もんのすごい現代オーディオを聴いて思ったこと

前回の続きです。

本格的にオーディオを始めた20歳そこそこの生意気盛りだった頃、オーディオの師匠たる人(自宅のWE-728Bを譲って下さった)にこんなフザケた台詞を吐いたことを思い出します。

「ヴィンテージの装置が一番心に響くと思うから今は使っていますけど、今後、何らかの技術革新があって、更に良いと思う機械が出来たら僕は躊躇無くヴィンテージから乗り換えようと思っています」

かー!腹立つねー!
今の自分にどこかの小僧がこんなことぬかしやがったら、ど突きまわしますね。実際・・・ああ、はずかしい。
その方はずっと大人だったので
「自分もそう思っているよ」と
軽く受け流してくれて、ど突きまわされずに済みました。

                                  

さて、そちらのお宅にお邪魔している間中、僕の頭の中にずっとあったもの・・・

観念的なので、言葉にするのはチョー難問なのですが、
現代のオーディオの目指すところは、天使が降りてきた時の感覚を、何処でも何時でも「音=現象」として表現しようとしているのかなあ。 と思いました。

天使の降りてきた音というのは、耳で音(空気の粗密という現象)を聴いているのではなく、前頭葉で直接音像を感じるような気分と言えばよいのでしょうか?
これを自宅で経験した人はほんの一握りかもしれません。

現代オーディオとは、その一握りの人の中でオーディオ機器の設計をする能力のある人が、最先端の理論と部品を駆使して作り上げた世界。
そんな感じを持ちました。
ソノリティは驚異的で、どの楽器の音も全てきちんと描き分けるほど倍音を正確に再生するのかもしれません。

いつでも、天使の音を聴ける状態になる なんと魅惑的な言葉でしょう。


そんな、至福の時間の中で、一つの考えが浮かんだというのは、次のことです。
今、目の前に展開している音の世界は、若気の至りで宣言した「驚異的な技術革新」のことなのだろうか?
確かに生意気な発言だったけど、はったりや強がりではなく本心を上手く隠せなかっただけなのは、自分が一番解っています。
もし、そうならばこれまで丹精こめて成長を見守ってきた、ドイツの劇場機材を手放して買い換えなければならないのだろうか?


その時点で、直ぐにそのような結論に達しなかったのは唯一つ理由があります。

この素晴らしい音の世界は、空気の粗密としての現象の世界であり、天使の音とは根本的な違いがあるということです。

勿論、天使は来客中には来てくれませんし、わずか半日の滞在で出会うことは無いでしょう。
それは、重々解っています。
それでも、過去オーディオ機材の何であれ聴いてから購入したことの無い私は、その場の音だけでは何も決めませんが、将来的に天使の音になる可能性を感じるかだけを考えていました。

                                       

結局その日は、なにも決着を付けられないまま、美味しいお料理をご馳走になってそのお宅を辞した時には、辺りは晩夏の遅いとばりが落ちていました。


この夏から秋の間、自分の家の音から少し距離を置いてよかったと思っています。

あのハイエンドの世界と付き合って行けば、いつか天使の音になるのだろうか?
という疑問には決着は付かないでしょうが、自分のシステムとの大きな違いは解りました。

まあ、皆さんにはバカにされるかもしれませんが
古い(我が家だけかな?)システムは帯域も解像度も全く敵わなくて、時にダンゴ状態で音を出すこともあるけれど、なんか珍妙な音も出るんですね。

ハイエンドオーディオは変な音を出さないのかも知れません。
例えば、ケンペ/VPOの「ローエングリン」1幕で、弦のユニゾンの上に木管が乗ってたとき等は、まるで「パイプオルガン」のように聴こえる箇所があります。
しかし、ハイエンドオーディオではその時も、見事に楽器の音色を描き分けて聴かせてくれます。

こうなっては、どちらが良いか悪いかの問題ではないですね。
レコード再生を通じて何を求めるかだけの違いのように思いました。

現状では、もう少し古代のオーディオと付き合ってみようかな。と思っています。

少なくとも、週一くらいで天使が来るようになるまでは。 その前に手放すのは悔しいからね。


ぷちっとひとつ
ご協力をお願いします。
にほんブログ村 PC家電ブログ ピュアオーディオへ
にほんブログ村
スポンサーサイト


コメント
コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
http://kaorin27.blog67.fc2.com/tb.php/124-b229062c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)