雨の一日に聴く曲  マーラー 「大地の歌」

昨夜からの結構な雨ですが、「雨の日に家の中にいるの大好き派」としては、まったりして過ごしています。

さて、今年はマーラーの没後(ですよね)100年だそうで、放送番組なども組まれているようです。
しかしながら、個人的には最も聴く機会の少ない作曲家の一人になってしまいました。

自称、「モーツァルトが解らないウツケ者」ですが、それでもオペラ、ピアノ・Vnソナタ、交響曲ナドナド各カテゴリーの中には幾つか愛聴の曲もありますけれど、マーラーは現在手持ちのレコードを見ても


「大地の歌」  2,3枚
「交響曲 4番」  2枚 「名人セルとカラヤン先生」

多分、これ以外にあってもカップリングの小曲だと思います。
こんな人間が今日はマーラーのレコードについて記事にします、マーラー好きの方には平にご容赦願いたく。




中高生の頃の音楽やオーディオの情報源というと「週刊 FMfan」からが圧倒的でした。
当時は音楽を聴くこともFM頼りでしたし、長岡鉄男のダイナミックオーディオ(かな)は新商品案内が見どころでしたね。
学友の多くはライバル誌の「FM レコパル」を読んでいたようですが、週刊FMは何となくクラシック情報が多かったような気がして購読していました。

この週刊FMに連載されていた、「偉大な演奏家」のエピソード集の記事が秀逸でした。
その中で読んだワルターの回が、今でもマーラーを想起するときに必ずつきまとうイメージになっています。

ワルターは若い頃マーラーに付いて指揮の、恐らく作曲も勉強をしていた。
ある日、オーケストラの練習で、サブ指揮者のワルターは指揮台の脇で練習を聴きながら勉強していた。
指揮をしていたマーラーは、ある楽器奏者の演奏が気に入らなかったらしく何度かやり直しをしていたが

「私の隣から、突然ウサギを見つけたオオワシが巨大な羽を広げてバサーっと飛び立って行ったような勢いでマーラーは件の奏者の元へ飛来し、音楽会場には似つかわしくない罵詈雑言を浴びせた。」

こんな感じの狂信的な音楽家の面だけがなぜか意識に残って困っています。


さて、そんなトラウマを持つ私に、ピッタリなのがこの曲なのは偶然という訳ではないように思います。
DSC03563.jpg
英)DECCA  LXT-2721-2  Das Lied von der Erde B/Walter VPO Ferrier Patzak

大地の歌なんて余裕でLP1枚に収まるのに、リュッケルトによる3つの歌が入るにせよ何故2枚組か!?後半へ続く。


曲の話や、演奏に関しては何も語ることはないですね。
僕のようにマーラーを聴く機会の少ない人間でも、必ず持ち合わせないとならない1枚でしょう。

「大地の歌」って言ってますけど、「命の歌」ですものねえ。
そのことについて、一際考えさせられる演奏ですね。 
太宰の小説のようにと言っては言い過ぎでしょうか、そんな評論は専門家の方にお任せしましょう。


さて、このレコードは一種の「オーパーツ」といえる物で、なぜ、1955年当時コロムビア専属であったワルターさんがDECCAに、それも1枚だけレコードを残したか?というのは興味深い謎ですね。

実際のところは、Decca専属の大物とバーターでお互いにワンセッションづつ録りましょうとなったようです、しかし更に突っ込んで邪推すると余計な心配をしてしまいます。


ワルターさんは、ご存知の通りユダヤ系だったものですからナチにその地位を追われて米国へ向かいました。
その逃避行前はウィーンの宮廷楽長でもあり、大成功の思い出もあったためにウィーンフィルには特別な想いもあったでしょう。

そして、20年ぶりの相思相愛の相手とのたった一度の再会セッションに選んだ曲がこの「大地の歌」だった訳です。
これはDecca側の希望だったのか?本曲の初演者たるワルター側の強い想いだったのか?想像するだけでもワクワクするセッションだったと思います。

通常は会社側の制作プログラムに沿って企画制作されるのが当たり前ですが、この一瞬のランデブーをワルターの想いと切り離してしまうのは、「粋」とは言えない気がします。

DSC03568.jpg


さて、このレコードが作られる背景にはもう一人の重要な役割を持った人物がいました。

その人は「ヴィクター・オロフ」
Deccaのウィーンにおける有名なチーフ・プロデューサー「ジョン・カルショウ」の前任でありウィーンの音楽家達から父の如く慕われた人物です。

カルショウの手記などでは、頑固オヤジ的な堅物のような印象を受け、カルショウやレッグに比べ華が無いために名前は出ませんが、レコード制作の手腕は(一時代前的だけれど)余人の追随を許さない巨匠の風格があります。
この人の残したレコードは「大名演」「超優秀録音」の宝庫です。

この収録が行われた1955年当時は、LPレコードの制作手法や録音機材が頂点を極めていた時期でDeccaに限らず世界の各国で人類史上に残る優秀録音が多数行われていました。


オーケストラの録音に限っても十指に余る優秀録音がありますから、これ一つを取り上げて「絶対無二」などと申し上げる積もりはありません。
しかし、少なくともオーディオに親しみ、クラシックを聴く身であるならばこの録音を体験しておくというのは悪かろうハズがないと思います。



現在、CDになってどのような音響が聞かれるかは残念ながら私は存じませんが、このレコードの情け容赦ないグルーヴのうねり方を見ますと、LP3面を使ってカッティングせざるを得なかったんだろうと納得ができますし・・・

売上を犠牲にしてもその英断をした経営陣(多分Sir、アーサー・八ディ卿)に深い尊敬と感謝の念を21世紀の今になっても捧げる他ありません。



そして、各章末を締めくくるのは・・・ずっと頭を離れないこの言葉

「生も暗く、死もまた暗い(Dunkel ist das Leben, ist der Tod!)」





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モノラル録音に臨場感なんかある訳ないだろー! Hさんの思い出

巨匠フルトベングラーの著書を探していたのですが、引越しと度重なる模様替えの荒波にまみれて文庫本1冊の在処を特定するに至りませんでした。

そこで、今日はオーディオの世界でただただ尊敬を寄せる方について書いてみたいと思う。


音の世界は只管パーソナルなもので、立派な方は沢山見えるけれど趣味趣向を言い出すと手放しでリスペクト出来る人というのは存外と少ないものだ。

そんな中で、今日お話しする「Hさん」は数少ない憧れの人になります。
勿論、マスコミに登場するお立場ではなく、お読み頂くみなさんは基本的にご存知ないので私の一方的な話にお付き合い頂くことになり恐縮です。
しかし、Hさんは30年以上前に一度だけ専門誌の記事に載られたことがありますから、それを転記してお読み頂こうと思います。



昨日、定位や音場感について
これは人間がどうこうするものでは無くて、演奏を収録するとイヤでもオウでも付いてくるものだ。
私たち聞き手は、出されたものを黙って聴くだけ。
ただし、ステレオ収録のソフトとマルチモノラルのソフトは別に考える必要がある。

と書きました。

ここで、我が家で一番音場感を強く感じるソフトをご紹介します。

DSC03561.jpg
英HMV D.B.6618 THOMAS Mignon より  Giuseppe Di Stefano
あたしゃあ、やばいほどのMignon好きです。きっとこのお天道さんの下には同じ想いの人がいるよねえー


そうです、78回転のSPレコードです。 トーゼンですがモノラルです。
また、コイツはおかしな事言ってんなあ。と、思われたかもしれません。

私だって最初に聴いたときは信じれなかった。(メタボパパさんにはSPの1曲目に聴いて頂きました)
でもですね、昨日お話した「時間差による位相差」が理解できれば難しいことではないのです。

たとえマイク1本でも、声の直接音と、四方の壁、床、そして天井に反射して帰る音はわずかな時間差でマイクに到達します。
蓄音器の50cmほどの開口部の奥に、収録会場の大きさを見事にイメージさせてくれる音なのです。

それでいて、本物のテナー歌手の声エネルギーたるや・・・・
胸をエグルことLPレコードやCDの比ではありません。 圧倒的なエネルギーを放出します。DSC03557.jpg
周波数特性やS/N比といったパラメータで推し量るとチコンキの音なんて良い音のハズがありません。
しかし、そのリアルな臨場感、聴いているときの恍惚感は、2チャンネルステレオの遠く及ぶ処ではありません。

まして、モノラルを重ねたマルチチャンネルでは、5.1chが100.1chになろうと根本的にこの世界には近づくことはできません。これも音の善し悪しは別にして、マルチモノラルの多チャンネルには「時間差による位相差」が含まれていないためです。




さてそして、H氏です。

私が、ステファーノのSPで腰を抜かした事を30年も前に指摘されておりました。
全く恐れ入るとしか申し上げられません。

私の邪推を入れてはいけませんので、記事の最後の部分をそのまま揚げます。
なんか昨夜、深夜までかかって捻りハチマキで記事を書いたのに、あっさり同じようなことを言われていたのですね。
最初からこれを写せばよかったのかしら。゚(゚´Д`゚)゚


前文略

LPになってステレオになったんだから、たしかに音がある意味では良くなったことは事実だ。
けれど、マイクをたくさん使って楽器に密着し、ミキシングしちゃってから、またトラックダウンとかいうのかい、音を組立ててディスクが出来上がるから、もとの迫力ある音がどこかへいってしまうんでしょうね。

一時期前のモノーラルのLPの方がものによると生々しい音がするんだな。

僕の考え方が間違っているかもしれないが、何だか一般の安ステレオにマッチするような音に媚びて録音されているような気がしてならないんだ。
もっとも商売だから売れない物を造るバカはいないけれど、本当の好きなヤツだけしか買わないものを造ったところで売れるのは知れたもんだからね。
これはレコードに限ったことではなくてどんなものにも通じる話ですがね。

中略

よい音を追求するのとステレオフォニックというジャンルは全然別のものらしいね。
聴いて興味があるということはよい音と関係があるようで、実はないんだな。

ステレオフォニックに聴こえるということは大切な条件だが、モノフォニックよりいい音だということとは別だと思う。
それが本当の意味のステレオでなく、いかにもステレオであるぞよ、という風に聴こえたらそれは本当のステレオではないような気がしますよ。
大体どの楽器がどこで鳴っているかなどと思いながら聴くことがおかしい。
そうあらねばならぬことに戸惑いを感じますね。

ステレオになったらステレオでなくてはいけないと観念してしまって聴く癖がついて、それが本当の音から遠ざかってどうだステレオであるぞ、という音を出しているんじゃないかな。
ナマを聴いている時は奥行は感じるが、あんなに間口は広く感じないでしょ。
あんな風に楽器が平面に並んじゃいない、ことに安物は一列横隊に楽器が並んでしまうんだ。

ピアニストが自ら弾いている音をそのままその場で聴くのじゃあるまいし、指揮台で指揮者が聴いている音を聴いたって仕方あるまい。

音楽は客席で聴くもんですよね。

音源の中に潜り込んで聴く、つまり楽器に耳をつけて聴くなんていう形は、もう音楽ではない。
音の再現の実験をするような音をレコードに入れて聴いたって僕たちにとってなんの足しになるものではなし、自分の耳をおかしくしてしまう結果になるだけだと思いますよ。

音は離れて聴くもの。
お医者さんが聴診するんじゃあるまいし、そんな聴き方をするから、そしてそんなのが流行るから妙な音がする機械が増えるんだと思うんだ。

近視の人が壁画を見るような場合は、その壁画の美的価値が解らないで、壁のマテリアルを調べてしまう結果になってしまう、という。
つまり、全然違った形で判断してしまうんです。

科学する心ならいいが、少なくとも音楽は芸術なんです。
壁画は離れて全体を見るものだし、音楽は楽器を聴くには違いないが、その楽器が唄いだす、表現する音を聴くものですよね。
   了





ご自分のスピーカーを「実演と電蓄の真ん中くらいの音がする」とおっしゃっていました。

今の私の家は大した音はしていませんが、来客があってステレオレコードをかけているときに

「これはモノのレコードですか?」と問われた時などは

Hさんから「お前のうちも多少は聴けるようになったか?」と言われているような気がして、それを励みにしています。





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オーディオに出来ること  これは序章です

メタボパパさんのブログから、私たちの共通認識に有る「定位」とか「音像」について上手い表現を考えてねって提案があったのですが、おいそれとは出てきません。

それで困った挙句、なぜ上手く表現できないかを考えました。(中々賢いでしょ?)


これは簡単でした。
雑誌での評論文を読んだり、多くのオーディオをされていらっしゃる方と話しをさせて頂き、その方々が認識している「定位」の意味あいと、私の認識が決定的に異なっているからです。

一般的に「定位」とか「音場感」という言葉が使われるのは、オーディオ装置の性能や特性について語られる時でしょうか。
例えば、音場型のスピーカーはステージ感が良く出るとか、最新Hi-End装置の発する(気持ち悪いほど)のリアルな音場感といった表現ですね。



私はそれとは全く異なる意味で考えていますから、話が合わないんです。

まず前提としてこれは何時も言うことですが、アンプにせよスピーカーにせよオーディオ機器の中には一音たりとも音は無くて、全ての音や音楽はレコードやCDの中だけにあるという当たり前の事があります。

ですから、「定位」や「音場感」という言葉はレコードの中身に向けられたものです。


小難しい言葉で恐縮ですが、2チャンネルステレオ録音時の「時間差による位相差=ざっくり言って2本のマイクでピアノとヴァイオリンを録音するとき、2本のマイクと各楽器との距離が違うので音が届く時間にホンのわずか差が出るためにピアノとヴァイオリンの位置関係を記録できる理屈と考えて下さい」が楽音と供に位相情報として記録されています。

これが正しく再生され、聴く人の両の耳が正しい状態で機能しているのであれば、人は好むと好まざるに係わらず「時間差による位相差」を聴き取るので収録時と近似な空間表現を脳が自動的にイメージ(再生成)する。
ただそれだけのことです。

オーディオ装置をいじってどうこうする事ではなく、脳が勝手にイメージするものです。

人間は目をつむっていたって、どの方向から呼びかけられたかは分かる。
これは人体の構造上、機能上の出来事であって、音質とか音の好き嫌いとかオーディオの性能とは一切関係ありません。

インスタントコーヒーやカップラーメンにお湯を入れると、どのお宅でも同じ食べ物が出現しますでしょう。
レコードの本質は1880年の昔から、カップラーメンと何一つの違いもないのです。自明な事です。


ただし、その位相情報は楽器の直接音に比べ、50dBも低いレヴェルですから、キチンと再生する事は中々難しいですね。

メタボパパさんが、「定位を意識している間は、音がまだまだの状態だ」というのはこのことでしょう。
聴こえないものを探しているのですから。
そんな微少信号さえ再現できるオーディオセットならば、定位を意識する必要は無いでしょう。間の前にそれが明確に存在するのですから。

逆にそのような付帯情報(ホールで演奏すれば必然的についてくるもの)は無用だと思って、装置の方で切り捨てるとしたら。
それは単なる情報の欠如、すなわち再生能力の不足です。

実際にそのような音をわざと作っている現場もあります。電車の中のアナウンスは雑音の中でも聴き取りやすいですが、
あれはHi-Fi過ぎると聞き難いのでフィルターを通して聴きやすくしているのですね。
すると、微少信号の倍音は無くなりますから、車掌さん毎の声色の個性はなくなり車内アナウンスはみな同じ声に聞こえます。

もしこれが音楽鑑賞ならば、同じfの音でも、フルートなのかヴィオラなのかはたまた他の楽器なのか区別が付き難い状況です。
これは以前に「二流の音楽家は~」で記事にしたマーラーの言葉の繰り返しになってしまいますね。




さて、オーディオ面でこの「定位」を扱うときに一つだけ、しかし決定的に大きな問題を含みます。

雑誌などの試聴記でも、POPSのような曲を聴いて音場とか位相と申される例がありますが、これらの音源(CDなど)は、以下の理由によって上に挙げたステレオレコードとは別のモノと捉えるべきです。


皆さんもTVの音楽番組などで時々目にされるでしょうが、ヴォーカリストがマイクの前に立ち、金魚すくいのうちわみたいの越しに歌って収録してますね。
あれはモノラル収録です、1本のマイクで唄を録りますから「時間差による位相差」は発生しません。

同様に、10個の楽器や唱を入れるときには、モノラル10トラックで別々に録ります、
けれど、まさか10チャンネルCDで販売する訳には行かないので、その後トラックダウン⇒マスタリングと経て10個の楽音を電気的に=ツマミ一つで左右2チャンネルに振り分けるのです。


このような収録方法は「マルチモノラルの2チャンネル」であって、先に挙げたような収録会場に演奏者を集めて、マイクを2本立てて「せーーーの」で録った録音のような「時間差による位相差」の情報が含まれていませんから、ジャケットには同様に「ステレオ」と表記されますが根本が異なるものです。

現代の殆どの楽曲、またJazzに関してはモノラル時代からオンマイクで「ツバのかかる距離感」が尊ばれた歴史もありますから元々位相差によるステレオ録音は稀であったようです。


以上のことから結論を申し上げると、
マルチモノ2チャンネルのソフトは元々「定位」や「音場感」を表現する情報がありません。
左右の音量差による振り分けと、相対的な音量の大小による前後の距離感があるだけです。

よって、こうした音源を聴いて元から入っていない「定位」とか「音場感」を申し上げる事はありません。
ステレオ感=2つのスピーカーの前後左右に楽器が並ぶ感じは当然ありましょうが、それは私の言っている音場感とは異なる現象と捉えています。


また、昨今のクラシック録音では比較的オンマイクで収録した音源に、我が愛するEMT140とか絶妙のエコーマシーンで人工的に残響音を付加して空間の拡大を図ったものも多いと思います。
しかし、これも同様に位相差による空間感とは異なる感じを受けます。

以上、音楽録音の特徴を2つに大別して述べましたが、マルチモノだから音楽が聞けないとか、レコードとして低俗だとか言う物ではありません。

音楽を鑑賞するという側面だけで述べると、私はモノラル録音の物が時間的には一番長いのです。
ですから、むしろモノラル録音に愛を感じておりステレオ感に関してはあまり頓着している訳ではありません。

ただ、ステレオの音場感とかを論ずる時には、録音形態により分けて考えるようにしています。




さて、1970年以降、日本経済は過去に例を見ないほど堅実で長い経済成長を享受し、それに伴い「ステレオセット」の家庭への普及も急進したのです。

その当時は私の周りにも沢山の「ステレオ愛好家」がいました。
しかし、それらの中で殆どの人は(実質残った人は0人)オーディオから離れていきました。
現代も特に若者のオーディオ離れ、お手軽音楽鑑賞の風潮はこの先の音楽文化の維持に懸念を感じさせます。

こうした流れを説明する能力は私にはありませんが、結局の処、音の追求を楽しんでいた人はこの趣味から去っていったように思います。
オーディオいじりは確かに楽しいものですが、それとて人を引き止めるには限界があります。


しかし、音楽に傾倒し、位相差によるステレオ再現(私が天使の音と呼ぶ状態)を一度でも体験した人はおいそれとは離れられるものではありません。人生観が変わると言っても良いかもしれません。


オーディオセットは、単に音楽を楽しむ以上に、その先にあるものを示す力のあるものです
このことを一人でも多くの人に体験して頂けると、文化の継承という面でもよいと思うのですが。



一方、ハッキリ、クッキリと音を聴きたいと言う欲求自体は私も痛いほど解りますし、ここ40年のオーディオの歴史そのものだと思います。
しかし、ただ音をハッキリ・クッキリ聴きたい欲望の行き着く先は、


アニメ「甲殻機動隊」にありそうな
楽譜チップを購入して外部メモリーへ保存 ⇒ コードを伸ばして首筋にあるコネクターにセット

こうすることで直接電脳に音楽データを転送できます。
これが最もロスレスな音楽鑑賞の最先端スタイルです。  なんて広告がでるんだろうな、2035年には。

そいでもって、オーディオマニアは電脳に送るコードの音質評価とか、店頭で試聴とか仕出かすんだろう。
でも、楽譜チップの性能が上がりすぎて、実際の演奏家は一人も居なくなる

正に「水は低きに流れる」ということだ。昔の人は悪貨は良貨を駆逐する。といった。
オーディオ衰退の最大の理由はこれなんでしょうね。

この方向性は先に述べた、オンマイク+マルチモノ+人工エコーと近い思想があるのです。
歴史はきっと繰り返すのでしょう、今以上にオーディオに取組む人は減少し、社会全体が音はとりあえず聴こえればいいやとなって音楽文化はヒーリングのBGM程度に集約するかもしれません。
どの道この方向性にクラシックを聴くオーディオの将来はないでしょう。


そうです。少なくともクラシック音楽の鑑賞についてはこれでは 「明確」にダメなのです。
巨匠フルトベングラーがその著書で明記しています。

長くなりましたので、続きは次回にします。




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きっかけは~些細なことだった!! うしし・・(^ ^)v

前回までの駄文にお付き合いいただいた方には厚く感謝します。
なんだかALTECの宣伝文の様になってしまい、本来の論旨が伝わらないこと甚だしいので纏めておきます。



◇オーディオで音楽を聴くと、楽器の定位による音像が出現する(音が聴こえるということです)

◇理想的にはマイクと楽器の距離と同じだけ、スピーカーから離れた距離に音像が定位して欲しい(リニアな再現)

◇その距離感に見合った、音量感、解像度、残響感で聴こえると実演に臨んだ気分に近づけるようだ。

◇逆に音像が近くにあるのに音量が小さかったり、遠くにあるのにハイ上がりだと再生音臭さが残ってしまう。

(注:音の性質上遠くで聴くほど解像度は低下、高音が減衰する)


ま、こんな感じで捉えていただけるとありがたいです。




で、今日の話題なんですが、きっかけは本当に別の事だったんです。

何度か記事に挙げてきたAD-1sアンプのヒーター回路がはなしの元です。

1.定電圧回路に挑戦した

2.意表をついてACのままでいーかも・・・

とじたばたしてきましたが、半年ほど前に最終確認の為、今一度定電圧回路を繋げて聴いた結果、やっぱりAC点火に決定して今日に至っています。

しかし、欧州古典管の泣き所で、4vのヒーターを取り出すために5vや6.3vの端子からドロッパー抵抗を入れなくてはなりません。
この抵抗の手持ちの関係で抵抗値やら耐圧がバラバラの物を組み合わせて使っていました。

普段から、針の先ほどの音圧のブレに目くじらを立てている者としてはこれは如何だろう!と部品を取り寄せて左右の条件を揃えてあげました。DSC03518.jpg
空きスペースへ無理からビルを建てるような強引さで付けたので、歩道橋配線(実際は天地逆になるので、地下道配線か?)でDCラインを跨いだ。
そんなに気にする事もないだろうけれど・・・


問題は、この作業中に起こったのだ!

コテが温まるまでの時間が暇だから、何気にドライバーを持ってあちこちのネジを弄っていた。

するとどうだろう!少なくないネジが結構な角度をもってくるくると廻って行くではないか。
これはシタリと半田も忘れて全てのネジをチェックした。


このアンプは記憶のある限りで17年ほど前に作ったはずである。
その後、何度かの改修(オリジナルと同値の部品入手により、回路をTelefunkenのオリジナルに近づけていった)を経ているので、その度にネジはキチンと締めていたような気になっていたのだ。

そんな「だろう」とか「はずだ」という心の緩みが音を悪くするんだよね。

この事件を潮にEQやらアームの付け根やらのネジというネジを締め付け倒してくれたわ!!!
これ以降やたら調子が良いのです。

今年のGWには例年に無く沢山の方にお見え頂いたが、ネジ問題はその後の話です。
ふつつかな音で大変に失礼いたしました。




ちょっと長くなるけど後日談。

こちらも何気なくコンデンサの極性を確認しようとテスターで測っていたら、面白い現象に出くわした。

まず1枚目の写真、DC電圧を測っている状態で置いておいた。DSC03511.jpg
コンデンサーは WIMA の Dumon というフィルムコンデンサーで世界最高と謳われるNeumannのカッティングマシーンのアンプのカップリングに使われているもの。

ほぼ、0mVを示している。(誤差程度は変動するが)

さて、問題の?2枚目 外そうとして指で持ったら数値が跳ね上がった。
その後、小刻みに揺すっても電圧を発生する事に気付いた。DSC03514.jpg
一気にどーんと跳ね上がって50mVを突破!  (直ぐに下がり始めるが)

この後面白がって他のタイプも振ってみた 

しかし、オイルペーパーのWESTCAPやマロリーの電解(当然チューブラー)はほぼ変化無しで無駄な時間を過ごしてしまった。



さてさて、この現象が再生音に何らかの影響を与えるのか否かは私には分からんと言っていいでしょう。
しかもDCだし。

まあ、昔からCR部品には振動を与える良くないあるよ。と言われて、足にスパイクを驕ったり、部品をグルグル縛りの刑にしたりする強硬派も居るくらいだからそんな事もあるのだろう。
しかし、それが今回の結果と係わりがあるかは分からないと言うことだ。


実感としてはアームの取り付けのネジが効いたのだと思う。
ここまで読んでアンプではなくてごめんなさいですが、アンプの変化は小さすぎてよう分からん!


本ブログを長くお読みいただいている方々はお解かりと思うが、僕は積極的に音を変化させる為に接続コードなどのパーツを替えることはあまりないのです。

その理由は、結局部品の交換は周波数特性の凸凹の場所を変えるだけで、エネルギー保存の法則でいくとどこかが出ると他が相対的に引っ込むだけだから。

その点、接点の清掃(最近は水だけ)とネジの締め上げはトレードオフがOFFなのでこれだけは信じています。

汚れたものや、緩んだ物を直す=本来の姿に戻すってだけだからね。最高到達点がプラマイゼロってのが素晴らしいことだと思うんですよ。



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ニアフィールドモニター 番外編 ALTECの巻

今回の番外編は前回までの記事を書くにあたって目を通した中で非常に興味深い写真がありましたので敢て別記事として書いてみました。


我が家をニアフィールドと呼んだ大訳は前回書いた通りです。
劇場用に限らず、高効率スピーカーを至近距離で聴く事は大変有効だとしていますが、(恐らく)日本には

劇場用スピーカーは大きな音を出す為のモノで、音が荒くて観賞用には使い物にならない!

と、お考えの方も少なからずおられるように思います。実際にそんな記述を方々で見かけますね。

そんな方とお話をさせて頂くと、最も多いのがオーディオという行為自体をファンタジーと捉えている向きで、スピーカーは従順ならざる敵であって、苦労を背負い込む、或いは楽しむ相手と(極端に言ってしまうと)考えているのではないかと感じます。

しかし、実際のスピーカーは極めて単純な、それこそ小学校の科学雑誌の付録にもなるようなフレミングの左手の法則を応用した機械なのです。

磁界中のコイルに電流が流れると動くという理屈だけで、そこには当然人格も個性も無いのです。
現実には振動板の材質やその他機構設計の差によってOUTPUTに違いが生じるだけなのです。



他方、同じく業務用スピーカーの仲間にはマスタリングやトラックダウンの際に使われるモニタースピーカーと呼ばれるカテゴリーも存在します。

上記の劇場用と逆の意味合いで・・・

モニター用は音のアラを見つける為のスピーカーだから、家庭に持ち込んでも神経質すぎていけない。

なんて事もまた頻繁に耳にします。


まあ、そんな台詞を耳にする度に、「自分で使いもしないで、風評や噂話をよくそこまで見てきたように言えるなあ」と感心してしまいます。

大きな業務用スピーカーに憧れて少し使ってみたけれど、上手く鳴らせなくてネガティブな印象を持ったまま手放しちゃった人も居て、実はそんな人が少なくなかった為に世評として独り立ちしちゃったんでしょうね。



身の回りには実際に購入してよい音で聴いている人を何人も知っていますが、誰一人

劇場用は音が粗いとか、モニターは神経質だ。などと吐く人間はいません。  全く大衆の心理とは不可思議なモノです。

また、スピーカーの製作者は(個人的な事業でもなければ)、基本的に「入力にリニア」なスピーカーを作ろうと考えていますよ。
劇場用だから○○とか、モニター用だから△△なんて発想は完全にユーザー発信の台詞といえましょう。

時々、型名のあとに「プロフェッショナル」とか「モニター」とか付け足している機械を見受けますが、真正の業務用機器にそのような言葉が書かれていた記憶がありません。
WE-4151とかKL-L439とか V-69とか色気の無い数字が並んでいるばかりです。

わざわざ言葉で書いて説明しなければならない理由は、書いた本人が「そうではない」事を自覚しているために他なりません。若しくはオーディオ機器が商業ベースに乗った後の時代の製品です。



では、実例として「プロフェッショナル」とは書いてなくとも誰もがプロ用と分かっていた時代のALTECのスピーカーを例にとってみましょう。

ALTECにはモニタースピーカーとして世界一有名と言っても良い 604(605)同軸スピーカーがあります。

これは、劇場用の515(416)ウーハーと802(806)ドライバーをくっつけて2Wayにしたものです。
粗い音の代名詞のようなパワフル515を同軸にしただけで、急に細かいアラをあからさまにするモニタースピーカーに豹変するなんてことは起こりようも無く、前述した「劇場用は○○・・・」なんて理屈は破綻していますよね。


今回見つけた、大変興味深い写真はこれです。  ステレオサウンド  No131より
DSC03498.jpg
これは、1969年のDeccaのミキシングルームです。
通常はスタッフの顔を撮る事が多く、モニタースピーカーが写ることはあまり無いのでこれは貴重な写真と言えましょう。


ここで使われているモニタースピーカーをご覧下さい。
奥にTannoyのコーナーカンタベリーでしょうか、中規模のスピーカーがありますが、手前のメインモニターは
ALTECのA-7を使っています。

コンソールの直ぐ先ですから、せいぜいが4m・・・3m強といった距離ではないかと推察されます。

誰がどう見たってA-7です。ステージスピーカーの親玉みたいなスピーカーをモニターに使って、少なくともこの会場ではあの神のごときDeccaレコードは収録されていたのです。

逆に、ALTECの劇場用スピーカーのリストには「A-6」システムとして604を使ったスピーカーもあり、604は立派にステージ用としても使われていたのです。

このようにALTECは粛々と優秀なスピーカーユニットを開発しただけです。
優秀であるが故にステージ上でも使えるし、モニターとしても使えるのです。
キワモノの代表格のように思われているステージスピーカーは、実は大変にユーティリティーなんですね。



私の申し上げたい事はもうお解かり頂けるかと思います。

スピーカーには、磁石とコイルと振動板があるだけです。
信号が入力されると前後に動く。 ただそれだけなんです。


音色がどうだ、音が粗いだの細かいだのと、能書きを付け加えるのは人間の仕業なんです。
多くの場合、そのスピーカーを手にしたことの無い人間によって発せられた言葉ですし、さらにその多くは商行為が目的で発せられた言葉であることを知らなければなりません。

大事なのは、まず一生懸命稼いで、身銭を切って購入し自分の手で納得するまで使いきる事です。

他人の言葉をなぞるのではなく、自分の内から出た言葉で語ることが、人生のどの場面でも最も大切なことのような気がしてなりません。




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ニアフィールドオーディオ  強引にまとめます!

矢張りというか、平地の狭い日本では住宅事情がままならない訳で、増してオーディオを聴ける部屋ともなると皆さんご苦労をされておられるようです。
こちらの想像を超えるご感想・ご意見を頂いきました。


当方も随分と表現方法を検討していたのですが、どうにも全てを上手に伝えようが無いことに行き着いてしまいます。
3日くらい泊り込み合宿でもして話しを差し上げなければならない感じ。

そうともいかず、概要の体裁を整える程度ですが何卒ご了承下さい。



少し、文脈を整理しますと・・・

1.以前に使っていた6畳とか9畳の部屋で「天使の音」と名付けたトランス状態の音を再三経験した。

2.今はそこそこ大きな部屋に移ったが、空気の総量も増えたので音を纏めるのが大変そうだ。「天使」出現率も低い。

3.我が家より、更に大きな部屋で聞く機会があるがやはり難しいように感じる。

4.今使っているスピーカーの用途からすると、50畳でも60畳でもどの道ニアフィールドには変わりない。


此処までの仮説:大きな部屋に憧れはあっても実際は苦労も多い。 
          小さな部屋には、また別のオーディオ的な面白さがあるのではないか。

そこで、前回はオーケストラの横幅と距離感から割り出した「視野角」について話をしました。
図を再掲しておきます。
44_convert_20110427015344.jpg

私のようにクラシックを専門に聴いている者にとっては、オーケストラの音像イメージは20m以上離れた場所に定位して欲しいので、自分とスピーカーとの距離はどれ程でも関係ありません。どうせ25m離れる訳ではないので。

(図の中では視野角を算出する為に現状の寸法を書いてありますが、角度が同じならスピーカーは近くても、遠くても関係ないという意味です。どっちみちオーケストラは遥か向こうにあるのですから)

実際に9畳間で聴いていた時は、Eurodynと自分との距離は3mも無かったと思いますし、
6畳間でLowtherのPW-2(下の写真の左右)を聴いていた時は、目と鼻の先でした。

それでも、現在の部屋で聴くことのできるオーケストラの位置よりも、遥か彼方前方にそれはありました。


何れの部屋も幸いに安普請で低域が抜けてくれたので良かったかもしれません。現在、引っ越されたメタボパパさんが取り組んでいるような状況はまた一工夫必要かも知れませんね、ガンバ!
DSC01998.jpgWE 728Bは手を伸ばせば届く位置にありました。



ただし、スピーカーと言うかオーディオセットとは思い通りには行かないもので、どのスピーカーも設置してから数年は「天使」を連れて来てはくれませんでした。

酷いときは7年と言う長い時間を必要としました。
しかしこれだけは肝に命じて下さい。

オーディオ装置をチューニングしたり調節して「良い音」にできるものではありません。
作り手の魂が入る余地のない工業生産品は別として、天才達の英知と途方も無いコストを投じて創られたスピーカーは、使い手の覚悟が揺ぎ無いかを厳しく審査してくるものです。

我々に出来ることは少ないのです。その多くはひたすら良い音楽を聴くことに当てられるべきです。


さて、思い出話をしていても埒が明かないので良いスピーカーの話をして、ニアフィールドの項は一回終わりにしましょう。


1200人程度の座席規模の映画館で、映画が上映されている時のことを想像してみて下さい。
最前列の観客はステージから数mの処に座っています。
また、天井桟敷席の人は30m以上離れているのです。

いま、夜の公園で恋人同士がささやきあっている場面です。非常に小さい音量の場面です。

この時は、最後尾の桟敷席の人にも小さい音量だが明瞭に言葉が聞き取れるヴォリューム設定が求められます。


次の瞬間、夜の闇を切り裂くように革命軍が大砲を発射しました。もの凄い爆音です。
しかし、この爆音で最前列の人の鼓膜を破る訳にはいきません。

一般家庭の部屋では、これは大きな問題になりません。
常に数mからせいぜい7,8mだけ離れた一人に対して聞かせれば事足りるからです。
中庸な音量設定をしておけば、ささやきも大砲も明瞭に聞く事ができます。

しかし、席の前後で大きな距離のある劇場では切実な問題ですから、特にスピーカーには家庭用に無い特殊な性能が求められてしかるべきです。

◇110dB/m/wのスピーカーに8wのアンプ
◆85dB/m/wのスピーカーに200wのアンプを繋いで得られる音量は、必要なだけヴォリュームを捻ると変わりありませんが・・・

小音量で明瞭かつ大音量で鼓膜を裂かない、動作状態でのダイナミックレンジとでも言うのでしょうか、この辺りの性能がべらぼうに異なるものです。
その秘密は、振動板のストロークの大小にあることは言を待ちません。



私たちが普段家庭でクラシック音楽を聴くという環境は、劇場の最前列で映画を見るという状態に似ていなくもありません。

そう考えると、劇場用のステージスピーカーで悪いはずがないじゃないですか。
むしろ、これ程の近距離で聴かざるを得ないのだから、高効率で反応の早い(つまり磁気回路が強くてショートストロークの)スピーカーはむしろ「必要条件」と言って良いと思います。

なにも劇場用スピーカーは全て良いという意味ではありません。念のため。Lowtherは家庭用の最たるものです。




スピーカーとの距離は音像定位に関係がないことが分かった後は比較的簡単でした。
待ち続けていれば、必ず天使は来ると信じることができたから。

部屋の大小や、スピーカーとの距離に関係なく「オーケストラは一定の距離に離れて聴こえる。(ハズだ)」
という事がオーディオに多少のお金が掛かっても、自分で劇場を建てて運営するよりは安上がりだ。とウソぶる最大の言い訳になっています。




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