本物の感動 Debussy
私の住んでいる長野県は古くから教育県と言われ、戦時中には軍部一色だった世論に対し反目する社説を展開したというリベラルで気骨のある(反面融通の利かない頑固とも)県民性だそうです。
しかし、そんな信州人の特徴も実は松本周辺からの発信であった気がしてなりません。
現在でも、長野県の文化と良心の中心は松本周辺でないかと思っています。
上の気骨ある新聞記者も信濃毎日新聞松本支局の記者です。
教育に関しても国内でも最も早い時期に学校が誕生し、その校舎は現存しており周辺の人々の心の支えになっていると思います。
「松本市 旧開智学校(重要文化財)」

写真は下記、松本市のホームページより借用しました。
http://www.city.matsumoto.nagano.jp/tiiki/sisetu/hakubutukan/marugotohaku/gakko/profile/index.html
そして、今回の主役の学校は、同じく松本市 あがたの森公園内に保存されている
「松本市 旧松本高等学校の講堂(重要文化財)」
写真は本館です。同じくホームページは下記です。
http://www.city.matsumoto.nagano.jp/tiiki/sisetu/kyoiku/agatanomorikaikan/index.html
建物フェチの私は松本に9年間仕事で住んでいたこともあり、よく通いつめて写真を撮っていました。
先日は、夜の7時過ぎになってから時間が空いたので通りがけに寄ってみました。
すると、窓に明かりがあり、まだ利用者の方がおられるようでしたので、車を止め、散歩の心算で校舎へ向かいました。
松本市が偉いなあと思うのは、重要文化財にまでなっている建物を市民に(驚くほど格安で)開放し文化活動の場として校舎本来の機能を十全に果たしていることです。
各々、歴史の講座を開いたり、絵画教室があり、音楽活動も盛んに行われています。
その中の一室から合唱が聴こえて来ました。
耳を澄ますと「賛美歌」のようです。クリスマスも近いので練習をしているのでしょうか?
時間帯といい、素晴らしいシチュエーションにしばし、聞き入っておりました。
雨の晴れ間に月が高くかかり、この上ない至福の時です。
しばらくして、合唱が途切れた時、背後の講堂からピアノの調べが聴こえてきました。
お、なんだなんだ。と近づくと演奏会の演習でもしているのでしょうか、素晴らしい演奏です。
近づいてハッキリと聴こえるようになると曲が解ってきました。
Debussy Clair de Lune (月の光)
Nocturn
静かに講堂の隅で聴かせて頂いた僅か数分の時間は、私の音楽体験の中でも間違いなく最上の感動を与えてくれました。
講堂内は漆喰と暗く塗られた木材のコントラストが当時のまま正確に復元されたシャンデリアによって儚く照らされており、乾いた木の反響は、時にささやくように、時に大オーケストラのようにピアノの表現を超えるかのような響きでした。

教会の聖堂内で聴くオルガンの音やミサ曲など、ある特定の環境にあって聴く音楽は深く心に刻まれるといいます。たとえキリスト教徒で無くともです。
(教会側は信者に畏敬の念を持たせる狙いであのような環境や音楽を供するのですから、大変よく出来ています)
そうした、風景や時間といった環境と人の思い出と供に音楽は刻まれ、何年か後に、その曲を聴くことでその当時を原色のままリアルに思い起すことができるという音楽の力は、これだけ世界中で音楽が愛されている最大の理由の一つではないでしょうか。
私たちは、それと同じ感動を自分の部屋で、音だけで聴き取ろうとするのですから、オーディオの趣味も楽じゃあありません。
でも。
正しく整備されたシステムには、その力が備わっていることを知ってしまっては、オーディオの追求も辞められませんね。(半端なことではそこまで行けませんが)
帰宅した後、ありったけのDebussyのレコードを聴きまくったことは言うまでもありません。
中でも好きでたまらないもの。何れも 名演ですね。
松本市の政が健全であると思うひとつの例は、整備の行き届いていることです。
校舎のいたるところは、廊下であり、ガラスであり、調度であり、真鍮のドアノブまでも顔が映るほど磨き上げられています。
さらに、今のごとき落ち葉の季節は庭の管理はさぞ大変だろうと思いますが、落ち葉拾いは、近くの小学校か中学校の生徒さん達が(恐らく授業時間で)お手伝いをして貢献しています。
これほど市民生活に根付いた重要文化財は誇りですね。
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しかし、そんな信州人の特徴も実は松本周辺からの発信であった気がしてなりません。
現在でも、長野県の文化と良心の中心は松本周辺でないかと思っています。
上の気骨ある新聞記者も信濃毎日新聞松本支局の記者です。
教育に関しても国内でも最も早い時期に学校が誕生し、その校舎は現存しており周辺の人々の心の支えになっていると思います。
「松本市 旧開智学校(重要文化財)」

写真は下記、松本市のホームページより借用しました。
http://www.city.matsumoto.nagano.jp/tiiki/sisetu/hakubutukan/marugotohaku/gakko/profile/index.html
そして、今回の主役の学校は、同じく松本市 あがたの森公園内に保存されている
「松本市 旧松本高等学校の講堂(重要文化財)」

http://www.city.matsumoto.nagano.jp/tiiki/sisetu/kyoiku/agatanomorikaikan/index.html
建物フェチの私は松本に9年間仕事で住んでいたこともあり、よく通いつめて写真を撮っていました。
先日は、夜の7時過ぎになってから時間が空いたので通りがけに寄ってみました。
すると、窓に明かりがあり、まだ利用者の方がおられるようでしたので、車を止め、散歩の心算で校舎へ向かいました。
松本市が偉いなあと思うのは、重要文化財にまでなっている建物を市民に(驚くほど格安で)開放し文化活動の場として校舎本来の機能を十全に果たしていることです。
各々、歴史の講座を開いたり、絵画教室があり、音楽活動も盛んに行われています。
その中の一室から合唱が聴こえて来ました。
耳を澄ますと「賛美歌」のようです。クリスマスも近いので練習をしているのでしょうか?
時間帯といい、素晴らしいシチュエーションにしばし、聞き入っておりました。
雨の晴れ間に月が高くかかり、この上ない至福の時です。
しばらくして、合唱が途切れた時、背後の講堂からピアノの調べが聴こえてきました。
お、なんだなんだ。と近づくと演奏会の演習でもしているのでしょうか、素晴らしい演奏です。
近づいてハッキリと聴こえるようになると曲が解ってきました。
Debussy Clair de Lune (月の光)
Nocturn
静かに講堂の隅で聴かせて頂いた僅か数分の時間は、私の音楽体験の中でも間違いなく最上の感動を与えてくれました。
講堂内は漆喰と暗く塗られた木材のコントラストが当時のまま正確に復元されたシャンデリアによって儚く照らされており、乾いた木の反響は、時にささやくように、時に大オーケストラのようにピアノの表現を超えるかのような響きでした。



教会の聖堂内で聴くオルガンの音やミサ曲など、ある特定の環境にあって聴く音楽は深く心に刻まれるといいます。たとえキリスト教徒で無くともです。
(教会側は信者に畏敬の念を持たせる狙いであのような環境や音楽を供するのですから、大変よく出来ています)
そうした、風景や時間といった環境と人の思い出と供に音楽は刻まれ、何年か後に、その曲を聴くことでその当時を原色のままリアルに思い起すことができるという音楽の力は、これだけ世界中で音楽が愛されている最大の理由の一つではないでしょうか。
私たちは、それと同じ感動を自分の部屋で、音だけで聴き取ろうとするのですから、オーディオの趣味も楽じゃあありません。
でも。
正しく整備されたシステムには、その力が備わっていることを知ってしまっては、オーディオの追求も辞められませんね。(半端なことではそこまで行けませんが)
帰宅した後、ありったけのDebussyのレコードを聴きまくったことは言うまでもありません。

松本市の政が健全であると思うひとつの例は、整備の行き届いていることです。
校舎のいたるところは、廊下であり、ガラスであり、調度であり、真鍮のドアノブまでも顔が映るほど磨き上げられています。
さらに、今のごとき落ち葉の季節は庭の管理はさぞ大変だろうと思いますが、落ち葉拾いは、近くの小学校か中学校の生徒さん達が(恐らく授業時間で)お手伝いをして貢献しています。
これほど市民生活に根付いた重要文化財は誇りですね。
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