Tannoy Monitor RED 縁は異なもの
さて、Kさんはこれまでのオーディオ人生の中で新潟市内のオーディオ店さんと良好な関係を築いてきました。
綺羅星のごとくの立派な機材の数々をご購入なさってきたのです
実はそのお店の現店主は二代目でハイエンド・オーディオに強いショップとしてご商売をされていますが、先代の時代には老舗のヴィンテージショップとして有名でした。
私は1980年代からそのお店にあった(当時は2セットあった)Tannoyをずっと注目しており、いつか機会があったら使ってみたいなあ、と頭の隅に置いていたのです。
「これを買えばいいんじゃない」
オススメのスピーカーを聞かれた際に、私にはなんの迷いもありませんでした。
普段からの付き合いもあるからお値段の交渉もし易いし配達・設置の問題もありません。
その後調べてみると機械としての状態も予想した通り極上中の極上品でした。
・・・そして、今の相場からすると想像もできない程相場が安価であった時代の商品です、どう考えてもオリジナルモニター・レッドの極上品としてはかなり安価な価格設定であったのも大きな魅力でした。
なぜ30年以上も売れ残っていたのか? 実物を見ながらその辺りを探っていきましょう。
そんなこんながありまして、今年の初春の良き日にTannoyは晴れて上杉謙信の城下にそびえ立つこととなりました。(ほんとうに春日山城=謙信の居城のお膝元です)
その存在を知ってから20余年の年月を経て私も実物に触れることができました。
他人様の購入物ですが、旧友に再会したかのような甘酸っぱい気持ちを持って会いに行きました

全高は私の口元を越え160cmになんなんとする堂々たる体躯です
この立派な箱もこれはこれで「オリジナル・ボックス」になりますが、でも一般的なTannoy箱のイメージではありませんね。

nachrichten ニュース(報道)ですね
Technische テクニックですから工学・技術ということで
Werke はワークス、つまり「工房」となるでしょう
Tannoyからユニットの供給を受け、オーストリーの「報道技術工房」で設計・製造されたスピーカーシステムで
音楽の都 ウィーンの「ORF-Studio」でMonitore=モニターとして使われていた個体です。
(ORF=Österreichischer Rundfunk オーストリー放送協会となりましょうか)

こうしたOEM供給されたユニットの慣例で、マグネット・カバーにはTannoy社の銘板がありません。
何より貴重なのは、
こうしたオリジナル・ボックス入りの個体はユニットは人の手に触れられていないので新品同様のまま保存されていることです。これもその例に漏れずパッキンパッキンでピカピカのユニットが顔を出しました。
もう一つの大きな特徴として
北ドイツ放送協会(NDR)が企画・製造した有名な「0-85」モニタースピーカーの底部にこれも高名な「V-69」モニターアンプがセットされていたのと同様に専用のモニターアンプがセットされていました。

こちらも幾つかの電解コンデンサーを交換したところ、類まれなる能力を発揮してくれました。
まったく、全くもってこのような素晴らしい逸品がなぜ30年も売れ残っていたのだろうか?
現物を知れば知るほど謎は深まるばかりです。
反面、残っていた理由も仮説ではありますがわかるような気がしてきました。
まず、欧州のスタジオに比べて生活の高さが低い日本の生活スタイルでは背が高いように感じること。
kさんも同様に心配していたようですが、それはスピーカーからの音を直接聞いている状況での話・・・
俗に言う「スピーカーの存在が消える」状態になれば高さも「消える」のですからユニットがどこに設置されていても、例えばオーケストラなら床面の辺りから音がせり上がってきますので関係はないんです。
そして一番の理由は
イギリス製のオリジナルでないこと、これに尽きるでしょうね。
オーディオ製品をブランドなどのステレオタイプで捉えることがやっぱり多いのでしょうか。
・TannoyはTannoyらしい形で
・ジャズにはJBL
・真空管アンプはどうこう
・古いスピーカーはなになに
・LPレコードはあれこれ
こうしたステレオタイプの発言をする人がいかに多いことか!
オーディオは思い込みや、逆に妄想でも音は鳴りません。
イメージやブランドには細かく意識が届くのに、出てくる音にはあまり興味がないのでしょうか?
その割には使ったことのない機械に対してあれは◯◯な音だ。などと言う評論家風の発言をする人が多くて閉口します。
身銭を切って、部屋に向かい入れた(そして何年も寝食を共にした)人だけが評価をする資格を持つのです。
だもんで、ただの友人である私にはその音に言及する資格がありません。
kさんご本人の感想は
「これまでは音楽を聞いているようで気持ちが離れていることが多く、ながら聞きのようなことも多かった
しかし、Tannoyを入れてから気持ちを離すことができなくなり身じろぎもせず一曲が終わる」そうです。
私がいつも伝えたいことを言葉でなく体験で味わっていたようです。
「聞きながら居眠りできる音」がいかにつまらない=寝てしまっても問題のない音かが分かったそうです。
そうですよね、迫真に迫る演奏を極限の音で聞いているならば、一時も耳を離せませんよね。
聞き終わった後は手のひらに汗ぐっしょりです。
おめでとうございます。
これから「音楽鑑賞」が始まりますね。
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綺羅星のごとくの立派な機材の数々をご購入なさってきたのです
実はそのお店の現店主は二代目でハイエンド・オーディオに強いショップとしてご商売をされていますが、先代の時代には老舗のヴィンテージショップとして有名でした。
私は1980年代からそのお店にあった(当時は2セットあった)Tannoyをずっと注目しており、いつか機会があったら使ってみたいなあ、と頭の隅に置いていたのです。
「これを買えばいいんじゃない」
オススメのスピーカーを聞かれた際に、私にはなんの迷いもありませんでした。
普段からの付き合いもあるからお値段の交渉もし易いし配達・設置の問題もありません。
その後調べてみると機械としての状態も予想した通り極上中の極上品でした。
・・・そして、今の相場からすると想像もできない程相場が安価であった時代の商品です、どう考えてもオリジナルモニター・レッドの極上品としてはかなり安価な価格設定であったのも大きな魅力でした。
なぜ30年以上も売れ残っていたのか? 実物を見ながらその辺りを探っていきましょう。
そんなこんながありまして、今年の初春の良き日にTannoyは晴れて上杉謙信の城下にそびえ立つこととなりました。(ほんとうに春日山城=謙信の居城のお膝元です)
その存在を知ってから20余年の年月を経て私も実物に触れることができました。
他人様の購入物ですが、旧友に再会したかのような甘酸っぱい気持ちを持って会いに行きました

全高は私の口元を越え160cmになんなんとする堂々たる体躯です
この立派な箱もこれはこれで「オリジナル・ボックス」になりますが、でも一般的なTannoy箱のイメージではありませんね。

nachrichten ニュース(報道)ですね
Technische テクニックですから工学・技術ということで
Werke はワークス、つまり「工房」となるでしょう
Tannoyからユニットの供給を受け、オーストリーの「報道技術工房」で設計・製造されたスピーカーシステムで
音楽の都 ウィーンの「ORF-Studio」でMonitore=モニターとして使われていた個体です。
(ORF=Österreichischer Rundfunk オーストリー放送協会となりましょうか)

こうしたOEM供給されたユニットの慣例で、マグネット・カバーにはTannoy社の銘板がありません。
何より貴重なのは、
こうしたオリジナル・ボックス入りの個体はユニットは人の手に触れられていないので新品同様のまま保存されていることです。これもその例に漏れずパッキンパッキンでピカピカのユニットが顔を出しました。
もう一つの大きな特徴として
北ドイツ放送協会(NDR)が企画・製造した有名な「0-85」モニタースピーカーの底部にこれも高名な「V-69」モニターアンプがセットされていたのと同様に専用のモニターアンプがセットされていました。

こちらも幾つかの電解コンデンサーを交換したところ、類まれなる能力を発揮してくれました。
まったく、全くもってこのような素晴らしい逸品がなぜ30年も売れ残っていたのだろうか?
現物を知れば知るほど謎は深まるばかりです。
反面、残っていた理由も仮説ではありますがわかるような気がしてきました。
まず、欧州のスタジオに比べて生活の高さが低い日本の生活スタイルでは背が高いように感じること。
kさんも同様に心配していたようですが、それはスピーカーからの音を直接聞いている状況での話・・・
俗に言う「スピーカーの存在が消える」状態になれば高さも「消える」のですからユニットがどこに設置されていても、例えばオーケストラなら床面の辺りから音がせり上がってきますので関係はないんです。
そして一番の理由は
イギリス製のオリジナルでないこと、これに尽きるでしょうね。
オーディオ製品をブランドなどのステレオタイプで捉えることがやっぱり多いのでしょうか。
・TannoyはTannoyらしい形で
・ジャズにはJBL
・真空管アンプはどうこう
・古いスピーカーはなになに
・LPレコードはあれこれ
こうしたステレオタイプの発言をする人がいかに多いことか!
オーディオは思い込みや、逆に妄想でも音は鳴りません。
イメージやブランドには細かく意識が届くのに、出てくる音にはあまり興味がないのでしょうか?
その割には使ったことのない機械に対してあれは◯◯な音だ。などと言う評論家風の発言をする人が多くて閉口します。
身銭を切って、部屋に向かい入れた(そして何年も寝食を共にした)人だけが評価をする資格を持つのです。
だもんで、ただの友人である私にはその音に言及する資格がありません。
kさんご本人の感想は
「これまでは音楽を聞いているようで気持ちが離れていることが多く、ながら聞きのようなことも多かった
しかし、Tannoyを入れてから気持ちを離すことができなくなり身じろぎもせず一曲が終わる」そうです。
私がいつも伝えたいことを言葉でなく体験で味わっていたようです。
「聞きながら居眠りできる音」がいかにつまらない=寝てしまっても問題のない音かが分かったそうです。
そうですよね、迫真に迫る演奏を極限の音で聞いているならば、一時も耳を離せませんよね。
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タンノイ Tannoy Monitor RED
私が学生時代のことです
知り合いのレコード店さんがオーディオの販売を始めました。
元々クラシックのレコードを専門に扱っていたお店だったので、時勢に沿ってその販売品目の中に多くにタンノイ・スピーカーが含まれていました。
店主さんは東京育ちのクラシック好き、今ならさしずめ趣味引きこもりで自動車免許を持たず大人になったから、オーディオの取り扱いに至って困ったことが起きました。そう、配達ができません。
そこで、その当時お店に入り浸っていた何人かの暇人が上手いこと都合をつけ、配達の為に車を出して駆けつけていました。
その中でも半田ごてを使えて多少のトラブルならその場で解決できるなど使い勝手が良い為か、最も頻繁にお手伝いに馳せ参じたのが当時学生だった私ではなかったかと思います。
今となっては信じがたいことですが、
15インチのモニター・ブラック(初号機)は何時でも欲しいと思えば買うことができたし、
モニター・シルバーやレッドはオリジナルボックス入りで当たり前に買うことができました
当地では有名な陶芸家のアトリエにオリジナルGRFレッド入りを配達した際の顛末も今では楽しい思い出として胸の奥に大切に仕舞ってあります。
ところが、いとも簡単に手が届いたのはタンノイばかりではなかったのです。
上記のレコード屋さんに品物を卸してくださっていた方のところにお邪魔すると・・・
WE4181が幾つも床に転がっている
WE594もステレオ用に選んで持って行っていいよ
WE91アンプは「91」だから91万円ね
WE555なんぞは、じゃがいもか何かのようにゴロゴロと重なって置いてありました
もちろん、いくら当時のことと言え、その場所だけが特別であったのは当然なのです。
しかし、それまで聞いたことも見たことも触れたことも無いウエスタンのスピーカーだったので、あの状態が当たり前のように思い込んでいたのですね。
そんな環境に身を置いていた21歳の若造が初めて手にしたスピーカーが「これ」だったのですから、いかに異常な世界の中で生活していたのかを今になるとよくわかります。

タンノイとはこうした若い時代にあまりにもまみれ過ぎて仕舞ったからでしょうか
その後はタンノイ社のスピーカーを一心不乱にしゃぶり尽くすといった機会を得ずに長い時を来てしまいました。
でも、ある日(オーディオとは関係の無い)考え事をしていたらオートグラフの正しい使い方に開眼してしまって。このことは未だ誰にも詳細には伝えてい無いのでここでも書きませんが、なんとなーくですがタンノイに対する遠かった距離感はもう密着状態になっていました。
もちろんオートグラフどころかずっと小さいスピーカーだって使ったことがありません。しかし「大丈夫」と言う確信は十分にありました。
そんな勝手な確信から2年ほど過ぎたある日、上越のKさんがついにB&Wのスーパー限定高額スピーカーを諦めヴィンテージのスピーカーを購入したいと意思表明されました。
けれども、ヴィンテージのスピーカーなんて何処でどんなものが売っているかも知ら無いし、何を選んでいいのかも分から無い。
早晩こちらに相談があったわけです。
実は私には、随分と前からそんな相談があるだろうと思っていましたしそれに対する答えも用意していたのです。
そこから実際の導入までの顛末は、それだけで長尺の物語になるのですが今回は主旨では無いので詳細は割愛しますが、奇跡のような出会いのお話です。
そうですねえ、戦争で別れ離れになってしまった兄弟がそうとは知らずに同じ会社で何年も働き、
あるきっかけで兄弟であることを知る。
なんて感じのね。
では、変更前のK氏邸を再掲して、(改易という単語も悪い意味ばかりじゃ無いけれど一般的な意味をとって)

この続きは次回に
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知り合いのレコード店さんがオーディオの販売を始めました。
元々クラシックのレコードを専門に扱っていたお店だったので、時勢に沿ってその販売品目の中に多くにタンノイ・スピーカーが含まれていました。
店主さんは東京育ちのクラシック好き、今ならさしずめ趣味引きこもりで自動車免許を持たず大人になったから、オーディオの取り扱いに至って困ったことが起きました。そう、配達ができません。
そこで、その当時お店に入り浸っていた何人かの暇人が上手いこと都合をつけ、配達の為に車を出して駆けつけていました。
その中でも半田ごてを使えて多少のトラブルならその場で解決できるなど使い勝手が良い為か、最も頻繁にお手伝いに馳せ参じたのが当時学生だった私ではなかったかと思います。
今となっては信じがたいことですが、
15インチのモニター・ブラック(初号機)は何時でも欲しいと思えば買うことができたし、
モニター・シルバーやレッドはオリジナルボックス入りで当たり前に買うことができました
当地では有名な陶芸家のアトリエにオリジナルGRFレッド入りを配達した際の顛末も今では楽しい思い出として胸の奥に大切に仕舞ってあります。
ところが、いとも簡単に手が届いたのはタンノイばかりではなかったのです。
上記のレコード屋さんに品物を卸してくださっていた方のところにお邪魔すると・・・
WE4181が幾つも床に転がっている
WE594もステレオ用に選んで持って行っていいよ
WE91アンプは「91」だから91万円ね
WE555なんぞは、じゃがいもか何かのようにゴロゴロと重なって置いてありました
もちろん、いくら当時のことと言え、その場所だけが特別であったのは当然なのです。
しかし、それまで聞いたことも見たことも触れたことも無いウエスタンのスピーカーだったので、あの状態が当たり前のように思い込んでいたのですね。
そんな環境に身を置いていた21歳の若造が初めて手にしたスピーカーが「これ」だったのですから、いかに異常な世界の中で生活していたのかを今になるとよくわかります。

タンノイとはこうした若い時代にあまりにもまみれ過ぎて仕舞ったからでしょうか
その後はタンノイ社のスピーカーを一心不乱にしゃぶり尽くすといった機会を得ずに長い時を来てしまいました。
でも、ある日(オーディオとは関係の無い)考え事をしていたらオートグラフの正しい使い方に開眼してしまって。このことは未だ誰にも詳細には伝えてい無いのでここでも書きませんが、なんとなーくですがタンノイに対する遠かった距離感はもう密着状態になっていました。
もちろんオートグラフどころかずっと小さいスピーカーだって使ったことがありません。しかし「大丈夫」と言う確信は十分にありました。
そんな勝手な確信から2年ほど過ぎたある日、上越のKさんがついにB&Wのスーパー限定高額スピーカーを諦めヴィンテージのスピーカーを購入したいと意思表明されました。
けれども、ヴィンテージのスピーカーなんて何処でどんなものが売っているかも知ら無いし、何を選んでいいのかも分から無い。
早晩こちらに相談があったわけです。
実は私には、随分と前からそんな相談があるだろうと思っていましたしそれに対する答えも用意していたのです。
そこから実際の導入までの顛末は、それだけで長尺の物語になるのですが今回は主旨では無いので詳細は割愛しますが、奇跡のような出会いのお話です。
そうですねえ、戦争で別れ離れになってしまった兄弟がそうとは知らずに同じ会社で何年も働き、
あるきっかけで兄弟であることを知る。
なんて感じのね。
では、変更前のK氏邸を再掲して、(改易という単語も悪い意味ばかりじゃ無いけれど一般的な意味をとって)

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