「美しい」と「キレイ」は違う
一昨年の2月に亡くなられた、先代(十四代)の酒井田柿右衛門さんがNHKの番組の中でお話しになっていた言葉
「美しい」と「キレイ」は違う
この言葉をテーマにいつかブログを書きたいと思っていたのだけれど、書きたいことが沢山ありすぎてとても収拾がつかないので手を付けられずにおりました
今でもきちんと伝える自信はありませんができるだけのチャレンジはしてみましょう
まずは2枚のお皿の写真をご覧ください

英国の有名な陶磁器メーカーの作で、2000年以降に家人がデパートで買い求めたものです

こちらは 承応 三歳 (1654か55年)と箱書きされた元箱に入って二十脚揃いでてきたお皿の1枚で
現在の佐賀県有田町の楠木窯で作られたと類推されているものです
英国のお皿は檸檬のような果物と茎や葉っぱを極めて写実的に、そしてお皿の全面に対して均等(シンメトリカル)に配置しています
絵柄としても、また、やわらかな四角を基調としながらも左右には取手の役目もする張り出しを設けた造形も歪みもなく非の打ち所のない綺麗なお皿と言えましょう
対して古伊万里のお皿は、素焼きをせずに乾かしただけの土を直接焼いているので全体的におおらかに歪んで成形されています
釉薬も手で持ったまま「ちゃぷん」と浸けてかけられているので、所々筋状のムラがありますし何より持った時の職人さんの指の跡がはっきり残っています
買う人がそれと知らず、このままデパートの食器コーナーに並んでいれば「なんだのこゆがんだお皿は、不良品だ」とクレームの対象になるでしょうね
味のある絵付けです夫婦の白鷺でしょうか、大きな葉陰で仲良く並んで羽を休めているのでしょう
対象を右側に寄せて置き、反対の左側に余白を大きく開けて野の広がりや高い空のイメージを「何も書かないことによって」表現しています
皆さんは、この2枚のお皿を見てどちらを「キレイ」あるいは「美しい」と感じるでしょうか?
その理由はなんでしょうか?
形の整いはどうか?
絵はどちらが上手か?(上手な絵とは何か?とも言えるが)
色がキレイなのはどっち?
それぞれの人の中に答えはあるでしょう、それはどちらでもいいんです
各人のお好みで選んでいただいて結構
ただ、お皿の「美」の価値を計る段になると、個人の好みとは全く別の世界があります
余談ですが、白洲正子が骨董の道に入って間もない頃
小林秀雄と囲炉裏を囲んで酒を飲んでおりました(青山二郎だったかも?)
やおら小林が棚の中から十ばかり「ぐい呑み」を出してきて囲炉裏の縁に並べると、正子に向かってこう言いました
「おい、お前が高いと思う順番に並び変えて見せろ」
困った正子は、自信なさげに並び替えながら
「お値段なんてどうでもいいじゃない、私は私が気に入ったものを身の廻りに置きたいわ」
その途端小林の雷が落ちたのです
「バカやろう、美の価値を表すのに金額以外の何があるというのだ!甘えたことを言うな」
結果、正子が並べ直した順番に小林はお小言を言わなかったそうですが、正解も教えてはくれなかったようです
金額当てクイズではないですから正解はどうでもいいんです
正子の「美」に対する姿勢を正す為の試金石だったからです
これは目利きになるための「練習」でありますが、言い方を変えると目で見えるもの「外見のキレイさ」と内に潜むもの「美しさ」の違いを見極める為の訓練といえましょう
小林秀雄が正解を言ってくれなかった代わりに、御大 加藤唐九郎さんに「美」の見分け方を語ってもらいましょう
ある時、モノの良し悪しを解るようになるにはどうすれば良いかと問われて
理屈なんか何もありゃあせん
自分の好きな物を持っとって、それがますます好きになるとかあるいは飽きがきて嫌になるとか、そんなことから発展してゆくんだ
好きなものを見つけたらまずは金を出して買ってみることだ
しかし一財産集めても、いいものはほとんどない。いいものは一生かかっても一つか二つ。
それで毎日お茶を飲んでいるうちに、これはいいなあ、しっくりくるなあと一つだけ選び出せる
数百年も前に作られて、今日の名品になっとるのはみんなそんなもんじゃろう
冒頭に2枚のお皿を見てもらいましたが
200年後にまだ価値のある方が名品なのです・・・簡単なことじゃろ? by 御大
これはオーディオ機器にしても、レコード(演奏)にしても全く同じことがいえるのです
今あなたが使っているオーディオ機器、聞いている演奏は200年とは言いませんが50年後の人達がどのように思ってくれるでしょうか=50年後、中古となったその商品に我々の子孫はいくら払ってくれるのか?と言い換えてもいい。
あなたが一つのオーディオ装置を選んで買う、1枚のCDを手にするということはすなわち50年後の子孫にその眼力を試されているということなのだけれど、そんな自分が死んだ後のことはどうでもいい
本当に大切なのは
今の自分がクオリティのあるオーディオでクオリティのある音楽を聴いているのか?ということに尽きる
僕が19歳のある夜、その後にオーディオの師匠となる人に出会って
それまでのオーディオ装置(バイト代を全て投入して購入した高級オーディオで、我こそは世界一の音!くらいの勢いだった)を一瞬のうちに全て手放しました
これ以降クオリティの不足する装置で聞き続けることは短い人生の中で、途方もない損失と思ったからです

そのあと、長いクレジットを組んで買ったのが、中央にあるスピーカー(WE728B と WE713Cの2Way)でした
そして、当時の師匠の年齢を超えた現在の僕はというと
今でも、我が家の装置よりもクオリティの高い装置に出会ったのなら、一瞬の躊躇もなく総入れ替えをする決意だけは些かも変わっていません
残りの人生が(19歳の時より)少ない今となってはより一層切実な問題だからです
最後に古伊万里のお皿を購入するためには、英国のキレイなお皿の40倍以上の金額が必要だったことだけを申し添えておきます
でも、50年後の金額は・・・まだわかりません
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「美しい」と「キレイ」は違う
この言葉をテーマにいつかブログを書きたいと思っていたのだけれど、書きたいことが沢山ありすぎてとても収拾がつかないので手を付けられずにおりました
今でもきちんと伝える自信はありませんができるだけのチャレンジはしてみましょう
まずは2枚のお皿の写真をご覧ください

英国の有名な陶磁器メーカーの作で、2000年以降に家人がデパートで買い求めたものです

こちらは 承応 三歳 (1654か55年)と箱書きされた元箱に入って二十脚揃いでてきたお皿の1枚で
現在の佐賀県有田町の楠木窯で作られたと類推されているものです
英国のお皿は檸檬のような果物と茎や葉っぱを極めて写実的に、そしてお皿の全面に対して均等(シンメトリカル)に配置しています
絵柄としても、また、やわらかな四角を基調としながらも左右には取手の役目もする張り出しを設けた造形も歪みもなく非の打ち所のない綺麗なお皿と言えましょう
対して古伊万里のお皿は、素焼きをせずに乾かしただけの土を直接焼いているので全体的におおらかに歪んで成形されています
釉薬も手で持ったまま「ちゃぷん」と浸けてかけられているので、所々筋状のムラがありますし何より持った時の職人さんの指の跡がはっきり残っています
買う人がそれと知らず、このままデパートの食器コーナーに並んでいれば「なんだのこゆがんだお皿は、不良品だ」とクレームの対象になるでしょうね
味のある絵付けです夫婦の白鷺でしょうか、大きな葉陰で仲良く並んで羽を休めているのでしょう
対象を右側に寄せて置き、反対の左側に余白を大きく開けて野の広がりや高い空のイメージを「何も書かないことによって」表現しています
皆さんは、この2枚のお皿を見てどちらを「キレイ」あるいは「美しい」と感じるでしょうか?
その理由はなんでしょうか?
形の整いはどうか?
絵はどちらが上手か?(上手な絵とは何か?とも言えるが)
色がキレイなのはどっち?
それぞれの人の中に答えはあるでしょう、それはどちらでもいいんです
各人のお好みで選んでいただいて結構
ただ、お皿の「美」の価値を計る段になると、個人の好みとは全く別の世界があります
余談ですが、白洲正子が骨董の道に入って間もない頃
小林秀雄と囲炉裏を囲んで酒を飲んでおりました(青山二郎だったかも?)
やおら小林が棚の中から十ばかり「ぐい呑み」を出してきて囲炉裏の縁に並べると、正子に向かってこう言いました
「おい、お前が高いと思う順番に並び変えて見せろ」
困った正子は、自信なさげに並び替えながら
「お値段なんてどうでもいいじゃない、私は私が気に入ったものを身の廻りに置きたいわ」
その途端小林の雷が落ちたのです
「バカやろう、美の価値を表すのに金額以外の何があるというのだ!甘えたことを言うな」
結果、正子が並べ直した順番に小林はお小言を言わなかったそうですが、正解も教えてはくれなかったようです
金額当てクイズではないですから正解はどうでもいいんです
正子の「美」に対する姿勢を正す為の試金石だったからです
これは目利きになるための「練習」でありますが、言い方を変えると目で見えるもの「外見のキレイさ」と内に潜むもの「美しさ」の違いを見極める為の訓練といえましょう
小林秀雄が正解を言ってくれなかった代わりに、御大 加藤唐九郎さんに「美」の見分け方を語ってもらいましょう
ある時、モノの良し悪しを解るようになるにはどうすれば良いかと問われて
理屈なんか何もありゃあせん
自分の好きな物を持っとって、それがますます好きになるとかあるいは飽きがきて嫌になるとか、そんなことから発展してゆくんだ
好きなものを見つけたらまずは金を出して買ってみることだ
しかし一財産集めても、いいものはほとんどない。いいものは一生かかっても一つか二つ。
それで毎日お茶を飲んでいるうちに、これはいいなあ、しっくりくるなあと一つだけ選び出せる
数百年も前に作られて、今日の名品になっとるのはみんなそんなもんじゃろう
冒頭に2枚のお皿を見てもらいましたが
200年後にまだ価値のある方が名品なのです・・・簡単なことじゃろ? by 御大
これはオーディオ機器にしても、レコード(演奏)にしても全く同じことがいえるのです
今あなたが使っているオーディオ機器、聞いている演奏は200年とは言いませんが50年後の人達がどのように思ってくれるでしょうか=50年後、中古となったその商品に我々の子孫はいくら払ってくれるのか?と言い換えてもいい。
あなたが一つのオーディオ装置を選んで買う、1枚のCDを手にするということはすなわち50年後の子孫にその眼力を試されているということなのだけれど、そんな自分が死んだ後のことはどうでもいい
本当に大切なのは
今の自分がクオリティのあるオーディオでクオリティのある音楽を聴いているのか?ということに尽きる
僕が19歳のある夜、その後にオーディオの師匠となる人に出会って
それまでのオーディオ装置(バイト代を全て投入して購入した高級オーディオで、我こそは世界一の音!くらいの勢いだった)を一瞬のうちに全て手放しました
これ以降クオリティの不足する装置で聞き続けることは短い人生の中で、途方もない損失と思ったからです

そのあと、長いクレジットを組んで買ったのが、中央にあるスピーカー(WE728B と WE713Cの2Way)でした
そして、当時の師匠の年齢を超えた現在の僕はというと
今でも、我が家の装置よりもクオリティの高い装置に出会ったのなら、一瞬の躊躇もなく総入れ替えをする決意だけは些かも変わっていません
残りの人生が(19歳の時より)少ない今となってはより一層切実な問題だからです
最後に古伊万里のお皿を購入するためには、英国のキレイなお皿の40倍以上の金額が必要だったことだけを申し添えておきます
でも、50年後の金額は・・・まだわかりません
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