新しいアンプは大西洋を渡って英国に行った話 1936年
前回のアンプは受注したのが昨年の年末、お披露目会をしたのが10月の1週目の日曜日でした
でも、高い山はまだ一つ目を乗り越えただけなのです
三週間後の10月25日にはもう一台を全く別の場所に別のアンプを届けなければいけません
何故ならそのアンプも同じく昨年の12月には依頼を受けていたものだからです
30mm以上の穴あけもこれだけ集中して行うと、何だかコツをつかんだような気がします
・・・せっかく掴んだコツも次回制作時には忘れちゃうんだよなあ、誰か作らせてちょうだい・・・

前回のアンプに比べ穴は随分と少ないですが、モノラルx2台なので手首の腱鞘炎?は治りませんね
実は何の偶然か?、本人の意思か?ははっきりと自分でもわからないのですが大西洋を挟んで米国と英国の技術的には全く異なるアプローチによる、しかしほとんど同じ時代の同じ思想の回路を復元することになりました
まあ、二人ともモノラルLPのオリジナルプレスを聴きたい という要望が同じだったからですね
聞く音楽のジャンルが異なり、鳴らすスピーカーが異なるので別のアンプになったのですが
復元した2つの回路は同じ時期に描かれたもので、それらを採用するに些かの迷いもありませんでした
2台とも 戦前に開発された直熱三極管をプッシュプルで出力段に使っています。それだけならば特に目新しいものではありませんが
日本の真空管アンプのガイド本などに乱立する古典回路や、もちろん最新技術を投入した現代にも通じる回路(笑)なんてことはありません
1930年代の後半になってアンプ出力の大なるを望まれるようになる
一例として従来の現場ではWE555型レシーバー+大型カールホーンに5w程度のアンプで1500人ほどの会場を請け負ったのですがそんな非効率な贅沢システムでは数も作れないし採算も合わなくなり、更により広帯域化の要望も高くなり
よりコンパクトで大出力を持つ効率的・経済的な増幅器が必要になったのでしょうね
まあ、人間の考えることは洋の東西を問わず同じ時期に同じような課題とアイディアが噴出するのでしょう
米国でも欧州でもこの時期に似通ったある特徴的な回路が発表されました
従来のA級増幅では成し得なかったパワーの増加により(といっても10w程度で「超大出力」と言われていた時代の話です)新しい音響の世界が扉を開かれようとしていた
しかし、歴史はそのチャンスを私たち好事家には与えてくれませんでした
1937年頃にはナチスの侵攻が欧州を戦火に巻き込み、1940年末には太平洋にもその炎は広がりました
数年をかけて陰惨な戦争は終結し世の中は平和を取り戻して音響や映画の世界も再び前進を始めました。
戦争は(大反対だけれど)兵士の命を守る目的で電子・通信技術を大幅に推し進めていました
戦勝国である米英では終戦とともに新型アンプが堰を切ったように製造されましたが、それらはほぼ例外なく多極管+NFB方式に変わっていました

米国式のアンプを再現する際には信頼を寄せる米国製のヴィンテージ・トランスを一貫して採用したが、この度は市場の許す限り徹頭徹尾英国製のトランスや真空管、部品を採用している
今回の経験を通じて大変に興味深く勉強になったのは
わずか2ヶ月ほどの間に、同時期に開発された米英のアンプに取り組んでみたらそれぞれの技術的志向というか思考というか嗜好が、これほどまでも異なるのか!?というギャップであり、比べることで一層はっきりと目に刻まれた
米国ではAB級増幅を成立させるため従来の教科書通りにドライバートランスを用い、そこで生じるロスを見越して前段にエキサイターを設置して難局を乗り越えているのだが、何もそこまでしなくとも・・・作る方にしてみれば大変だし、何より莫大な部品代を強いる・・・と思ってしまう
対して英国では、CTインダクターを一つ用いて実にスマートにサラッと仕上げて、米国アンプと同じ目的を達成している
浅野先生は流石に慧眼であられて、米国オーディオ一辺倒だった昭和の日本においてひとり、欧州の真空管技術は米国に先んじていると説いておられた
随分と勇気のいる発言とハラハラして記事を読んでいたが、流石は元憲兵さんだけあって己の正しいと思ったことは信念に従って行動していたのだろうと、こうしたアンプを作り比べて自分なりに噛み砕いてみればこそ改めて頭が下がる思いだ
では、この素晴らしい英国製アンプが一体とのような音だったのかというと・・・
実は私はちゃんと聞いていないのだ
でも、頭の中にははっきりとこのアンプの音を感じている今日この頃です
次回はその顛末でも・・・
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でも、高い山はまだ一つ目を乗り越えただけなのです
三週間後の10月25日にはもう一台を全く別の場所に別のアンプを届けなければいけません
何故ならそのアンプも同じく昨年の12月には依頼を受けていたものだからです
30mm以上の穴あけもこれだけ集中して行うと、何だかコツをつかんだような気がします
・・・せっかく掴んだコツも次回制作時には忘れちゃうんだよなあ、誰か作らせてちょうだい・・・

前回のアンプに比べ穴は随分と少ないですが、モノラルx2台なので手首の腱鞘炎?は治りませんね
実は何の偶然か?、本人の意思か?ははっきりと自分でもわからないのですが大西洋を挟んで米国と英国の技術的には全く異なるアプローチによる、しかしほとんど同じ時代の同じ思想の回路を復元することになりました
まあ、二人ともモノラルLPのオリジナルプレスを聴きたい という要望が同じだったからですね
聞く音楽のジャンルが異なり、鳴らすスピーカーが異なるので別のアンプになったのですが
復元した2つの回路は同じ時期に描かれたもので、それらを採用するに些かの迷いもありませんでした
2台とも 戦前に開発された直熱三極管をプッシュプルで出力段に使っています。それだけならば特に目新しいものではありませんが
日本の真空管アンプのガイド本などに乱立する古典回路や、もちろん最新技術を投入した現代にも通じる回路(笑)なんてことはありません
1930年代の後半になってアンプ出力の大なるを望まれるようになる
一例として従来の現場ではWE555型レシーバー+大型カールホーンに5w程度のアンプで1500人ほどの会場を請け負ったのですがそんな非効率な贅沢システムでは数も作れないし採算も合わなくなり、更により広帯域化の要望も高くなり
よりコンパクトで大出力を持つ効率的・経済的な増幅器が必要になったのでしょうね
まあ、人間の考えることは洋の東西を問わず同じ時期に同じような課題とアイディアが噴出するのでしょう
米国でも欧州でもこの時期に似通ったある特徴的な回路が発表されました
従来のA級増幅では成し得なかったパワーの増加により(といっても10w程度で「超大出力」と言われていた時代の話です)新しい音響の世界が扉を開かれようとしていた
しかし、歴史はそのチャンスを私たち好事家には与えてくれませんでした
1937年頃にはナチスの侵攻が欧州を戦火に巻き込み、1940年末には太平洋にもその炎は広がりました
数年をかけて陰惨な戦争は終結し世の中は平和を取り戻して音響や映画の世界も再び前進を始めました。
戦争は(大反対だけれど)兵士の命を守る目的で電子・通信技術を大幅に推し進めていました
戦勝国である米英では終戦とともに新型アンプが堰を切ったように製造されましたが、それらはほぼ例外なく多極管+NFB方式に変わっていました

米国式のアンプを再現する際には信頼を寄せる米国製のヴィンテージ・トランスを一貫して採用したが、この度は市場の許す限り徹頭徹尾英国製のトランスや真空管、部品を採用している
今回の経験を通じて大変に興味深く勉強になったのは
わずか2ヶ月ほどの間に、同時期に開発された米英のアンプに取り組んでみたらそれぞれの技術的志向というか思考というか嗜好が、これほどまでも異なるのか!?というギャップであり、比べることで一層はっきりと目に刻まれた
米国ではAB級増幅を成立させるため従来の教科書通りにドライバートランスを用い、そこで生じるロスを見越して前段にエキサイターを設置して難局を乗り越えているのだが、何もそこまでしなくとも・・・作る方にしてみれば大変だし、何より莫大な部品代を強いる・・・と思ってしまう
対して英国では、CTインダクターを一つ用いて実にスマートにサラッと仕上げて、米国アンプと同じ目的を達成している
浅野先生は流石に慧眼であられて、米国オーディオ一辺倒だった昭和の日本においてひとり、欧州の真空管技術は米国に先んじていると説いておられた
随分と勇気のいる発言とハラハラして記事を読んでいたが、流石は元憲兵さんだけあって己の正しいと思ったことは信念に従って行動していたのだろうと、こうしたアンプを作り比べて自分なりに噛み砕いてみればこそ改めて頭が下がる思いだ
では、この素晴らしい英国製アンプが一体とのような音だったのかというと・・・
実は私はちゃんと聞いていないのだ
でも、頭の中にははっきりとこのアンプの音を感じている今日この頃です
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