「無音」という音についての出来っこない考察
先般の記事の中で、Hさんとおっしゃる方からコメントを頂き「無音」について考えさせられるキッカケをいただいた。
実はオーディオと付き合って来た間で、「無音」について考えるのは今回が始めてではない。
では何回目かと問われると記憶力の崩壊している僕の場合、ハタハタ困るのだけれど、初回が何時だったかはハッキリと覚えている。今日はまず、その話から始めよう。
この本の中に下の文章を見つけた時だ。

五味 康祐 「オーディオ遍歴」新潮社 より 「音と沈黙」 (1971)
エッセイの概略、
大切な仕事を後回しにしてさえ、私は10年間オーディオに血道を挙げてきた。もう、こうなったらとことんやるしかないだろう。
その当時話題になりつつあった「4ch」を、「本当に部屋がコンサートホールの感じになるなら女房を質に入れても」の決意で取り組んだ。
以下に紹介するのはその後日談です。
前文略
こころみに、再びオートグラフだけに戻して私はいきをのんだ。その音声の清澄さ、かがやき、音そのものが持つ気品。陰影の深さ。まるで比較にならない。なんというオートグラフ(2チャンネルの)素晴らしさだろう。
私は一瞬、茫然とし、あらためてピアノやオーケストラを2チャンネルで聴き直し、私は悟ったのである。
4チャンネルの騒々しさや音の厚みとは、ふと音がやんだ時の静寂の深さが違うことを。
言うなら、無音の清澄感にそれは勝っているし、音の鳴らない静けさに気品がある。
中略
私は知った、これまで音を良くするために金をかけたつもりでいたが、なんのことはない、音のやんだ沈黙をより大事にするために、音の出る機械を私はせっせと買っていたのである。
一千万円をかけて私がもとめたのは結局この沈黙の方だった。
後文略、原文のまま
この本を買った当時、僕はLUXMANのトランジスタ式セパレートアンプでドイツグルンディッヒの密閉型スピーカーを鳴らしていた。
直後に、ヴィンテージを教えてもらい、WEのスピーカーやALTECの真空管アンプ、EMTを使うようになった。
するとどうだろう、それまでの新型アンプやスピーカーに比べると・・・
スピーカーの能率はバカ高くなったし、アンプのノイズレヴェルも高いから、スピーカーの傍に耳を近づけるとアンプのハム音やノイズはびっくりするほど大きく聞こえた。
しかし、定められた聴取位置に着座すると、それらハム音やノイズは不思議と気にならなくなり、
更にレコードに針を降ろすと、有るはずがないのに降ろす前よりも、引き込まれるような静寂感を覚えた。
アンプの電源を入れたり、針を下ろしたり。
ノイズの原因を作れば作るほど、静寂を感じるなんて。不思議で仕方がなかった。
そんな時に、上のエッセイを読み返して、当時は小僧なりの理解で合点がいったように思う。
あれから30年近く経つけれど、今でも毎日レコードに針を降ろす際にはその時と全く同じ気持ちになるし、五味さんの文に何度も膝を叩いたのを昨日の事の様に思い出す。
針を降ろした瞬間に部屋の空気が静まり返るのを感じるのが好きで、それ以来僕は、いかなる時も装置の音量を下げるということをしなくなった。

もう30年近く昔の写真だ。懐かしいなあ。プリはC-20に WE351を整流管に使っている!贅沢だなああ。
このような「ノイズのある無音」を僕は「無音という音」を聴いているのだと思っていた。
はからずも、Hさんも「静けさが聴こえてくる」とおっしゃった。
つまり、S/N比というのは、ノイズの少なさを表す数値ではなくて、装置の持つ「無音」という音質の質の部分を表すもので・・・
例えば、画家はどれ程真っ白なキャンパスを手に入れても、雪や光の白さ、まぶしさを表すためには白の絵の具に「冷たさ」や「きらめき」といったニュアンス・想いを込めて描いているのでしょう。
同様にオーディオでは、同じ装置を聴いていても、上手く鳴っているときには静寂の深さが勝り、調子の悪いときには「無音」さえも浮き足立って聴こえる。
その感じを、「計測されたS/N比」ではなく「ダイナミックなS/N比」と呼んで区別している。
時々、僕がCDやSACDを重用しないことを叱責するようなコメントを貰うこともあるけれど、
一例として、アナログテープレコーダーに刻まれている、RECスタート後に演奏が始まるまでの、わずかなタイムラグの間にホールの「空気の気配」というべき無音の音を感じる事ができないなら、又はそんな経験が無ければ僕の気持ちも分かってもらえないと思う。
技術的には元より、僕には全く説明は出来ないが、アナログのテープやレコードには、その空気を震わせてヴァイオリンの音が伝わって来るんだという納得があるんだよね。
音の善し悪しではない「納得」が。
しかし、技術革新により、より生々しい「無音」が聴ける事を僕は誰よりも期待しているつもりだ。
ただ、現状のCDやSACDではこの一点を比べてみてもまだまだ満足できる段階で無いことは悔しい限りだ。奮起を期待したい。
以上が、30年ほど前に、始めて「無音」について考えたことでした。
今回のHさんの言われる、ドビッシーのピアノ曲と無音に関しては次回にお話しできればと思います。
最後に、五味さんのエッセイの結びの部分を転記します。
・・・・一千万円をかけて私がもとめたのは結局この沈黙の方だった。
お恥ずかしい話だが、そう悟ったとき突然、涙がこぼれた。私は間違っていないだろう。終尾楽章のトリルで次第に音が消えた跡の、すぐれた装置のもつ沈黙の気高さよ、沈黙は余韻を曳き、いつまでも私のまわりに残っている。レコードを鳴らさずとも生活の周りに、残っている。
そういう沈黙だけがヴァイオリンを悪魔的にひびかせるので、楽器から悪魔の音が出るのではない。きこえてくるのは楽器ではなく沈黙からだ。家庭における音楽鑑賞は、そして、ここから始まるだろう。
了
原文のまま
私を含め、現在95件のピュアオーディオ・ブログが参加している、ブログ村オーディオカテゴリーへのリンクです。
是非覗いてみてください。ウエスタンや自作アンプ、自作スピーカーの情報が盛りだくさんです

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同じく、現在315件のクラシック音楽ブログが参加しているリンクです。歴史的名盤から、ニューリリースの感想まで、私もレコード探しの参考にさせて頂いています。

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実はオーディオと付き合って来た間で、「無音」について考えるのは今回が始めてではない。
では何回目かと問われると記憶力の崩壊している僕の場合、ハタハタ困るのだけれど、初回が何時だったかはハッキリと覚えている。今日はまず、その話から始めよう。
この本の中に下の文章を見つけた時だ。

五味 康祐 「オーディオ遍歴」新潮社 より 「音と沈黙」 (1971)
エッセイの概略、
大切な仕事を後回しにしてさえ、私は10年間オーディオに血道を挙げてきた。もう、こうなったらとことんやるしかないだろう。
その当時話題になりつつあった「4ch」を、「本当に部屋がコンサートホールの感じになるなら女房を質に入れても」の決意で取り組んだ。
以下に紹介するのはその後日談です。
前文略
こころみに、再びオートグラフだけに戻して私はいきをのんだ。その音声の清澄さ、かがやき、音そのものが持つ気品。陰影の深さ。まるで比較にならない。なんというオートグラフ(2チャンネルの)素晴らしさだろう。
私は一瞬、茫然とし、あらためてピアノやオーケストラを2チャンネルで聴き直し、私は悟ったのである。
4チャンネルの騒々しさや音の厚みとは、ふと音がやんだ時の静寂の深さが違うことを。
言うなら、無音の清澄感にそれは勝っているし、音の鳴らない静けさに気品がある。
中略
私は知った、これまで音を良くするために金をかけたつもりでいたが、なんのことはない、音のやんだ沈黙をより大事にするために、音の出る機械を私はせっせと買っていたのである。
一千万円をかけて私がもとめたのは結局この沈黙の方だった。
後文略、原文のまま
この本を買った当時、僕はLUXMANのトランジスタ式セパレートアンプでドイツグルンディッヒの密閉型スピーカーを鳴らしていた。
直後に、ヴィンテージを教えてもらい、WEのスピーカーやALTECの真空管アンプ、EMTを使うようになった。
するとどうだろう、それまでの新型アンプやスピーカーに比べると・・・
スピーカーの能率はバカ高くなったし、アンプのノイズレヴェルも高いから、スピーカーの傍に耳を近づけるとアンプのハム音やノイズはびっくりするほど大きく聞こえた。
しかし、定められた聴取位置に着座すると、それらハム音やノイズは不思議と気にならなくなり、
更にレコードに針を降ろすと、有るはずがないのに降ろす前よりも、引き込まれるような静寂感を覚えた。
アンプの電源を入れたり、針を下ろしたり。
ノイズの原因を作れば作るほど、静寂を感じるなんて。不思議で仕方がなかった。
そんな時に、上のエッセイを読み返して、当時は小僧なりの理解で合点がいったように思う。
あれから30年近く経つけれど、今でも毎日レコードに針を降ろす際にはその時と全く同じ気持ちになるし、五味さんの文に何度も膝を叩いたのを昨日の事の様に思い出す。
針を降ろした瞬間に部屋の空気が静まり返るのを感じるのが好きで、それ以来僕は、いかなる時も装置の音量を下げるということをしなくなった。

もう30年近く昔の写真だ。懐かしいなあ。プリはC-20に WE351を整流管に使っている!贅沢だなああ。
このような「ノイズのある無音」を僕は「無音という音」を聴いているのだと思っていた。
はからずも、Hさんも「静けさが聴こえてくる」とおっしゃった。
つまり、S/N比というのは、ノイズの少なさを表す数値ではなくて、装置の持つ「無音」という音質の質の部分を表すもので・・・
例えば、画家はどれ程真っ白なキャンパスを手に入れても、雪や光の白さ、まぶしさを表すためには白の絵の具に「冷たさ」や「きらめき」といったニュアンス・想いを込めて描いているのでしょう。
同様にオーディオでは、同じ装置を聴いていても、上手く鳴っているときには静寂の深さが勝り、調子の悪いときには「無音」さえも浮き足立って聴こえる。
その感じを、「計測されたS/N比」ではなく「ダイナミックなS/N比」と呼んで区別している。
時々、僕がCDやSACDを重用しないことを叱責するようなコメントを貰うこともあるけれど、
一例として、アナログテープレコーダーに刻まれている、RECスタート後に演奏が始まるまでの、わずかなタイムラグの間にホールの「空気の気配」というべき無音の音を感じる事ができないなら、又はそんな経験が無ければ僕の気持ちも分かってもらえないと思う。
技術的には元より、僕には全く説明は出来ないが、アナログのテープやレコードには、その空気を震わせてヴァイオリンの音が伝わって来るんだという納得があるんだよね。
音の善し悪しではない「納得」が。
しかし、技術革新により、より生々しい「無音」が聴ける事を僕は誰よりも期待しているつもりだ。
ただ、現状のCDやSACDではこの一点を比べてみてもまだまだ満足できる段階で無いことは悔しい限りだ。奮起を期待したい。
以上が、30年ほど前に、始めて「無音」について考えたことでした。
今回のHさんの言われる、ドビッシーのピアノ曲と無音に関しては次回にお話しできればと思います。
最後に、五味さんのエッセイの結びの部分を転記します。
・・・・一千万円をかけて私がもとめたのは結局この沈黙の方だった。
お恥ずかしい話だが、そう悟ったとき突然、涙がこぼれた。私は間違っていないだろう。終尾楽章のトリルで次第に音が消えた跡の、すぐれた装置のもつ沈黙の気高さよ、沈黙は余韻を曳き、いつまでも私のまわりに残っている。レコードを鳴らさずとも生活の周りに、残っている。
そういう沈黙だけがヴァイオリンを悪魔的にひびかせるので、楽器から悪魔の音が出るのではない。きこえてくるのは楽器ではなく沈黙からだ。家庭における音楽鑑賞は、そして、ここから始まるだろう。
了
原文のまま
私を含め、現在95件のピュアオーディオ・ブログが参加している、ブログ村オーディオカテゴリーへのリンクです。
是非覗いてみてください。ウエスタンや自作アンプ、自作スピーカーの情報が盛りだくさんです

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コメント
初めましてwooです^^ 時々覗かせていただいて
居ります♪
機械/電気的素養ゼロゆえ、完成品群を如何なる
組み合わせで鳴らすかと言う以外、全く能のない
ワタシですが、時折、貴ブログから受けた天啓を
自分なりに咀嚼して使わせて頂いてます^^
五味康祐と言う人は、書いてるものは大衆文学
音に関しては正に”純文学”と言う面白い人♪
余技としての観相学にも長けてた様です^^
「無音」・・と云う概念はオーディオ、とりわけ
アナログに触れると、何となく理解出来る”感覚”
ですね・・高能率のスピーカーにより感じられる
アンプが灯った状態の、”静寂”とは異なる”無音”
状態と言うのは貴重な”音”かも知れません・・
同じ本を読んで於きながら、この事に深く思いを
馳せる事の無かった自分がお恥ずかしい^^;
居ります♪
機械/電気的素養ゼロゆえ、完成品群を如何なる
組み合わせで鳴らすかと言う以外、全く能のない
ワタシですが、時折、貴ブログから受けた天啓を
自分なりに咀嚼して使わせて頂いてます^^
五味康祐と言う人は、書いてるものは大衆文学
音に関しては正に”純文学”と言う面白い人♪
余技としての観相学にも長けてた様です^^
「無音」・・と云う概念はオーディオ、とりわけ
アナログに触れると、何となく理解出来る”感覚”
ですね・・高能率のスピーカーにより感じられる
アンプが灯った状態の、”静寂”とは異なる”無音”
状態と言うのは貴重な”音”かも知れません・・
同じ本を読んで於きながら、この事に深く思いを
馳せる事の無かった自分がお恥ずかしい^^;
wooさん、こんにちは、コメントありがとうございます。
>高効率のスピーカーによる・・・・
やばいなあ、次回のネタをww・・・その通りですよね。
恐らく、その辺りに秘密が有るのじゃないかと踏んでいます。
貴ブログ拝見しました。
羨ましいお部屋に、191ですね、憧れの。
それと、部屋の景観を乱すような音響対策Goodsなんかいらない!
に、1票を入れておいて下さい。
>高効率のスピーカーによる・・・・
やばいなあ、次回のネタをww・・・その通りですよね。
恐らく、その辺りに秘密が有るのじゃないかと踏んでいます。
貴ブログ拝見しました。
羨ましいお部屋に、191ですね、憧れの。
それと、部屋の景観を乱すような音響対策Goodsなんかいらない!
に、1票を入れておいて下さい。
2011/06/21(火) 15:37 | URL | kaorin27 #-[ 編集]
アハハ、腕の悪い持ち主に出会った可哀想な191デス^^;
景観条例賛同者を得てウレシイです(笑)
今後とも宜しくお願い致します♪
景観条例賛同者を得てウレシイです(笑)
今後とも宜しくお願い致します♪
Wooさんこんにちは
ありがとうございます。
こちらこそ、よろしくお願いします。
ありがとうございます。
こちらこそ、よろしくお願いします。
2011/06/22(水) 10:17 | URL | kaorin27 #-[ 編集]
kaorin27さん こんばんは。
五味康助氏の著作は、私も幾つか読んでいますが、この文章は
初めて読みました。氏の書かれたものには、レコードで音楽を聴く
ことにたいする切実な想いを常に感じますね。“カラヤンのDGGの
モーツァルト”を堕落したとか、厚化粧などど酷評したり、
“グリュミォーのモーツァルト”には白痴美しか感じないなどと
「うーむ!納得できん!」という文章も少なくはないのですが(笑)。
kaorin27さんはドビュッシーのピアノ曲は好きですか?
誰の演奏で聴きまか?
五味康助氏の著作は、私も幾つか読んでいますが、この文章は
初めて読みました。氏の書かれたものには、レコードで音楽を聴く
ことにたいする切実な想いを常に感じますね。“カラヤンのDGGの
モーツァルト”を堕落したとか、厚化粧などど酷評したり、
“グリュミォーのモーツァルト”には白痴美しか感じないなどと
「うーむ!納得できん!」という文章も少なくはないのですが(笑)。
kaorin27さんはドビュッシーのピアノ曲は好きですか?
誰の演奏で聴きまか?
kaorin27さん 先ほどのコメント、脱字です。
最後の行『誰の演奏で聴きますか?』でした。ごめんなさい。
最後の行『誰の演奏で聴きますか?』でした。ごめんなさい。
こんばんは、
ミケランジェリの前奏曲1巻は衝撃的でした。
それ以前はコルトーが主でした、音源は少なかったけれど。
普段はフェブリエのCDか、アースのLPを聴くことが多いですね。
どちらもかなりの曲数がありますので。
関連記事です。
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-108.html
ミケランジェリの前奏曲1巻は衝撃的でした。
それ以前はコルトーが主でした、音源は少なかったけれど。
普段はフェブリエのCDか、アースのLPを聴くことが多いですね。
どちらもかなりの曲数がありますので。
関連記事です。
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-108.html
2011/06/23(木) 00:49 | URL | kaorin27 #-[ 編集]
こんにちは
無音に関してのお二人のコメントを読んだときに私も
五味さんの文章を思い出しました。
そして、一時期この無音の美しさをどうしたら得られ
るか、真剣に探った頃を思い出しました。
深い井戸の中を覗き込み、一滴のしずくが落ち、波紋
が止んだあとの静けさ。これを求めています。
無音の美を得るには男を磨くことが重要なのだと思い
至っています。
無音に関してのお二人のコメントを読んだときに私も
五味さんの文章を思い出しました。
そして、一時期この無音の美しさをどうしたら得られ
るか、真剣に探った頃を思い出しました。
深い井戸の中を覗き込み、一滴のしずくが落ち、波紋
が止んだあとの静けさ。これを求めています。
無音の美を得るには男を磨くことが重要なのだと思い
至っています。
メタボパパさん、ご苦労様です。
何がって?まあ、色々です。
お、おとこを磨くですって?
きっと何かを一心不乱にやってみた先にそんな境地があるのかも
しれませんね。
勿論僕は持ってはいませんが、日本刀を愛でる人ってのは、波紋の中に
無限の動と生を、つまり宇宙かなんかを見るんですよね。きっと。
二つのスピーカーの奥に宇宙が見えるとしたら、アンプの電源を入れている
「動」の状態以外はありませんよね。それは間違いないと思います。
何がって?まあ、色々です。
お、おとこを磨くですって?
きっと何かを一心不乱にやってみた先にそんな境地があるのかも
しれませんね。
勿論僕は持ってはいませんが、日本刀を愛でる人ってのは、波紋の中に
無限の動と生を、つまり宇宙かなんかを見るんですよね。きっと。
二つのスピーカーの奥に宇宙が見えるとしたら、アンプの電源を入れている
「動」の状態以外はありませんよね。それは間違いないと思います。
2011/06/27(月) 02:50 | URL | kaorin27 #-[ 編集]
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