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音の事なんか考えてないから「音がいい」

前回の記事からの続きです

「このやろう勝手なことを言うな、小さいメーカーでも素晴らしいアンプはあるんだぞ」
そんな意見が飛んできて(見えないから想像です)避けるのに大変でした(笑)

その通り!
製作者の規模の大小とアンプのクオリティには何の因果関係もありません、当たり前です。ご安心を。
大規模のメーカーでも名品もあるし、そうでもないものもある。当然小さいメーカーでも同じことです。

私がお話ししたい本当の意図は

高い理念  理屈に合った設計  誠実な製造  必要な場所に必要なコストが掛かっている  保守管理ができる

等々 実は現代の大きな企業でさえも中々達成の困難な各々矛盾する複雑な要素を複数保有したもので、平たく言うと「本物」を見極めることと使うことがオーディオではとっても大切だよね。ということです。

オーディオはそもそも工業生産品の組み合わせで望む機能(音楽の再生)を発揮させる遊びだから、アウトプットされる「結果」は使う機械のクオリティに大きく左右されます・・・そして使い方にもまた大きく左右されるので「難しい趣味」たる所以です。
それにしたって、機械の質が担保されていなければ「使いこなし」だけではどうしようもないことは自明の理です。
ベッテルが運転するスズキ・アルトでもアルトの能力よりは速く走れません、それが「機械を使った遊び」の本質です。

なのですが本物ということの定義に個人差がありますのでちょろっとだけその点を考えてみたいと思います。

PICT4014.jpg

15年ほど前にWestrex時代のA-5と一緒に使っていたアンプを名古屋の好事家の方にお譲りしました。この夏にメンテナンスに入って久々に再会しました。
もともとは自分の持ち物だったけれど。改めて触ってみるとそれは驚愕の内容でした。
左が信号増幅部 右が電源部です。
このアンプはWestrenやWestrexの資料や回路集に見かけることがなく、使用部品や脅威の作り込み、超絶の回路を見るとどうやら試作品のようで、間違いなく「ガレージメーカー(笑)」の手作り品です。

飛行機や新幹線の新規開発時の部品は下町の工場で一つづつ手作りされますよね、まさにそんな感じ。




前回は「ガレージや自作品」を使ったことがない、と書きました
安心してください、いわゆる有名メーカー品もほとんど使ったことがありませんので・・・どちらもコストバランスを考えるととても使いにくいのです。

ちょうど1年ほど前、世界に誇るmade in japanのハイエンドメーカー製アンプのRCA端子がポロっと割れ落ちる現場に遭遇してしまいました
沢山のユーザーがいるので実名は言えませんが、アンプとしては日本で一番有名な会社でしょう。

原因は明白です、使用している部品がとてつもなく”poor”だからです
コスト意識というか利益意識が強すぎて必要な場所にコストをかけられていません、そのアンプの販売価格は50万円以上するのだと思いますが、上位機でも使用部品は同じ物のようです。
世間の評価では品質No,1との評判のメーカーですから、これでもよろしい方なのだと思いますが怖くて使えません!!

対して、小規模なメーカーやガレージでも十分に配慮された部品を使っているアンプは(部品だけで言えば)あります。
部品代の総額に対する販売額の比率を考えると小規模なメーカーの方がよほど原価率を高くできますから当然のことです。

ところが、小規模や自作の中には、技術力が絶望的に見劣りすることが少なくありません。
また、継続的なサービス体制など資本力が物を言うシステム構築に関すると、前述した「本物」の定義をすべて満たすには大変にハードルが高いのが現実です。

まあ、ここでいう会社の規模にしてまずその境界線はとても曖昧なのでイメージでしかないのです。
どれほど有名なオーディオメーカーだって、Panasonicやソニーと比べれば小さな工場でしかありませんよ。

日本に限らず、欧米においてもオーディオ専業メーカーの多くは「マニュファクチャリング」ですし、またそうあるべき面が大きいとも思います。

私もある程度の規模のAVメーカーで次期商品の方向付けをする仕事をさせてもらいましたが、
オーディオやトレンドに全く興味のない沢山のおじさんのハンコを経て作られる「携帯プレーヤー(ipotのようなやつ)」が女子高生に売れるわきゃねえだろー!っていつも戦ってました。

だからオーディオ製品のような趣味性の高いもの作りには小規模メーカーの方が都合がいいことも沢山あるんです。
そこに技術力と情熱と資金力があれば一番いいのかもしれませんね。

PICT4018.jpg

特注部品なんか一つもありません、当時(今でも)部品屋さんで買えるものばかりです。
しかし、その選択に1mmの隙もありません。ゲインセットにはDavinを奢っているし、トランス類はすべてTriadでかつ入力にHS型、出力にはHMS型と共に最高級品を採用しています。

パワーステージは350BのP−ppでなんと無帰還でもちろんA-クラス
前置アンプはテストのためでしょう、CRカップリングで通常の真空管式フェイズ・インバータのついたアンプと、トランスカップリングでppのドライバー回路を持つ2種類がセットされて選択して使えるようになっています。

トランス付きの回路はその後簡素化(コストダウンですね)されて量産型のWE141型となりますが、本機は何倍もコストのかかった絶品のアンプでした。

そして何より、あるべきところにあるべきパーツが置かれたコンストラクションにより全くと言ってほど矛盾のない配線が実現しています。極めて稀有な例です。
ご覧の通り回路を追いやすく、不具合の生じた部品を交換することも極めて簡単です。
そして、その部品の多くは今でも入手可能です(15年前よりは随分と高額になりましたが)代替え品ならほとんど大丈夫です。



対極としての「大丈夫かコレ?」という例題の写真を個別に出すわけにはいきませんが、それはYahoo!オークションの「真空管アンプ」のカテゴリーの出品に添付されている写真をご覧いただければサンプルには事欠きません。




さて、最後にこれだけは伝えたいと思います。

こうした、本当に価値のあるアンプからは
「音をよくしてやろう」なんて気持ちは微塵も感じられません。
全ては機械が機械としてあるべき形で、あるべき状態で、何時でもいつまでもその状態を保持することだけに全精力がつぎ込まれています。

アンプはアンプだけでは音は出ないのです
どのようなスピーカーや音源と組み合わされるか分からない段階(アンプの設計や試作段階)で音を良くするなんて発想は、とんだお門違いだときちんと理解している人の作品です。


もうお分かりですよね、
目の前にあるすべき事柄を精一杯に為すことだけに注力してアンプを作った。
その結果、思いもよらず「望外」の素晴らしい音響を獲得した。


比類なきと称される「天目茶碗」や「井戸茶碗」の成り立ちと同じです。作為がないことが最も尊い。
本物を見分ける唯一の手掛かりでしょうね。

・・・・こうした作品を使うためには、使い手もまた考え方を改める必要があると思うのですが、それはまた別の機会に。





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物の価値 と もののあはれ

たかがオーディオの話(どれほど高額品でもオーディオ製品はマスプロダクトに変わりない)に対する例えとしてゴッホの絵画を持ち出すのは恐れ多いのだけれど、
ゴッホの作品を今日手入しようとしたら一体どれほどの札束が必要だろうか?一般庶民には想像もできない額だろう。
しかし、生前には1枚しか売れなかったと逸話に伝わっている。

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『療養所の庭』入院中に自らの耳を切り落としたと言われている病院の中庭を描いた作品、なんだかなあ。

ゴッホの作品が高額なのはもう既に揺るぎないことだから、時と場面によっては芸術的な価値や物としての価値が額面通り経済的価値にリンクしていないことは明白だ。



中学校の時に学友にTVセットからスピーカーを取り外してもらった時から数えるともう40年も「音の出るからくり」をいじってきた。
その時間の中で、唯の一度も交わっていないカテゴリーの品があり、それはいわゆる「自作アンプ」です。
過去に、AD-1を入手した時にTelefunkenの回路によってアンプを自ら製作したことがあるが、これは完全な複製を目指したのであって自分の創意工夫は皆無であり到底自作と呼べるものではなかった。つまり誰が作っても同じものができたから、作り手が私である必要がないという意味。

また、これまで欧米の古い業務用機器を中心にメンテや修理を行いたまに修理依頼も受けてきたが、自作品や個人製作のガレージと言われる製品については例外なく仕事をお断りしてきた。

****例え小規模でも企業の体制がある会社はその対象になりません、尤もサービス体制が整備されているので最初から私のような個人には持ち込まれてこないのです。そうしたところはメーカーでありガレージとは呼びません****




長いことブレずに来た私ですがこの夏に一度だけ、どうしても断りにくい状況に追い込まれ(汗)迂闊にも!!お受けしてしまった一組のアンプセットがありました。

それからは苦行の連続でした。筐体設計なんてものは概念からして存在しないのでしょう。
幾つかの部品を外さないとつかえてしまって基板そのものがシャーシから取り外せないのです。
さらに制作後も仕様変更に次ぐ仕様変更があったようで、後付けの部品がまたいい感じに邪魔をしてくれます。

その上、幾つかの部品はお手製の「特注品」だか「特製品」のオンパレードで相当数が経年劣化による使用不能の状態でしたが、現在入手しうる部品の中から何を選べばいいのかわかりません。

・・・その後も悲劇は次々と襲ってきましたが、思い出したくないので割愛します。


さて、ずっと遠ざけていたガレージ製品が何故私のところに依頼が来たのでしょう?

その社の創業社長であり唯一の社員でもある方が数年前から体を悪くされて入院生活となり復帰は難しい、一応修理の依頼先は決められているようですが、なんとも心もとないということでした。


その話を聞いて、ハタと思いました。

このアンプのことを知ろうと80年代のステレオサウンド誌を幾つか探していて恐ろしいことに気づいちゃったんです。
皆さんも30、40年前のオーディオ雑誌があったら見てください。そこにはたくさんの広告がありますでしょう?
そのうち、現存しているメーカーが幾つあるか数えてみたことありますか? 背筋が凍ります。

私思うんですけれど、今は亡きガレージメーカーの製品を買った人たちはよく暴動とか起こさないなあ!って。
修理サービスはどうしているのかなあ? 下取りどころか処分にお金を取られちゃうんじゃないかしら?

結局の所、メーカーの寿命も短いけれど、ユーザーの使用期間はそれ以上に短時間ですぐに買い替えちゃうから問題が起こらないのでしょうね。新しもの好きの日本人の購買衝動を逆手に取った見事なマーケティングです。
私個人としては「売り逃げ」のような企業姿勢はどうかと思いますがね。

いつも言いますが、ハッセルブラッドやライカのように経営者は変わっても時代が移っても
70年前に買ったカメラやレンズが今日でも当たり前に使えることの方が素人目に映る「性能向上」よりも余程大切なことのように思えて仕様がないんです、しかし極東の島国ではそんな呑気な商品開発を許してはもらえないようです。



このアンプを例にとって、製作時のポリシーを紐解くと
・ちょっとやそっとじゃバラせない作り方
・専用部品、特注部品だとオーナーは威張って言うが、ストックや代替品はない
・製作者しか理解できないような奇々怪界な回路

一言で言ってしまうと「売りっぱなし」感覚なんでしょうね。
修理しても長く使おう、どころか修理したり部品交換することも想定されていない。悪意があるわけでなくとも結果的にはユーザーベネフィットは皆無と言えるでしょう。

個人的に何が一番気に入らないかと申しますとね、
「音をよくするために」が金科玉条となって、自分が(大抵は勝手な妄想で)思い込んだからにはそれ以外は何を犠牲にしても許されるという感覚そのものなんです。

だから「特製部品」にはコストをかけたのでしょう、しかし筐体や構造部品は近所のパーツ屋で扱う中でも一番安い程度の部品しか使われていません。極端にバランスの崩れた構成なのです。

だからといって小さなメーカーが悪いのでないことは当たり前、ライツ社だって偉大なるZeiss社に比べれば吹けば飛ぶような町工場がスタートですから。
すべては頭の中身=企業理念や姿勢の問題をいっているわけで、誤解を恐れずに述べるなら「音のために」モノつくりしていると表に出している処はしっかりと中身を確認すべき場合が多いような気がします。


もちろん、責任は1000%買った側にあります。

その時点だって何時だって選択肢は沢山ある中で自分自身が選んだのですから。

それは一点の曇りもない!


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すみません、画像を貼り違えたので訂正しておきます。
こちらは「夜のカフェテラス」  いくら 大好きでお金があっても買ってはいけないモノってあるべきだと思うんです。
この作品に負けないだけの人物にならなければ、だた「持っている」だけでは何の意味もないでしょう。 


そんなことを考えていたある日、Yahoo!オークションを覗いていたら
自作アンプって結構な値段がついて取引されているんですね、本当にびっくりしました。

何より、隣あわせで出品されていた黄金期のアメリカ製の名器アンプより高いビットがついていた物があったのです(落札価格は知らない)
「自作」カテゴリーがいけないと言っているのではありません、しかし
中には恐れ知らずにアンプの内臓(配線側内部)写真を掲載しているものもあり、使用部品代金の総計と出品価格との疑問はもちろん
お世辞にも上手とは言い難い配線や部品の取り付け状態のものもビットされているのです。
真空管パワーアンプは300v150mA程度を扱うものなのに怖くないのでしょうか?

物の価値(対価)ってなんだろうと思いました・・・結局はその人の脳が作り出しているんです価値(判断)は。

もちろん購入者の好みで何を買っても構わないんですが、買うものが対価にふさわしい価値を有するものか判断できなければ将来的には疑問が生じることもあるかもしれません。


話を先頭に戻すと
ゴッホを買う人はそれが本物か?偽物か?の判断がつかないのならゴッホを所有する(少なくとも芸術的には)意味を持たないということです。
だから人間は一生勉強が必要なのでしょう。



このお話は次回に続く







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虚しい争いごと

少し記事の更新を空けてしまいました

この夏は自分でも驚くほど、メンテナンス等々のご依頼が多く時間がタイトだったこともあるのですが、故に書くべきネタは溢れるほど豊富でした。

しかし、書けなかったのには別の理由があって
自分の書いた内容が人様の迷惑になるのではないかといつも心配しているのと、その心配を上塗りするような出来事があったためです。

こんな過疎ブログに目を通していただくような方は数えるほどでしょうからあまり心配しても仕方がないのですが、
自分では当たり前と思って書いたことでも、他の方の発言や考えに反論する結果にもなり得ます。

オーディオのような趣味人には少々思い込みの強い人も見えて、自分と異なる意見や手法を目の前にして時に自分自身を否定されたような気持ちになるのでしょう
最近は減りましたがブログを立ち上げた当初には、こちらは全く触れていない事柄に対して的外れな主張するコメントを書き込んできた空け者もありました。

そのような反応は自分のしていることに対して、自分自身が本心から信じきれていない証ですね。

音が気に入ったように鳴らないと不満を持ち、オーディオは格闘だとか泥沼だとか常に懐疑的に考えてしまうから、自分や仲間内で採用する方法論に対峙する思想や勢力を目の当たりにした時に攻撃的になっちゃうんでしょうね。

オーディオなんて極めて不安定で不確かな答えの掴みにくい遊びですから星の数ほどアプローチがあって当然なのですが another wayを受け入れることのできないほど、自分に自信がないのならばもう少し自信の持てる別の趣味を身につけることをお勧めするしかありません。


私は装置や部品をどれほど変えても音は良くならないと思っています、何を使っても結局はその人固有の音楽表現にしかならないと。
ですから脳の中身(物事に向かう姿勢というべきか)を変える以外にその家の音を変化させる方法はない。これを踏まえてひとつだけ言えるのは、他者の考えを尊重できず攻撃を加えるような人物が出せるのはクソロクでもない音だという事実だけなのです。

閑話休題
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EMTのインシュレーターを強奪(こちらから差し出してます)の目にあったので、自作しました。
EMTはフローテングして使うと深い井戸の底を覗き込むような深遠なる「静けさを聴く」ことができます・・・このようにブログで書くと「プレーヤーはリジットで重量で抑え込むべきだ」なんて輩が出てきては困る、というのが今日の話題です、上記ではEMT以外のプレーヤーのことには一切言及していないのだから、誰からも文句をつけられる筋合いはないわけでね。

そんなコメントはやめて自説があったら自分のブログででも開陳くださいね。




先般、あるネット上のコミュニティで悲しい事例がありましてね

オーディオってのは国家試験や免許も特殊な技術もいらない(本当はいるんだぞ!)間口の広い誰でも簡単に始められる趣味ですから、何らかの自己表現の手段としては都合がいいんです。
絵を描いたり歌を歌うにはそれなりのスキルがないとサマになりませんが、オーディオなら機材をそろえると取り敢えず音だけは出るんです。販売店が設置してくれたママでも評論家の真似事はできるんです。


しかし、今回は顕示欲が強すぎて他人を貶めることだけが自分の立場を保てる方法だと間違った考えに進んでしまったためにひと騒動起こしたという、涙なければ語れない悲しい事件でした。



事件の少し前に、直接その人に言ったんです

ある御宅の音を聞いて、それが例えバランスが悪いと思ってもそんな考えは不遜だから口に出してはいけない。
アンプやスピーカーに周波数特性の特徴(癖)があるように、人にも一人づつ耳の感度や脳の認識には周波数特性の特徴が異なって備わっている。
だから、あなたが悪いバランスだと思っても、その人にはフラットに聞こえている(と脳は認識している)

逆の立場で言えば、その人があなたの家の音を聞いた時には逆の特性(癖)を感じて「変な音だな」と思っていても口に出さないだけだと思いなさい。


この点は賛同されることなく、その後まっすぐに悲劇に突入することになった。
その根底には、誤った自信から自宅の音はすごく良いのに周りからは正当に評価されてないと思う不満を発端として
ならば、他人を攻撃し落とすことで自分の優位を誇示するしかない!という歪んだ感情があったと思います。

昔からオーディオ界では部品を比べてどっちが良い音だとか、アンプやスピーカの比較など当たり前のようにされていますがそのようなその場限りの勝ち抜けゲームが飽きられることなく未だに幅を利かせています。
それだけに心を囚われているといつか今回のような事態に巻き込まれる、または自ら巻き起す危険があります。

良い音とは何か?自分はどのように考え、どう行動すれば良いのか?
全ての答えは音楽の中にあります、真摯に心を傾け音楽を聴くことだけが唯一の解決策です。
音楽はオーディオの調子を確認するためのツールのように扱うものではありません。
音楽不在のオーディオに未来はありません。

この一件は多くの人が悲しい痛手を負ったが教訓として心に留めておきたい。


以上、なんだかんだで記事を再開しますが
今後の記事も特定の誰かや何かを対象としたものでなく、自分自身の実験や経験を通じて得られたオーディオ上の発見や感想である事を是非ご理解ください。




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