巨匠Furtwanglerが教えてくれること
正直申し上げて、僕は巨匠Furtwanglerの熱心な聞き手ではないわけです。(以下、名前が長いので巨匠とします)
中学生の多感な頃には、巨匠のレコードを全部買ったらレコードは終わり!なんて酷い勘違いをしていた時期もありましたが、無論そんな人生は歩まず今日に到っています。
長ずるにつれて、それまでは伝道師の如きお慕い申し上げていた「コーホーセンセイ」のウザありがたい文章に引く自分があり、時を同じうして巨匠の音楽からも遠ざかるようにもなりました。
現状の巨匠に対する偽らざる気持ちは、
感情の隆盛につれて大きく燃え上がる曲想といった巨匠流スタイルとそれに熱狂する支持者に対しては「ほんまにええんかいな?」と懐疑的になり、むしろアンチテーゼとして淡々と曲を組み立てて行きそうな職人気質指揮者に肩入れするものでした。
多数所有していたレコードも多くは処分をしてしまい、大物指揮者の中では最も聴く機会の少ない一人になっていました。
今週末は折からの台風接近の影響で雨模様となり、終日外出することも無くゆっくり音楽を聴くことができました。
実は10月の後半は講師の仕事が詰まっており(授業は1日6時間だけれど、準備に時間がとられる)帰宅後にアンプの電源は投入しても音楽までは聴けない日々が続いていたので、ようやくとここで溜飲を下げる思いでした。
こんなゆっくりした日は、自分のレコード棚にある「気になっていてもかけにくいレコード」を取り上げる絶好の機会といえましょう。
長いこと聴きたくても手が伸びず、疎遠になっていたレコードを聴くことができました。

見慣れない共通ジャケットです、
Pathe Marconiブランドの巨匠によるBeethoven Symfonie Nr.3 FALP-287 とありますが・・・

中身はふつーに ALP-1060 Made in Englandがしれーーっと入っています。
GG盤で何気にエンジェルは居るから海外向けの2版あたりでしょうけれど、「LA VOIX ・・・」ではないんだ。手抜き?
演奏は52年(頃)のVPOとのスタジオ録音で、巨匠最晩年の録音です。
この演奏については、コーホーセンセイは「冷静すぎる」と仰っていましたね。
僕は 通称「英雄交響楽」が大好きです。シンフォニーの中では多分一番好き。
カイルベルト先生やクレムペラー教授の名演はじめかなりの同名曲のレコードを持っていますし、頻繁に聴いてもいます。
それでも、ずーと耳の奥に残っていたのが、今回の巨匠の1枚でした。
これは、若い頃には随分と聴いていたレコードです。
しかし、今聴きなおして初めてこのレコードの価値を知ったのではないでしょうか。
この演奏全体を取りまく、想像を絶する程の透明感!(この賛辞の半分はEMIのスタッフへのものです)
各パートの完全なバランスと、内声まで見通せて織り成すハーモニクスの妙。
そして、類稀な和音の生み出す生きているかのような音色と息使い。(これはBeethovenとVPOにも感謝)
そして、やはりこの歳になって初めて巨匠の目指していたものや、それに因って到達した途方も無い境地をおぼろげながら想像できるようになったのだ。と思いました。
それはそれは、幸せな時間でした。
こんな心持ちで巨匠の演奏に接することが出来たってことは、少しばかりは我が家の装置もよろしくなったってことなのかしら。
そればかりは自分では分かりません。
しかし、死を目前にした偉人の最期の境地と言うのは、想像を絶するパワーがあるというのは判った。
これをオーディオに例えると老境の域に達した達人が使う、出力3wのシングルアンプと、フルレンジ(或いはそれにツィーターをそっと乗せたくらいで)だけで、音色とフェイズに全くにじみのない音の境地だろうか。
細かい機材は別にしても「潔くて、凛とした」オーディオであることは間違いないだろう。
驚くほど単純な道具建てで、驚くほど複雑な倍音を響かせる。
明らかに自分の理想には違いないけれど、果たしてその境地には何時になったらたどり着けるのやら。
一つだけハッキリしていることがある。
形だけ真似てシングルアンプ&フルレンジを使ってもどうにもならないってこと。
そこに行くまでには、マルチアンプやら5Wayやら、WEのシステムやらハイエンドやら、はたまた擂り鉢みたいなターンテーブルといった巨大な装置に溺れた後にシンプルな装置にたどり着いたのでなければダメだってこと!
機械の音の違いをトコトンしゃぶりつくしてから、実は機械の音の違いは大して重要じゃないってことも判るんだね。
これはまた、前回の記事のマーラーの言葉「二流の演奏家は・・・」に繋がるんだろう。
いずれにせよ、その人の歴史やバックボーンが重要だってことをマーラーやFurtwanglerは教えてくれているんだ。
たかがオーディオ趣味だって、若い頃は小さくまとまらずにヤンチャした方が、将来楽しみってことでしょう。
人生ってのは、別のことをしているようでも成功のキーは全て同じなんだよ!ってね。
私を含め、現在95件のピュアオーディオ・ブログが参加している、ブログ村オーディオカテゴリーへのリンクです。
是非覗いてみてください。ウエスタンや自作アンプ、自作スピーカーの情報が盛りだくさんです

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同じく、現在315件のクラシック音楽ブログが参加しているリンクです。歴史的名盤から、ニューリリースの感想まで、私もレコード探しの参考にさせて頂いています。

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中学生の多感な頃には、巨匠のレコードを全部買ったらレコードは終わり!なんて酷い勘違いをしていた時期もありましたが、無論そんな人生は歩まず今日に到っています。
長ずるにつれて、それまでは伝道師の如きお慕い申し上げていた「コーホーセンセイ」のウザありがたい文章に引く自分があり、時を同じうして巨匠の音楽からも遠ざかるようにもなりました。
現状の巨匠に対する偽らざる気持ちは、
感情の隆盛につれて大きく燃え上がる曲想といった巨匠流スタイルとそれに熱狂する支持者に対しては「ほんまにええんかいな?」と懐疑的になり、むしろアンチテーゼとして淡々と曲を組み立てて行きそうな職人気質指揮者に肩入れするものでした。
多数所有していたレコードも多くは処分をしてしまい、大物指揮者の中では最も聴く機会の少ない一人になっていました。
今週末は折からの台風接近の影響で雨模様となり、終日外出することも無くゆっくり音楽を聴くことができました。
実は10月の後半は講師の仕事が詰まっており(授業は1日6時間だけれど、準備に時間がとられる)帰宅後にアンプの電源は投入しても音楽までは聴けない日々が続いていたので、ようやくとここで溜飲を下げる思いでした。
こんなゆっくりした日は、自分のレコード棚にある「気になっていてもかけにくいレコード」を取り上げる絶好の機会といえましょう。
長いこと聴きたくても手が伸びず、疎遠になっていたレコードを聴くことができました。

見慣れない共通ジャケットです、
Pathe Marconiブランドの巨匠によるBeethoven Symfonie Nr.3 FALP-287 とありますが・・・

中身はふつーに ALP-1060 Made in Englandがしれーーっと入っています。
GG盤で何気にエンジェルは居るから海外向けの2版あたりでしょうけれど、「LA VOIX ・・・」ではないんだ。手抜き?
演奏は52年(頃)のVPOとのスタジオ録音で、巨匠最晩年の録音です。
この演奏については、コーホーセンセイは「冷静すぎる」と仰っていましたね。
僕は 通称「英雄交響楽」が大好きです。シンフォニーの中では多分一番好き。
カイルベルト先生やクレムペラー教授の名演はじめかなりの同名曲のレコードを持っていますし、頻繁に聴いてもいます。
それでも、ずーと耳の奥に残っていたのが、今回の巨匠の1枚でした。
これは、若い頃には随分と聴いていたレコードです。
しかし、今聴きなおして初めてこのレコードの価値を知ったのではないでしょうか。
この演奏全体を取りまく、想像を絶する程の透明感!(この賛辞の半分はEMIのスタッフへのものです)
各パートの完全なバランスと、内声まで見通せて織り成すハーモニクスの妙。
そして、類稀な和音の生み出す生きているかのような音色と息使い。(これはBeethovenとVPOにも感謝)
そして、やはりこの歳になって初めて巨匠の目指していたものや、それに因って到達した途方も無い境地をおぼろげながら想像できるようになったのだ。と思いました。
それはそれは、幸せな時間でした。
こんな心持ちで巨匠の演奏に接することが出来たってことは、少しばかりは我が家の装置もよろしくなったってことなのかしら。
そればかりは自分では分かりません。
しかし、死を目前にした偉人の最期の境地と言うのは、想像を絶するパワーがあるというのは判った。
これをオーディオに例えると老境の域に達した達人が使う、出力3wのシングルアンプと、フルレンジ(或いはそれにツィーターをそっと乗せたくらいで)だけで、音色とフェイズに全くにじみのない音の境地だろうか。
細かい機材は別にしても「潔くて、凛とした」オーディオであることは間違いないだろう。
驚くほど単純な道具建てで、驚くほど複雑な倍音を響かせる。
明らかに自分の理想には違いないけれど、果たしてその境地には何時になったらたどり着けるのやら。
一つだけハッキリしていることがある。
形だけ真似てシングルアンプ&フルレンジを使ってもどうにもならないってこと。
そこに行くまでには、マルチアンプやら5Wayやら、WEのシステムやらハイエンドやら、はたまた擂り鉢みたいなターンテーブルといった巨大な装置に溺れた後にシンプルな装置にたどり着いたのでなければダメだってこと!
機械の音の違いをトコトンしゃぶりつくしてから、実は機械の音の違いは大して重要じゃないってことも判るんだね。
これはまた、前回の記事のマーラーの言葉「二流の演奏家は・・・」に繋がるんだろう。
いずれにせよ、その人の歴史やバックボーンが重要だってことをマーラーやFurtwanglerは教えてくれているんだ。
たかがオーディオ趣味だって、若い頃は小さくまとまらずにヤンチャした方が、将来楽しみってことでしょう。
人生ってのは、別のことをしているようでも成功のキーは全て同じなんだよ!ってね。
私を含め、現在95件のピュアオーディオ・ブログが参加している、ブログ村オーディオカテゴリーへのリンクです。
是非覗いてみてください。ウエスタンや自作アンプ、自作スピーカーの情報が盛りだくさんです

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コメント
こんばんは
中学生の頃の運命的な出会い以来、ずーっとフルトヴェングラー・ファン
ですが、その凄さに圧倒されているだけで、冷静に分析できる段階には至
っていません。
それでも、これからも真摯に聴き続けていたら、きっと私にも分かる日が
来るのかなって思って(信じて)います。
ジャケットとレコードの国が違うものは中古ではよく見かけますし、たま
にそれだけの理由で安くなっていることがあり、得した気分になります。
中学生の頃の運命的な出会い以来、ずーっとフルトヴェングラー・ファン
ですが、その凄さに圧倒されているだけで、冷静に分析できる段階には至
っていません。
それでも、これからも真摯に聴き続けていたら、きっと私にも分かる日が
来るのかなって思って(信じて)います。
ジャケットとレコードの国が違うものは中古ではよく見かけますし、たま
にそれだけの理由で安くなっていることがあり、得した気分になります。
メタボパパさんこんばんは、
いえいえ、とてもとても・・・
想像しているだけで、分析とかまでは。まだまだ。
客観的に思うのは、50年以降のHMVとDGに入れたFurtwangler盤の音の凄さですね。
多分、実際に出ていた音も別格(少なくとも強烈に個性的)だったのでは?
と思えることです。
音だけでも、十二分に「ヤバイ」です。
いえいえ、とてもとても・・・
想像しているだけで、分析とかまでは。まだまだ。
客観的に思うのは、50年以降のHMVとDGに入れたFurtwangler盤の音の凄さですね。
多分、実際に出ていた音も別格(少なくとも強烈に個性的)だったのでは?
と思えることです。
音だけでも、十二分に「ヤバイ」です。
2010/11/02(火) 23:57 | URL | kaorin27 #-[ 編集]
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