圧倒的  歌麿の「深川の雪」

2012年、東京で見出された一幅の巨大な掛け軸。それは、長らく行方不明で古い白黒写真しか残っていなかった喜多川歌麿 作「深川の雪」でした。鮮やかな色彩と巧みな構図。歌麿ならではの優美な女性たちが集う、紛れもない傑作。歌麿が最晩年に到達した究極の美人画・・・

先般NHKで放送された
歴史秘話ヒストリア 「大発見 歌麿の最高傑作 巨大美人画に秘められた真実」

歌麿最晩年の傑作「深川の雪」発見にまつわる物語で見応えのある番組でした。

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画像はNHKのホームページhttp://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/193.htmlより拝借しています。
実物は幅約340cm 縦約200cmの堂々たる大作である。

この作品は、箱根にある岡田美術館が所有する処と成ったが(4月4日から一般公開の予定)
当館の小林館長は複数の専門家による評価・鑑定を実施する為に歌麿研究の権威である大和文華館館長の浅野秀剛氏に閲覧を依頼した。

番組では浅野館長が岡田美術館を訪ね、床に広げられた「深川の雪」と初めて対面する様子が映されている。
絵面的にはまあ、なんてことない画面です。オジさま二人が会議室のような殺風景な部屋に入ってきて絵を見るだけだから。

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続いて浅野館長の表情が映されるのだけれど、僕には、一瞬、ほんの僅かだけどグッと仰け反られたように見えた。

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天才画家が人生の最後にたどり着いた「白鳥の歌」とも云うべき執念の傑作、その圧倒的な「本物のエネルギー」とはいかほどのものだろうか?

「気圧された」なんて言い方をすると先生に申し訳ないが巨大なエネルギーを受け止めた時、正に第一人者の矜持を以て踏みとどまれた様に感じた。

もし、そこに居たのが自分だったらと考えると5m程も吹っ飛ばされたかもしれないし、見えざる浅野先生の心臓ももしかしたら同様だったのかもしれない。



僕らがオーディオ機器と交わるとき。

くどいようだけれど、僕はこれまでスピーカーやアンプの音を購入前に聴いた事は一度だってありはしない。

音なんて聴く必要は無い、そやつの持っているエネルギーというかカロリーを見ればそれでいい。できるなら毎日視線を送る度に気圧されるような逸品を手元に置きたいと願う。
それが低いか高いかだけ踏み間違わなければ、音は後からいくらでもどうにでもなるものだ。



この半年の間、とある企業の頼まれ仕事があったりで更新出来ない内容の事も多かったのだけれど、オーディオ関係ではたくさんの機材に触れさせてもらったり、多くのお宅を訪問して音を聴かせて頂いたりしてきた。

共通して感じた事は

「一瞬」 

よくも悪くも出会った瞬間に感じるものがあるはずだ。 それは音楽だって一緒。

年末に、ある人はプッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」に一瞬で恋に落ちた。
楽譜を買って、DVDを見て、毎日繰り返し聴いている。先日はうちへ遊びに来て、2種類の演奏を続けて通しで聴いて揚々と引き上げて行った。この3ヶ月で100回くらい聴いたんじゃないかな?

良いものは一瞬でわかる、そして長い長い年月の鑑賞に堪える。
ボエームは100年以上も前に作曲されているけれど、2014年の今年だって沢山上演されているし、ぼくらが死んだ後もずっと続くだろう。

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彼がハマったのはこれ、カラヤン BPO フレーニ、パバロッテイ
間違いなく70年代を代表する名盤。100回は聴いているね僕も。




以下はちょっと横道だけれど。
最近お騒がせの「替え玉」問題について、
ゴーストライターなんてこの世界では当たり前だし、ただ悪意の有無が問題と思うけれどそれは脇に置いても「◯◯のベートーベン」とかの呼び方だけは止めてくれないかな。
言い出しっぺはマスコミなのか販売会社側か知らないけれど「私はセンスが悪いです」といっているような噴飯もののネーミングだ。

一方、本物は1827年に亡くなったから、今年で没後約190年だねベートーベンさん。
云うまでもなく今でも毎年沢山の新譜がリリースされて世界のあちこちで演奏会にかかる。

「なんとかゴーチ」さんが死んでから200年後に、今日のベートーベンと同じ様にCDが沢山出され研究が続いているなら(実際にバッハやモーツァルトは今でも贋作や新作の調査が進んでいる)
「◯◯のベートーベン」と呼んでもいいかもしれないが、そうなったら他人の名前なんか借りる必要も無くなっていることだろう。


たとえ、そう言われ始めたのが替え玉が発覚する前だったとしても歴史上の偉人を軽々に転義に使うべきじゃない。そんなことでは日本の西洋音楽に対する姿勢自体が問われないか心配になる。
ドイツで「現代のベートーベン」なんて云われる奴がいたら頭おかしいと思われるよ。


翻ってこの日本で、我こそは「現代の千利休」だとか「現代の三遊亭円朝」だと名乗る輩が現れたら、日本人全体を敵に回すでしょう。
日本人にとって利休居士や名人円朝を引き合いに出す事がどれほど大それた事かが分かるなら、ベートーベンがそれに勝るとも劣らない事くらい容易に想像出来ないか?
レコード関係かマスコミか知らないが、音楽と少しでも関わる人間がそのような教養しか持ち合わせていないのかと考えるだけで胸の辺りが気持ち悪くなってしまう。

そこんところを良く考えて国際社会で恥ずかしくない振る舞をして欲しいものです。
それには、ぜひとも聴衆も襟を正さなければならないのだが。

では聴き手、少なくとも音楽愛好家であるならばどうすべきだったかというと・・・

音楽ってモノは風潮に踊らされて聞くものじゃなくて
同時代に生きる我々がなすべきは「なんとかゴーチ」の音楽が100年、200年と残る価値があるかどうかを見極める目を持って現代の作品に対峙することだろうと思う。



最後に少しハードのお話

中古オーディオは色々な人々の種々の事情で価値や価格が大きく変動する事がある。
少し前には目立たない普及品だったものが、突然「至高の名器」になってとんでもないプライスタグに差し代わっている事もある。

見る側、買う側の我々はモノの力をしっかりと見極めたいものだ。
オーディオだけに限らず、仰け反り帰ってひれ伏す位の名器を沢山見て、触って、たまには痛い思いをして身銭を切って体験してみると見える世界が変わってくる様な気がする。


歴史上の名作を凌駕する現代の逸品の出現を心から待望するが、歴史自体が証明している様に沢山は出て来ないものなのかもしれない。しかし、現代の名工はどの世界にも確実にいる事だけは間違いないから期待して待ちたい。




歌麿の「深川の雪」については下記に詳しい、機会のある方は是非足を運んでみられたい。
http://www.okada-museum.com/exhibition/wp-content/uploads/sites/2/2014/03/【HP用】ニュースリリース.pdf#search='歌麿研究'





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