り際には池袋のサンシャイン60で仙台レコードのセールがあったりしてここでも沢山買いました

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石丸本店には Pathe リファレンスがほぼ全タイトルありました。さらに餌箱のレコードをレジに持っていくと
何とそれは見本で、販売分は裏のヤードにある何枚ものストックから持ってきてくれるんです
いくらバブル全盛期とは言え非常識な光景に映りました




一度の行脚でおそらく50枚以上買ったと思います
外盤は安かったので50枚でも3万円ほどでした

ところで、その50枚を選んだ根拠は何だったのでしょう?
もちろん数枚は「お目当て」の前々から欲しかった、狙っていた盤も買いましたが、9割近くは

知らない演奏家や曲、聞いたことのないレーベルを買っていた様に思います

当てずっぽう、とか不見転と言う事です


もし、現代において
レコードショップのオンラインショップやネットオークションで、一回の注文で50枚を不見転で買えるでしょうか?
私には無理ですね、どうしたって慎重になって、定番や高評価の物を選別してしまうでしょう


オーディオ機器は「ベストバイ」レコードは「特選盤」を並べてただけで「余はオーディオマニア也」と言う人も少なからず居るのもこの趣味の実状です



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中でも有名な物を集めました
マジ訳の分からないレコードも多数買いました、もちろん一回聞いたらそれで仕舞いです



もし、あの当時の無茶なレコード行脚が無ければ自分だってそうだったかも知れません
正直、ある程度収入が見込める様になるとオリジナル盤に入れ替わり、当時のレコードは減りました

しかし、レコード文化との向き合い方として、仲間内やメディアから入る知識を頼りにしなかった事は今になって自分の一番の財産だと思います

初見の音楽に向かい「自分がどう感じるのか」

実はこの点がオーディオをする上でも、計り知れない恩恵をもたらしてくれたと思っています



そんな訳で

月刊「レコード芸術誌」休刊のニュースを聞いて家の中を探してみましたが1冊も見当たりませんでした
確か「名録音特集」の回のを買った記憶はあるのですが・・

オーディオや音楽の雑誌がないことが自分のクラシック人生の重要なポイントだと言えようwww


追伸

実は買わなかった最大の理由は

「・・・であろう」
「・・・と言えよう」

この口調が大嫌いで毛嫌いしていたからです









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お国言葉の魅力

我が家のピアノのレコードは他のジャンルに比べて極端に少ないとは思いませんが、何故かショパンのレコードは僅かしか所有していません
すぐに思いつくのは以下の2組だけになります

・練習曲  
・プレリュード  

いずれも演奏は アルフレット・コルトー

これらはSP盤のセットもありますので、むしろ入れ込んでいると申せましょう



では、”ショパン苦手”を公言している私が何故そんなにこのレコードだけ聞いているのか?ですが

”コルトー節”がショパンの特質を超えてしまっているから

なのだろうと勝手に思ってます

コルトーの弾くショパンなんてのはなんだか酔っ払いがピアノを弾いている様に聞こえるから、テクニックもピアニズムもあったもんじゃ無い
その上、録り直しの効く電気録音なのにミスタッチだって散見されます

しかし、その奥からは他のどのピアニストでも出せないだろう溢れんばかりの情景やポエムが聞こえるのです

ピアノの教則として実用のために作られた(諸説あり)練習曲は一曲当たり2分から数分の小曲からなる曲集で
特段の情緒とか作曲にあたっての思い入れを反映しているのではないでしょうが

コルトーの演奏を聴くと次から次と色鮮やかな情景が切り替わるので「万華鏡」を回し見しているかのごとき感銘を覚えます

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高校生の頃、ピアノ教室で・・・こちらも子供では無く、大学を出て間もない先生とは友達感覚で話していた・・・普段どんなレコードを聴くかという話題になった

私は「コルトーが好きです」というと

先生は言った「あの人はダメよ、楽譜を崩しすぎて勉強にならない。ルービンシュタインをお聴きなさい」と

日本で学校で音楽を勉強された方ならごもっともな意見だと思います

ルービンシュタインは正統派、対してコルトーはお国訛りが強すぎで勉強のお手本としては不向きとの認識はあったでしょう
ただし、現代の感覚で聞き直すとルービンシュタインだってかなり「訛って」いますけどね(笑)



前回の記事で申し上げた通り、時代が降って世界が時間的に近くなると、地方の文化は混じり合い「方言」は薄くなって行き、いわゆる「インターナショナル」な状態に変わっていくのです

どうでしょうかポリーニやアシュゲナージらが活躍を始めた頃からでしょうか、一聴しただけでは演者を特定しにくくなった様に感じるのです
個々のレパートリーも広くなり、テクニックに不備などなく楽譜に忠実で流暢な演奏家は増えましたけれど、どうしたって標準化、均一化に近づいた印象は拭きれません



コルトーやド・パハマンの時代には

ショパンは良いんだけれどベートーヴェンやバッハはちょっと軽いよね

ドイツものは良いんだけど、フランスものは軽妙さが無いとねえ

そんな感想を持たれるピアニストなんていくらも居たものです





一方、指揮者に目を向けても
クナ、クリップス、ミンシュ等々の「訛り」の強い指揮者はある時を境に姿を消し
誰とは言いませんが音楽的で正確な指揮者が溢れる様になったと感じています


良いんですよ、時代の要求でしょうからあまりに田舎に引っ込んでお国もの中心のプログラムばかりの職人的指揮者・・・カイルベルト、コンビチニー、サンティニなんて好きですけどねえ・・・ではチケットが売れなくて劇場の経営に直結しますからインターナショナルなスター指揮者を時代は欲しているんです



その中でも現代の個性派であった「C・クライバー」は世間からは大人気であったけれども、変わり者すぎて腫れ物を触る様に扱われて、常任や音楽監督の仕事を長く続ける事なくそのキャリアを終えましたね


なんでしょうかねえ
突出した天才の御技を見たいと願って芸術に触れているはずなのに、いつの間にか経済と名声に流されてしまうのが社会の実情なのでしょうか


日曜のミサの帰りにはオラが街のオーケストラを聴きに行ってその後は家族で食事(欧州の夕食は22:00時スタートで開けて1;00時終了なんて昔はよくあった)を楽しむ、なんて事だけで地方オーケストラの経済が回っていた時代とは何もかも変わっているのでしょうね




「お国なまり」は体臭の様なもので、本人は自分の匂いを意識していないものです
TV番組「県民ショー」で方言の聖地を尋ねるコーナーがありましたけど

津軽弁の最もオリジナルな姿を残すと認定された五所川原の金木町にずっと住んでいるおばあちゃんは
多分、私たちが思うほどご自分が訛っていると認識はないんじゃないかな






やっぱり、可愛いですよね
このビデオの素晴らしいところは、同じ青森県内であっても城下街で政治や文化のありようと、他の地域との人的交流など地域の特徴と方言の薄まり方、残り方に言及しているところで、まさに本記事の核心を語って頂いている様です

そう言う長野県民の私も普段は全く意識ないけど、横浜に行って喋る時には

「あ、今訛ったな」とドキッとする事ありますよ



では、方言が強ければ正義か?
地方色の強い演奏はそれだけで良い演奏と言えるのか?

全然そんな事ないと思いますし、むしろ純粋に音楽としてみた場合には強いクセのない演奏の方が「クラシック名盤BEST100」なんて選抜の際には上位を占めるでしょう


曲目によっても求めるものは変わってきますしね・・・マーラー=ウィーン的?ユダヤ的?その様に捉える音楽ではないのかとも



皆さんは如何ですか?

ある曲に対して愛聴盤を考える時「お国なまり」は意識するでしょうか?


私はねえ

ラヴェルやフォーレを聴くとき、フランス的なちょっと良い香水の匂いのする、腰のラインが艶かしいお姉さんみたいな演奏と
律儀で楽譜通りにやってますよ、と言う演奏とどちらが聴きたいですか?

また、ワグナーのドロドロの愛憎劇の後ろを天国の様なオーケストレーションが流れる場面で
どんな音楽に打ちのめされたいでしょうか

他にもシベリウスやグラナドスにロシア民謡など強い訛りのある音楽が好きなので、困っちゃうんですねえ





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ウクライナ国立の「カルメン」

ウクライナの情勢不安から1年が過ぎて
自分では何もできる事がないのかと思っていたこの時期です

ある朝の新聞でウクライナ国立歌劇場の引越し公演が長野であることを知り
せめてもの・・・気持ちだけですがお高い席を購入して行って来ました
と言っても、いつもの通り
2階席 最前列 中央通路の脇っていう上席が空いていたから買ったのですけれどね



多くのクラシックオペラは、スマホやネットどころかテレビも映画もない時代に作られたエンターテイメントの主役です

より多くの娯楽要素を求められていましたから、昼メロドラマや歌謡番組を想起させる場面も多くあります
オペラ以外のエンタメに事欠かない現代人にとってはある種異質な文化を感じますね

一例として「フィガロ」を見ると(CDの音だけではよく分からない)分かりますが
前半はストーリーのある物語(まあ、他愛もないメロドラマ)ですが、後半はアリアを順番に歌う歌合戦の様相を示します

また、多くの作品で舞踏会やダンスチューンのコーナーがあって盛り沢山、特にトルコなどエキゾチックな踊りが人気のようでした
今時のように簡単には海外旅行ができない当時には、オリエンタルな文化に関心があったのでしょうね

それらを前にして座り続けるのは実はそれなりの「修行」であって、退屈のあまり不覚にも居眠りとの戦いを強いられるものです


その中で、全曲を通して覚えているので絶対に眠らない鉄板の三作品があります


1・カルメン
2・ラ・ボエーム
3・カバレリア


この次のグループには

1・こうもり
2・アイーダ
3・神々
4・ファウスト

なんですけど「神々」なんか長野では絶対に掛からないので実質6曲、
まだ未体験のカバレリアとファウストも大都市での公演待ちですが、国内では難しいでしょうか


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小さな小屋の狭いピットにしては中々の編成のオケでした
1stVnで8から10丁
チェロが2本、コンバスは3本もありましたし、ホルンは4管という盤石の構え

二階席の私の所では低音は十二分のバランス、一階席でもある程度良かったのではないかと思います
(ステージ下のピットで演奏するオペラの場合、土間席で聞くと多くの場合ハイ・バランスになって腹が立つ)


オペラの実演ではいつも2つのことに感心します

1、録音と同じクオリティで聴ける

POPSのコンサートを基準に考えるととんでもない事です
音楽の流れが(テイクのやり直しの出来る)レコードを聞いているのと変わらないのですから
それも2時間もの間、何十人という演奏者、歌手が楽譜・ト書き通りに演奏出来るんですよ

それだけでもすごい事、どれだけ練習してるんだ!と頭が下がる思いです

当たり前だろ、と思ったそこの貴方・・・そうでもない時も結構あるんですよ・・・「生」だけに




2、やっぱり欧州の音は全然違う

オーディオとの音の差もそうですが、日本のオケとの音の差も随分と感じます

私はよく「発情期の猫の泣き声のよう」と表現するんですが
ヴァイオリンにしても人の声にしても、一度喉の奥で声を含んでから出すような出音の仕方に
毎回、強烈にヨーロッパの土地と文化、時間の蓄積を感じます

M・カラスやD・F・ディースカウの発声を聞くと一聴瞭然なんですけれど


一般論ですが
優秀と言われるオーディオほど、実演で聞かれる音との乖離を感じてしまう傾向があるのです

ヴァイオリンからは薄くて乾いた板の音が聴こえるはずなんですが、金属製ヴァイオリンの音になってはしないだろうか?
自分自身の家も例外でなくしっかりと見つめたいと思った


まあ、身も蓋もない話をしちゃうと録音された時点でかなりマズいのもあると思うんですが
「あの感じ」を聞き手が自分の中に感覚として持っているかどうかが一番のハードルだと思います

どのCDやレコードを聴くかの選択からが自分のオーディオの責任ですからね








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