レコード:小屋主論 (オマージュ for 菅野先生)
2005年に、オーディオ評論界の重鎮であられる菅野沖彦先生が「新レコード演奏家論」(ステレオサウンド社刊)を著された。
早速私も1冊を購入に及び読ませて頂いた。
とんでもない暴挙をお許し頂き、その精神の概要を自分なりに要約してみる。
氏、曰く
「レコードは、鑑賞者が針を下ろし、ヴォリュームを上げて初めてその価値を発揮するものである。
すなわち、レコードとは2度の「演奏」を経て初めてその価値が創造されるもので
1度目は、実際の収録時に楽曲をプレイした演奏家 (音楽のプレーヤー)
2度目は、レコードの鑑賞時にプレイバックを行う演奏家 (再生のプレーヤー)
の、二人(組)のプレーヤーを必要とする。
楽器の演奏家は、稀有なる才能がその身を削るがごとき切磋琢磨の末に、自身の芸術的成果を世に問うている。
しかし、その価値は再生の如何によって、輝きもするし凡庸にも終わる可能性もある。
よって、再生の演奏家においても、自らの感性と知性の限りを尽くしてそれにあたりたい。」

このように読ませて頂きました。
さて、自分自身としてはそれ程高い志は持てそうにないので、自分なりにレコードとの係わり合いの姿を考えてみた。もう4年も前のことなんですね。
「レコード:小屋主論」
小屋主とは、地方の小さな映画館の社長さんや、寄席の席亭など演劇場のオーナーをイメージしたものです。
小なりとはいえ劇場であれば幾人かの人手で運営されますが、レコードを聴く行為は個人的なものですから、私一人で各種の役割をこなさなければなりません。
では、順を追って、小さな映画館を例にとって夫々の役割を見てみましょう。
「小屋主」
オーナーですね。
お金を払って小屋(リスニングルーム)を用意し、映写機や音響設備(そのまま)を準備します。
自分の好きな装置を購入し、好きな映画(レコード)を上映できるような気ままなオーナーは少ないでしょうが、私たちは営利ではないので幸せですね。
「オペレーター」
オーナーが買ってきたフィルムを映写機にかけて上映する技師さんです。
機材への限りない愛情と自身の仕事への誇りを持っていますが、裏方ながらの人の良さと頑固一徹さを併せ持っています。
言うまでもありませんが、アンプの火を入れたり、プレーヤーを回し、レコードをセットしたり、ヴォリュームをコントロールすることです。また、機材の不具合や消耗品の交換といった管理面の責任も負っています。
「メーカーサービスマン」
唯一社外の人間ですが、地方館故に旧式の機材を使い続けている当館には欠かざる人材です。
勿論、機材の不具合に際しては急遽駆けつけて修理を行います。
「もぎりのおばちゃん」
偶に同好の士が訪ねてくれることもありますので、駅まで迎えにでたりインターからの道案内をすることもあります。
子供の頃、親に手を引かれて行った小さな映画館で一番印象に残っているのは、入口付近のこの切符売り場の光景です。薄っすらと、大人の世界を覗いたというか、背徳の匂いを嗅ぎ取ってましたね。
この仕事は、オーナーの年老いた母親か奥様がしていそうです。
「売店のおねえちゃん」
客人が見えた時には、お茶を出したり駄菓子を給する役目です。
地方の館でも、近所のかわいいお嬢さんが働いてくれれば客の入りは良いのでしょうが。
最期に「お客」
レコードの針を下ろして、ヴォリュームも上げた。お茶も準備されればあとは椅子に腰を下ろし心ゆくまで音楽を楽しむだけです。
日頃は感じなくとも、色々な役目を一人でこなしているものです。
「小屋主論」ですから、「論」をちょっとだけ書きます。
気をつけていることは、三権分立じゃないですが、各々の立場を出来るだけごちゃごちゃにしないようにしています。
つまり、情緒と倫理の境を曖昧にしないようにしているわけです。
例えば、客の時は音に文句を付けないで、内容だけを享受する。
サービスマンの時は、いい音にして客に喜んでもらおう!なんて余計なことを考えずにマニュアル通りに、きっちりとした作業に徹する。・・・・などなど。
もともと菅野先生の本がそうなので、ちょっとベテラン向きのお話になってしまい失礼しました。
読んで頂いた方が其々のお立場で、お汲み取り頂ければ幸いです。
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早速私も1冊を購入に及び読ませて頂いた。
とんでもない暴挙をお許し頂き、その精神の概要を自分なりに要約してみる。
氏、曰く
「レコードは、鑑賞者が針を下ろし、ヴォリュームを上げて初めてその価値を発揮するものである。
すなわち、レコードとは2度の「演奏」を経て初めてその価値が創造されるもので
1度目は、実際の収録時に楽曲をプレイした演奏家 (音楽のプレーヤー)
2度目は、レコードの鑑賞時にプレイバックを行う演奏家 (再生のプレーヤー)
の、二人(組)のプレーヤーを必要とする。
楽器の演奏家は、稀有なる才能がその身を削るがごとき切磋琢磨の末に、自身の芸術的成果を世に問うている。
しかし、その価値は再生の如何によって、輝きもするし凡庸にも終わる可能性もある。
よって、再生の演奏家においても、自らの感性と知性の限りを尽くしてそれにあたりたい。」

このように読ませて頂きました。
さて、自分自身としてはそれ程高い志は持てそうにないので、自分なりにレコードとの係わり合いの姿を考えてみた。もう4年も前のことなんですね。
「レコード:小屋主論」
小屋主とは、地方の小さな映画館の社長さんや、寄席の席亭など演劇場のオーナーをイメージしたものです。
小なりとはいえ劇場であれば幾人かの人手で運営されますが、レコードを聴く行為は個人的なものですから、私一人で各種の役割をこなさなければなりません。
では、順を追って、小さな映画館を例にとって夫々の役割を見てみましょう。
「小屋主」
オーナーですね。
お金を払って小屋(リスニングルーム)を用意し、映写機や音響設備(そのまま)を準備します。
自分の好きな装置を購入し、好きな映画(レコード)を上映できるような気ままなオーナーは少ないでしょうが、私たちは営利ではないので幸せですね。
「オペレーター」
オーナーが買ってきたフィルムを映写機にかけて上映する技師さんです。
機材への限りない愛情と自身の仕事への誇りを持っていますが、裏方ながらの人の良さと頑固一徹さを併せ持っています。
言うまでもありませんが、アンプの火を入れたり、プレーヤーを回し、レコードをセットしたり、ヴォリュームをコントロールすることです。また、機材の不具合や消耗品の交換といった管理面の責任も負っています。
「メーカーサービスマン」
唯一社外の人間ですが、地方館故に旧式の機材を使い続けている当館には欠かざる人材です。
勿論、機材の不具合に際しては急遽駆けつけて修理を行います。
「もぎりのおばちゃん」
偶に同好の士が訪ねてくれることもありますので、駅まで迎えにでたりインターからの道案内をすることもあります。
子供の頃、親に手を引かれて行った小さな映画館で一番印象に残っているのは、入口付近のこの切符売り場の光景です。薄っすらと、大人の世界を覗いたというか、背徳の匂いを嗅ぎ取ってましたね。
この仕事は、オーナーの年老いた母親か奥様がしていそうです。
「売店のおねえちゃん」
客人が見えた時には、お茶を出したり駄菓子を給する役目です。
地方の館でも、近所のかわいいお嬢さんが働いてくれれば客の入りは良いのでしょうが。
最期に「お客」
レコードの針を下ろして、ヴォリュームも上げた。お茶も準備されればあとは椅子に腰を下ろし心ゆくまで音楽を楽しむだけです。
日頃は感じなくとも、色々な役目を一人でこなしているものです。
「小屋主論」ですから、「論」をちょっとだけ書きます。
気をつけていることは、三権分立じゃないですが、各々の立場を出来るだけごちゃごちゃにしないようにしています。
つまり、情緒と倫理の境を曖昧にしないようにしているわけです。
例えば、客の時は音に文句を付けないで、内容だけを享受する。
サービスマンの時は、いい音にして客に喜んでもらおう!なんて余計なことを考えずにマニュアル通りに、きっちりとした作業に徹する。・・・・などなど。
もともと菅野先生の本がそうなので、ちょっとベテラン向きのお話になってしまい失礼しました。
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良い音ってなんだ (スピーカーの成長 2)
前回からの続きです。
第4段階に向かう道程には深くて幅広い溝が横たわっているかのようです。
あまりに長時間音の変化が無いと、心が折れてしまいそうになるのが人情といえるものですが、ここからが踏ん張りどころです。
第3段階を確定できれば、これまでとは別次元で環境の変化に敏感に反応しますので下に敷くものやケーブルに対して、正しい判断を下すことが出来るようになりますから試してみましょう。
変化を与えると一旦は調子を落としますが、回復までにそう時間は掛かりません。
上手くいくと前に進む推進力になる可能性もあります。
<<アクセサリーの類は「音がイマイチだから、何とか良くしよう」と思って使ったら泥沼まっしぐらです>>
この時の留意点は、必ず可逆変化に留めておく事です。
どれほど理論的に優れていると思っても、友人宅でどれ程絶大な効果を挙げた結果でも、まして販売店がどれほど強力に勧めても、自分の装置でも成功する保証は何一つありません。
オーディオはそれ程甘くないということは、この駄文を続けて読んでいただいている貴方には、もう充分(高い授業料を払って)お解かり頂いているはずです。
いつでも元の状態に戻せるようにしておくことが重要です。

[盛年期=第4段階]
誠におめでとうございます。そして、長いながい心労をお察し致します。
このステージに至ると、これまでの音楽鑑賞、オーディオ体験では中々経験でき得ない現象も見られるようになります。
第4段階の代表的な事例を幾つか列挙しておきます。
①例えばALTEC A-7などの高音ユニットが上部に有る2Wayで、ウーハーより下の位置に音像が定位する。
それがピッコロやトライアングルのような最高域の楽器でも、ウーハーより下から聴こえてきます。
②レコードの再生時間が非常にゆっくりと感じられます。
随分聴いたと思い、レコードに目をやると、まだ半分も行ってない!
脳に達する情報量が桁違いに増えるので脳の満腹感が早いのでしょうか。
③曲の高揚感に従い、部屋の空気が急激に膨張したり、収縮する感覚を覚えます。
スピーカーの振幅が、確実に部屋全体の空気を掴んで動かしている証拠です。音量の大小というよりは、曲想によって空気の膨張を察することでしょう。
レコードを聴き続けていると有る時突然(何故かいつも深夜)音の変化を感じます。
でも、次の日には元に戻っています。
変化は、次第に頻繁に、聴き始めから短時間のうちに訪れるようになり、ほぼ毎日上記の状態が続けば第4段階と認定しましょう。
[聖年期=第5段階]
ついにここまでたどり着きました。
心躍らせてスピーカーの到着を待ったあの日から、早や5年の歳月が流れているかも知れません。
ここでは、スピーカーの振動板は、かなりの確度でレコードの溝に刻まれた情報に対してリニアに動いています。
それは、思ってもいなかった現象を引き起こします。
試聴室や友人宅で聞き比べると、スピーカーは機種によって音色にかなりの差異(特徴)があると思っていたはずです。(個性、好みという便利な表現で括っていました)
しかし、この段階にあるスピーカーは音色の個性を感じなく(あっても極小に)なり、同じレコードならば、どのスピーカーで聴いても殆ど同じ音に聴こえてきます。
勝手な想像を駆使して考えると、2Wayスピーカーなら左右高低4個のユニットの時間位相がほぼ揃った状態だと思っています。
⇒揃えることがいかに難しいか。ここらが、フルレンジを好まれる方もいらっしゃる理由かと思います。
楽器のファンダメンダルに対して各倍音が時間的にほぼ揃って耳に達している状態!(想像しただけでゾクゾクしますね)
このことが、私は「スピーカー(や他の装置)は何でもいいんだ」と思うようになった理由です。
最終的にはレコードの音になっちゃいますから、どの機種でも同じ「音=音楽」が聴けるのです。
また、スピーカーが2台以上あっても出てくる音に目くじらを立てるほどの相違が無く、並べて置く必要性も消えたので今は1台だけで何の不満も寂しさもありません。(2号さんが同居すると本妻が嫉妬をしやしないかという危惧もあります)
勿論、この段階ならではの機種による音の個性はあります。(素材も構造も違えば当然ですね)
フグやヒラメを味わう如くに淡い違いですが、貴方の家のスピーカーがこの段階の音で鳴っているのであれば、間違いなく貴方はその違いを聞き分けるだけの「聴く力」を獲得していますから心配は要りません。
(貴方の家で鳴る音は、貴方の「聴く能力」を上回ることは無いのですから)
ここまで読んで頂ければもうお気付きと思いますが、私が装置の購入に際してオーディオ誌の「試聴記事」を参考にしたり、オーディオ店で試聴をしない理由がお解かり頂けると思います。
スピーカーは(ほかの機器はさらに微妙な差でしかありません)身銭を切って数年間我慢しないとその本当の音を掴むことが出来ないと考えているからです。
そして、どの機種も結局1つの音(多分、自分の音)になるから、成長していない段階のレポートや試聴は全くの無意味でしかありません。
一流の造りであれば、この段階まで到達する可能性はどのスピーカーにもあります。
横道が長くなりましたが、第5段階と認定できるポイントは
①レコードを聴いていると、急に音量感を感じなくなる。
ヴォリュームを下げていないのに、急に音が小さく感じるようになります。なんだかとても遠くから聞こえてくるような。
少々物足りなくなり、ヴォリュームを上げてしまうのでとなりの部屋の人は相当うるさいでしょうから、お気をつけ下さい。
②オペラで言えば場面転換の時に(長調⇔短調)、部屋の空気の色が変わったかのような印象を受けます。
実際の舞台では舞台照明を変える事で、ストーリーの心情表現をアシストしますが、この段階では音の表情だけで、感情の動きを如実に表すことが出来ます。
POPsでも、マイナーに転調した瞬間、「おおー」っと身を乗り出したりします。
曲が終わると、部屋には他に誰もいないのに、思わず拍手をしなければならない衝動に駆られるのもこの段階の特徴です。
左右のスピーカーの間の空間の奥に、3畳程の部屋がポッカリと出現し、人形ほどの楽団員が整列し、シンフォニーを演奏している。それを隣の部屋から覗いている感覚を覚えるようになったら、「音を耳で聴く」一つの到達点に至ったと言って良いのではないでしょうか。

膨大な文字を皆さんに読んで頂きました。
ここまで、読ませておいて「耳が装置の音に慣れてくるだけで、実はスピーカーの音は全然かわってないんだよーん」なんてのがオチでしたら、絞め殺されるかもしれませんね。
でも、ご安心下さい。
これまでは、「耳で聴くスピーカーの成長過程」でしたが、この先に天使の来訪があり、それは耳で聴くこととは違うような気がします。
多分!大丈夫でしょう。 たぶん・・・
何時か、天使のことも書きますね。 (最近、お見かけしていないので・・・書けない
)
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第4段階に向かう道程には深くて幅広い溝が横たわっているかのようです。
あまりに長時間音の変化が無いと、心が折れてしまいそうになるのが人情といえるものですが、ここからが踏ん張りどころです。
第3段階を確定できれば、これまでとは別次元で環境の変化に敏感に反応しますので下に敷くものやケーブルに対して、正しい判断を下すことが出来るようになりますから試してみましょう。
変化を与えると一旦は調子を落としますが、回復までにそう時間は掛かりません。
上手くいくと前に進む推進力になる可能性もあります。
<<アクセサリーの類は「音がイマイチだから、何とか良くしよう」と思って使ったら泥沼まっしぐらです>>
この時の留意点は、必ず可逆変化に留めておく事です。
どれほど理論的に優れていると思っても、友人宅でどれ程絶大な効果を挙げた結果でも、まして販売店がどれほど強力に勧めても、自分の装置でも成功する保証は何一つありません。
オーディオはそれ程甘くないということは、この駄文を続けて読んでいただいている貴方には、もう充分(高い授業料を払って)お解かり頂いているはずです。
いつでも元の状態に戻せるようにしておくことが重要です。

[盛年期=第4段階]
誠におめでとうございます。そして、長いながい心労をお察し致します。
このステージに至ると、これまでの音楽鑑賞、オーディオ体験では中々経験でき得ない現象も見られるようになります。
第4段階の代表的な事例を幾つか列挙しておきます。
①例えばALTEC A-7などの高音ユニットが上部に有る2Wayで、ウーハーより下の位置に音像が定位する。
それがピッコロやトライアングルのような最高域の楽器でも、ウーハーより下から聴こえてきます。
②レコードの再生時間が非常にゆっくりと感じられます。
随分聴いたと思い、レコードに目をやると、まだ半分も行ってない!
脳に達する情報量が桁違いに増えるので脳の満腹感が早いのでしょうか。
③曲の高揚感に従い、部屋の空気が急激に膨張したり、収縮する感覚を覚えます。
スピーカーの振幅が、確実に部屋全体の空気を掴んで動かしている証拠です。音量の大小というよりは、曲想によって空気の膨張を察することでしょう。
レコードを聴き続けていると有る時突然(何故かいつも深夜)音の変化を感じます。
でも、次の日には元に戻っています。
変化は、次第に頻繁に、聴き始めから短時間のうちに訪れるようになり、ほぼ毎日上記の状態が続けば第4段階と認定しましょう。
[聖年期=第5段階]
ついにここまでたどり着きました。
心躍らせてスピーカーの到着を待ったあの日から、早や5年の歳月が流れているかも知れません。
ここでは、スピーカーの振動板は、かなりの確度でレコードの溝に刻まれた情報に対してリニアに動いています。
それは、思ってもいなかった現象を引き起こします。
試聴室や友人宅で聞き比べると、スピーカーは機種によって音色にかなりの差異(特徴)があると思っていたはずです。(個性、好みという便利な表現で括っていました)
しかし、この段階にあるスピーカーは音色の個性を感じなく(あっても極小に)なり、同じレコードならば、どのスピーカーで聴いても殆ど同じ音に聴こえてきます。
勝手な想像を駆使して考えると、2Wayスピーカーなら左右高低4個のユニットの時間位相がほぼ揃った状態だと思っています。
⇒揃えることがいかに難しいか。ここらが、フルレンジを好まれる方もいらっしゃる理由かと思います。
楽器のファンダメンダルに対して各倍音が時間的にほぼ揃って耳に達している状態!(想像しただけでゾクゾクしますね)
このことが、私は「スピーカー(や他の装置)は何でもいいんだ」と思うようになった理由です。
最終的にはレコードの音になっちゃいますから、どの機種でも同じ「音=音楽」が聴けるのです。
また、スピーカーが2台以上あっても出てくる音に目くじらを立てるほどの相違が無く、並べて置く必要性も消えたので今は1台だけで何の不満も寂しさもありません。(2号さんが同居すると本妻が嫉妬をしやしないかという危惧もあります)
勿論、この段階ならではの機種による音の個性はあります。(素材も構造も違えば当然ですね)
フグやヒラメを味わう如くに淡い違いですが、貴方の家のスピーカーがこの段階の音で鳴っているのであれば、間違いなく貴方はその違いを聞き分けるだけの「聴く力」を獲得していますから心配は要りません。
(貴方の家で鳴る音は、貴方の「聴く能力」を上回ることは無いのですから)
ここまで読んで頂ければもうお気付きと思いますが、私が装置の購入に際してオーディオ誌の「試聴記事」を参考にしたり、オーディオ店で試聴をしない理由がお解かり頂けると思います。
スピーカーは(ほかの機器はさらに微妙な差でしかありません)身銭を切って数年間我慢しないとその本当の音を掴むことが出来ないと考えているからです。
そして、どの機種も結局1つの音(多分、自分の音)になるから、成長していない段階のレポートや試聴は全くの無意味でしかありません。
一流の造りであれば、この段階まで到達する可能性はどのスピーカーにもあります。
横道が長くなりましたが、第5段階と認定できるポイントは
①レコードを聴いていると、急に音量感を感じなくなる。
ヴォリュームを下げていないのに、急に音が小さく感じるようになります。なんだかとても遠くから聞こえてくるような。
少々物足りなくなり、ヴォリュームを上げてしまうのでとなりの部屋の人は相当うるさいでしょうから、お気をつけ下さい。
②オペラで言えば場面転換の時に(長調⇔短調)、部屋の空気の色が変わったかのような印象を受けます。
実際の舞台では舞台照明を変える事で、ストーリーの心情表現をアシストしますが、この段階では音の表情だけで、感情の動きを如実に表すことが出来ます。
POPsでも、マイナーに転調した瞬間、「おおー」っと身を乗り出したりします。
曲が終わると、部屋には他に誰もいないのに、思わず拍手をしなければならない衝動に駆られるのもこの段階の特徴です。
左右のスピーカーの間の空間の奥に、3畳程の部屋がポッカリと出現し、人形ほどの楽団員が整列し、シンフォニーを演奏している。それを隣の部屋から覗いている感覚を覚えるようになったら、「音を耳で聴く」一つの到達点に至ったと言って良いのではないでしょうか。

膨大な文字を皆さんに読んで頂きました。
ここまで、読ませておいて「耳が装置の音に慣れてくるだけで、実はスピーカーの音は全然かわってないんだよーん」なんてのがオチでしたら、絞め殺されるかもしれませんね。
でも、ご安心下さい。
これまでは、「耳で聴くスピーカーの成長過程」でしたが、この先に天使の来訪があり、それは耳で聴くこととは違うような気がします。
多分!大丈夫でしょう。 たぶん・・・
何時か、天使のことも書きますね。 (最近、お見かけしていないので・・・書けない

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良い音ってなんだ (スピーカーの成長)
随分長い間、夢の為に自分に厳しく生きてきました。
もしかしたら、昼食を500円に抑えたり、好きな煙草を控えていたのかも知れません。
こつこつ貯めた貯金に、不景気の影響で数年前より目減りしたとはいえ今年も貰えた夏のボーナスを最後のダメ押しにして、夢にまで見た今日を迎えたのです。

今日のお話はこれを読んでくださっている貴方が主役です。
憧れの大型スピーカーをついに購入したのです。・・・オメデトウ! そんな晴れの日を迎えた心算で読んで頂けるとありがたいです。
これまでは所謂ブックシェルフ型のスピーカーでした。
長年の間、あちらこちらで試聴を繰り返し、検討に検討を重ねて選んだ1台です。
ALTECのA-7でもTannoyのフロアー型でもかまいません。憧れのスピーカーを手中に収めた日のことを思い浮かべてみて下さい。
家人を煙に巻きつつアンプだけは手抜かりなく大型スピーカーに見合うものを既に揃えてあります。
逸る気持ちを抑え、とりあえず結線を終了し、第一声を聞きました。
こんなはずじゃない!
そうです。磁気回路が強力で、コシの強い振動板を持った「卓抜な」スピーカーは、それが優秀であれば有るほど長い時間をかけて成長を待たなければ良い音にはなりません。
これは当たり前のこととして、オーディオ店やマニアの同胞に相談などしてはいけません。やれ、アンプが良くないだの、インシュレーターが必要だなど、果てはコードを変えろだの、方角が悪いだの先祖の供養にツボを買えだのと・・・
愚にも付かない出費を強いるばかりです。
スピーカーは成長の過程で音の傾向を変化させて行きますから、きちんと鳴ってからでないとアクセサリーや対策品をその度に何回も買い直さなければいけません。
雑誌に書いてある「確実に音の良くなる秘法」はもっと、ずっと後に試して下さい。
スピーカーがそれ自身で良い音を出す術を身に付けるまでは、最初におよその傾向付けをする位にしておきましょう。何かをいじると、その度に「0」からやり直しになってしまうかもしれません。

では、私の感じた範囲でスピーカーの成長過程を書いてみます。
全てこの通りでは無いと思いますが、これまでに使用したスピーカーはほぼ同じ育ち方だったように思います。
また、ある程度の段階まで行ってしまえば、何かを変更しても短期間で元のクオリティーに戻れるようです。
[導入段階=第1段階]
これは凹みます。
オーケストラですと、左右2台のスピーカーから直接2団体が演奏しているように聞こえます。
ピアノなら2台で連弾しているようなものです、ソロなのに。
センターからは何も聞こえないんじゃないか?というほどのこともあります。
劇場用スピーカーなどで長いこと使われていなかったものや、ウーハーが馬鹿げて強力なものほどこの傾向は強いように思います。Eurodynは2機種ともそうでした。それと、WE728B・・・くそー。思い出しても苦しい。でも結果的にはこの2機種は他を圧倒するパフォーマンスを示した訳です。
逆に、我が家では、JensenのType-HやVitavoxは始めからあまり苦労しませんでした。Lowtherもアコースタは穏やかでしたが、PW-2クラスになるとよっぽど手強かったです。
また、前のオーナーがきちんと鳴らしていた物は、始めは良い音がします。でも、金魚と一緒で水槽が変わると、結局一度は愚図りますね。
導入して半年も経つと、音は大分落ち着いてきます。
まだ、元気が良過ぎるというか、上滑りな印象が残ります。
我が家も含めてですが、オーディオマニアのお宅で鳴っているスピーカーは、けっこうな数がこの段階ではなかろうかと、不吉なことを言ってみたりします。
弄りすぎたり、我慢できずに「グレードアップ」と称してスピーカー自体を交換してしまったり。結局、次のステップに進めずにいつも第1段階の音ばかりを聴いているのが、良い音を求めているはずなのに機械いじりも好きなマニアという人類の宿命なのかも知れません。
Europaを使うようになってやっとそれまでの反省が活きて、2年ほど我慢して鳴らし続けたので少し進みましたが、初めての経験だったWE728Bの頃は奮闘しすぎて7年も掛かっちゃいました。
若かったからいいけど、今から7年もかけたら・・・死んじゃいそうです。
[初期段階=第2段階]
1年が過ぎた頃、随分と音がほぐれてきたように感じます。
左右のスピーカーからの直接音はまだ強いのですが、センターからも楽器が聞こえてきます。
ヴォーカルやピアノソロならば、かなりセンターだけから聞こえるようになりました。
ただ、フォルテの一撃が来ると、音が妙に前へ迫ってくる感じがします。
Jazzを聴かれる方の中には、ソロ演奏の時に音が迫って来て欲しいということで、この傾向を推し進めて聴くことを好まれる方も見えるようです。
山口氏でしたか、「オーディオとは別の世界にJazzオーディオなるものが存在する」と書かれていましたが、まさにその通りだと思います。
特にオンマイクで録られたレコードには有効な手段かもしれません。趣味の世界は奥が深いもので、パラレルワールドを熱く生きる人の再生を聴いても素晴らしい物には等しく感動できるものです。
私はそちらの世界には暗いので、段階を進めていきましょう。
[青年期=第3段階]
導入から1年半程経ち、音質もかなり滑らかになってきました。
ヴァイオリンやチェロバスが手前で、管楽器は後方から聴こえるようになりました。
スピーカーの左右の間隔の1/2程度の奥行きが感じられます。
毎日、レコードで音楽を聴くのが楽しくなってきます。
「俺んちも結構いけてるじゃん!」
気が付くと、帰宅時間が早くなったような。兎に角、毎日少しでも長く音楽を聴いていたい。
家族サービスさえ怠らなければ家庭円満ですね。
このまま順調に成長を続けると、左右の間隔と同じくらいの奥行き感が得られ、いよいよ次のステージへ進むキッップを手に入れることが出来ます。
しかし、ここまでは、無用な「オーディオ的対策」をしなければ比較的達成し易いと思いますが、次のステージへ進むには、かなり長く険しい道が待っていると感じています。
私の家のEuropaも普段聴ける音は、この次の段階への成長過程の音だと思っています。
深夜まで聴き続けていられるときは、時々その気配を感じされるようになってきましたが、まだ第4段階と認定するには時期早焦のようです。
では、次回に後編です。
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もしかしたら、昼食を500円に抑えたり、好きな煙草を控えていたのかも知れません。
こつこつ貯めた貯金に、不景気の影響で数年前より目減りしたとはいえ今年も貰えた夏のボーナスを最後のダメ押しにして、夢にまで見た今日を迎えたのです。

今日のお話はこれを読んでくださっている貴方が主役です。
憧れの大型スピーカーをついに購入したのです。・・・オメデトウ! そんな晴れの日を迎えた心算で読んで頂けるとありがたいです。
これまでは所謂ブックシェルフ型のスピーカーでした。
長年の間、あちらこちらで試聴を繰り返し、検討に検討を重ねて選んだ1台です。
ALTECのA-7でもTannoyのフロアー型でもかまいません。憧れのスピーカーを手中に収めた日のことを思い浮かべてみて下さい。
家人を煙に巻きつつアンプだけは手抜かりなく大型スピーカーに見合うものを既に揃えてあります。
逸る気持ちを抑え、とりあえず結線を終了し、第一声を聞きました。
こんなはずじゃない!
そうです。磁気回路が強力で、コシの強い振動板を持った「卓抜な」スピーカーは、それが優秀であれば有るほど長い時間をかけて成長を待たなければ良い音にはなりません。
これは当たり前のこととして、オーディオ店やマニアの同胞に相談などしてはいけません。やれ、アンプが良くないだの、インシュレーターが必要だなど、果てはコードを変えろだの、方角が悪いだの先祖の供養にツボを買えだのと・・・
愚にも付かない出費を強いるばかりです。
スピーカーは成長の過程で音の傾向を変化させて行きますから、きちんと鳴ってからでないとアクセサリーや対策品をその度に何回も買い直さなければいけません。
雑誌に書いてある「確実に音の良くなる秘法」はもっと、ずっと後に試して下さい。
スピーカーがそれ自身で良い音を出す術を身に付けるまでは、最初におよその傾向付けをする位にしておきましょう。何かをいじると、その度に「0」からやり直しになってしまうかもしれません。

では、私の感じた範囲でスピーカーの成長過程を書いてみます。
全てこの通りでは無いと思いますが、これまでに使用したスピーカーはほぼ同じ育ち方だったように思います。
また、ある程度の段階まで行ってしまえば、何かを変更しても短期間で元のクオリティーに戻れるようです。
[導入段階=第1段階]
これは凹みます。
オーケストラですと、左右2台のスピーカーから直接2団体が演奏しているように聞こえます。
ピアノなら2台で連弾しているようなものです、ソロなのに。
センターからは何も聞こえないんじゃないか?というほどのこともあります。
劇場用スピーカーなどで長いこと使われていなかったものや、ウーハーが馬鹿げて強力なものほどこの傾向は強いように思います。Eurodynは2機種ともそうでした。それと、WE728B・・・くそー。思い出しても苦しい。でも結果的にはこの2機種は他を圧倒するパフォーマンスを示した訳です。
逆に、我が家では、JensenのType-HやVitavoxは始めからあまり苦労しませんでした。Lowtherもアコースタは穏やかでしたが、PW-2クラスになるとよっぽど手強かったです。
また、前のオーナーがきちんと鳴らしていた物は、始めは良い音がします。でも、金魚と一緒で水槽が変わると、結局一度は愚図りますね。
導入して半年も経つと、音は大分落ち着いてきます。
まだ、元気が良過ぎるというか、上滑りな印象が残ります。
我が家も含めてですが、オーディオマニアのお宅で鳴っているスピーカーは、けっこうな数がこの段階ではなかろうかと、不吉なことを言ってみたりします。
弄りすぎたり、我慢できずに「グレードアップ」と称してスピーカー自体を交換してしまったり。結局、次のステップに進めずにいつも第1段階の音ばかりを聴いているのが、良い音を求めているはずなのに機械いじりも好きなマニアという人類の宿命なのかも知れません。
Europaを使うようになってやっとそれまでの反省が活きて、2年ほど我慢して鳴らし続けたので少し進みましたが、初めての経験だったWE728Bの頃は奮闘しすぎて7年も掛かっちゃいました。
若かったからいいけど、今から7年もかけたら・・・死んじゃいそうです。
[初期段階=第2段階]
1年が過ぎた頃、随分と音がほぐれてきたように感じます。
左右のスピーカーからの直接音はまだ強いのですが、センターからも楽器が聞こえてきます。
ヴォーカルやピアノソロならば、かなりセンターだけから聞こえるようになりました。
ただ、フォルテの一撃が来ると、音が妙に前へ迫ってくる感じがします。
Jazzを聴かれる方の中には、ソロ演奏の時に音が迫って来て欲しいということで、この傾向を推し進めて聴くことを好まれる方も見えるようです。
山口氏でしたか、「オーディオとは別の世界にJazzオーディオなるものが存在する」と書かれていましたが、まさにその通りだと思います。
特にオンマイクで録られたレコードには有効な手段かもしれません。趣味の世界は奥が深いもので、パラレルワールドを熱く生きる人の再生を聴いても素晴らしい物には等しく感動できるものです。
私はそちらの世界には暗いので、段階を進めていきましょう。
[青年期=第3段階]
導入から1年半程経ち、音質もかなり滑らかになってきました。
ヴァイオリンやチェロバスが手前で、管楽器は後方から聴こえるようになりました。
スピーカーの左右の間隔の1/2程度の奥行きが感じられます。
毎日、レコードで音楽を聴くのが楽しくなってきます。
「俺んちも結構いけてるじゃん!」
気が付くと、帰宅時間が早くなったような。兎に角、毎日少しでも長く音楽を聴いていたい。
家族サービスさえ怠らなければ家庭円満ですね。
このまま順調に成長を続けると、左右の間隔と同じくらいの奥行き感が得られ、いよいよ次のステージへ進むキッップを手に入れることが出来ます。
しかし、ここまでは、無用な「オーディオ的対策」をしなければ比較的達成し易いと思いますが、次のステージへ進むには、かなり長く険しい道が待っていると感じています。
私の家のEuropaも普段聴ける音は、この次の段階への成長過程の音だと思っています。
深夜まで聴き続けていられるときは、時々その気配を感じされるようになってきましたが、まだ第4段階と認定するには時期早焦のようです。
では、次回に後編です。
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AD-1シングルアンプ 完結編(現時点で)
ブログというのは結構なもので、日記などとてもつけないものぐさな私でも過去の記事を探すとことで行動の足取りが判ります。
それによると、7月1日にAD-1sアンプの改装を一段落したとあります。
あれから一月半過ぎての経過を振り返ります。
大規模な改変だったので音の変化もあったのですが、低域で緩い感じがあり「初段に新品の球を使ったから、時間が掛かるかな」と思っていました。それまでのREN904は都合10年以上付き合った仲です。
そんな折、昨晩、初段のカソード抵抗(セルフバイアス=我が家では珍しい)の値に適当な手持ちが無く、OMITEかDALEの巻き線抵抗を使っていたことに思い当たりました。

この低音の鳴り方というのがA-5とWestrexのアンプを使っていた時の感じと同じなのです。
上の写真のような木目の凸凹をなぞるがごとき、柔らかく包容力のある音です。
もしかしたらと、カソード抵抗に当たりを付けて、近似値の金属皮膜と取り替えてみました。

写真上がSIEMENSのもの。右はRFTのアンプで使われていた抵抗です。左はある人が「ドイツのアンプの音を特徴付けている」と言っていたMPコンデンサです。ホントかしら。
結果は・・・皆さんご想像の通り、いや、それ以上の違いでした。
まさに、ヘアライン加工した金属の表面の凸凹を指でなぞる感触です。
自分自身でもちょっと驚いた結果です。
低音の出方が変化するということは、高音が変化したことに他なりません。
今回の一件は私に、以前、遠来の客人に訪ねて頂いた時のことを思い出させました。
その時は、Zeissのアンプに不備があり低音が薄く、高音で刺激的な音が出ていたと思います。
遠路来て頂き、全く申し訳ないことをしたと今思い出しても赤面の至りです。
その方は、所謂「凄耳」といえるタイプの方で、帰りしなに、控えめにアンプの不備を指摘され(凄すぎる!)
「300Bを使ったアンプなどいかがだろうか」とご提案を頂きました。
大人の振る舞いと、的確なご指摘に深く感謝をしましたが、当面アンプを代える心算も、経済的余裕もありませんでした。
そして、今回の抵抗事件でその時の自分の気持ちがはっきりしたように思います。
バイオリンを例に取ると、教育を受けた先生の系列でボウイングの仕方に個性があるように感じます。ドイツではK・フレッシュやクーレンカンプに代表されるような、高音が若干丸くなる、というかくすんだ感じを受けます。
オーケストラになってもその個性は発揮され、各地域の楽団の特徴を形作っているようです。
英国のオケのバイオリンは「サーーー」と流れるように弾かれます。
(しかし近年、地球が狭くなりオケの個性が消えたと嘆かれています。なんとウィーンフィルに女性がいた!!!)
今回米国の抵抗から、ドイツの抵抗に換えたことでドイツのボウイングの音を取り戻すことになりました。
確かに、300B(知人のご指名は91アンプ)はたいそう立派なアンプで、その素晴らしさは充分に存じております。我が家の幾つかあるアンプよりも、多くの面で勝っているかもしれません。
しかしながら、どれ程素晴らしい「音」に成ったとしても、バンベルグ響のボウイングが英国や米国、その他の地域の楽団のように聴こえてしまっては、私にとってはとても困ったことになってしまいます。
私は、一流の社の物であれば、部品や製品に優劣は無いと思っています。
使う人間が何を求めるかによって、選択をするだけのことです。
「A」という製品はずば抜けて良い。などという表現は全くおかしなことで、
「B」から「A」に代えることによって、得る物もありますが同じだけ失う物もあることを知らなければなりません。
ドイツの抵抗に変えることによって、金属の強さを得た代わりに木目の暖かさを失ったのです。
米国の抵抗が劣っているのでも、優れているのでもなく、私の個性が逆の物を選択したに過ぎません。
オーディオのマーケットやジャーナリズムに溢れている「最高」や「理論的に優れている」という台詞に振り回されてはいけません。
以前は自身がそちら側にいたことに自戒の念も含めて書き止めておきます。
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それによると、7月1日にAD-1sアンプの改装を一段落したとあります。
あれから一月半過ぎての経過を振り返ります。
大規模な改変だったので音の変化もあったのですが、低域で緩い感じがあり「初段に新品の球を使ったから、時間が掛かるかな」と思っていました。それまでのREN904は都合10年以上付き合った仲です。
そんな折、昨晩、初段のカソード抵抗(セルフバイアス=我が家では珍しい)の値に適当な手持ちが無く、OMITEかDALEの巻き線抵抗を使っていたことに思い当たりました。

この低音の鳴り方というのがA-5とWestrexのアンプを使っていた時の感じと同じなのです。
上の写真のような木目の凸凹をなぞるがごとき、柔らかく包容力のある音です。
もしかしたらと、カソード抵抗に当たりを付けて、近似値の金属皮膜と取り替えてみました。

写真上がSIEMENSのもの。右はRFTのアンプで使われていた抵抗です。左はある人が「ドイツのアンプの音を特徴付けている」と言っていたMPコンデンサです。ホントかしら。
結果は・・・皆さんご想像の通り、いや、それ以上の違いでした。
まさに、ヘアライン加工した金属の表面の凸凹を指でなぞる感触です。
自分自身でもちょっと驚いた結果です。
低音の出方が変化するということは、高音が変化したことに他なりません。
今回の一件は私に、以前、遠来の客人に訪ねて頂いた時のことを思い出させました。
その時は、Zeissのアンプに不備があり低音が薄く、高音で刺激的な音が出ていたと思います。
遠路来て頂き、全く申し訳ないことをしたと今思い出しても赤面の至りです。
その方は、所謂「凄耳」といえるタイプの方で、帰りしなに、控えめにアンプの不備を指摘され(凄すぎる!)
「300Bを使ったアンプなどいかがだろうか」とご提案を頂きました。
大人の振る舞いと、的確なご指摘に深く感謝をしましたが、当面アンプを代える心算も、経済的余裕もありませんでした。
そして、今回の抵抗事件でその時の自分の気持ちがはっきりしたように思います。
バイオリンを例に取ると、教育を受けた先生の系列でボウイングの仕方に個性があるように感じます。ドイツではK・フレッシュやクーレンカンプに代表されるような、高音が若干丸くなる、というかくすんだ感じを受けます。
オーケストラになってもその個性は発揮され、各地域の楽団の特徴を形作っているようです。
英国のオケのバイオリンは「サーーー」と流れるように弾かれます。
(しかし近年、地球が狭くなりオケの個性が消えたと嘆かれています。なんとウィーンフィルに女性がいた!!!)
今回米国の抵抗から、ドイツの抵抗に換えたことでドイツのボウイングの音を取り戻すことになりました。
確かに、300B(知人のご指名は91アンプ)はたいそう立派なアンプで、その素晴らしさは充分に存じております。我が家の幾つかあるアンプよりも、多くの面で勝っているかもしれません。
しかしながら、どれ程素晴らしい「音」に成ったとしても、バンベルグ響のボウイングが英国や米国、その他の地域の楽団のように聴こえてしまっては、私にとってはとても困ったことになってしまいます。
私は、一流の社の物であれば、部品や製品に優劣は無いと思っています。
使う人間が何を求めるかによって、選択をするだけのことです。
「A」という製品はずば抜けて良い。などという表現は全くおかしなことで、
「B」から「A」に代えることによって、得る物もありますが同じだけ失う物もあることを知らなければなりません。
ドイツの抵抗に変えることによって、金属の強さを得た代わりに木目の暖かさを失ったのです。
米国の抵抗が劣っているのでも、優れているのでもなく、私の個性が逆の物を選択したに過ぎません。
オーディオのマーケットやジャーナリズムに溢れている「最高」や「理論的に優れている」という台詞に振り回されてはいけません。
以前は自身がそちら側にいたことに自戒の念も含めて書き止めておきます。
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プレーヤー Presto 64-A
Prestoのターンテーブルは、今日から晴れて「プレーヤー」の項目でお伝えできるようになりました。
とりあえず、予定の位置に置いてみました。

実際はもう少し暗い感じです。(14:57分撮影なのに)
2本のアームともリフターを用意して、(針の上げ下げの為というよりは不意の落下事故を回避する為ですが)使用する準備は整いました。
ですが、コードを組まなければならない。プリを組まなければならない。117vと220vの電源を引かなければならない。etc,etc・・・
早く音を出したいと気持ちは逸るのに、遠い道程の標識ばかりが目に入ります。
こんな時ほどフォーマットの決められたコンポーネント機材を羨ましく思うことはありません。
でも、しょうがないよね。これを好きでやってんだから。 だーれも励ましてはくれないので自分自身でなぐさめて前に進みましょう。

あまりに暗いので、少し明るくして撮ってみた。
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とりあえず、予定の位置に置いてみました。

実際はもう少し暗い感じです。(14:57分撮影なのに)
2本のアームともリフターを用意して、(針の上げ下げの為というよりは不意の落下事故を回避する為ですが)使用する準備は整いました。
ですが、コードを組まなければならない。プリを組まなければならない。117vと220vの電源を引かなければならない。etc,etc・・・
早く音を出したいと気持ちは逸るのに、遠い道程の標識ばかりが目に入ります。
こんな時ほどフォーマットの決められたコンポーネント機材を羨ましく思うことはありません。
でも、しょうがないよね。これを好きでやってんだから。 だーれも励ましてはくれないので自分自身でなぐさめて前に進みましょう。

あまりに暗いので、少し明るくして撮ってみた。
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メンテナンス Presto 64-A アームを付けてみた
天板が35mmもあるので穴あけが大変でした。
なんとかかんとか、アームを2本付け終えました。

音出しはもう少し先ですが、一つ心配事があります。
ターンテーブル自体はアルミ製でよく鳴きます。
以前使っていたGatesのターンテーブルも同じでしたが、叩くと善光寺さんの鐘より長く余韻を引くんじゃないかというくらい「ちーーーーーん」といい音をたてます。・・・合掌・・・
なのに、マットはこんな薄いゴムマットだけです。

全体のバランスはこれで良いのかな?
以前はバリレラを使っていたのであまり気にしませんでしたが、今回はステレオ針を使うので対策は考えておく方が賢明でしょう。

そこで、EMTのガラス製のアッパーターンテーブルの使っていないのを乗せてみました。
多少、手を入れないといけませんが何とか使えそうです。
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なんとかかんとか、アームを2本付け終えました。

音出しはもう少し先ですが、一つ心配事があります。
ターンテーブル自体はアルミ製でよく鳴きます。
以前使っていたGatesのターンテーブルも同じでしたが、叩くと善光寺さんの鐘より長く余韻を引くんじゃないかというくらい「ちーーーーーん」といい音をたてます。・・・合掌・・・
なのに、マットはこんな薄いゴムマットだけです。

全体のバランスはこれで良いのかな?
以前はバリレラを使っていたのであまり気にしませんでしたが、今回はステレオ針を使うので対策は考えておく方が賢明でしょう。

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