今日は、音の無い「無音」について
運転免許を取立ての頃、走行時のノイズの大きな昔の車のカーステでは、静かな場面の多いクラシックはとても聞けたもので無いと思い知りました。
対して、ロックやポップスのような連続して一定の音量でリズムを刻む曲は車の中でも聞きやすく、まあクラシックが若い人に受けるはずもないということも理解できました。
さて、今日は、絶対的に音のしない「無音」について考えてみます。
というか、それが当たり前なんですけどね。「無音」なんですから。
Hさんのコメントには、
CDの出現によって「これで ドビュッシーのピアノ曲がやっと聴ける」と安堵した。
と、ありました。
以前のロマン派の音楽に比べて、近代フランスの作品は静寂や間を上手く利用して曲想を高める仕掛けが施されているものが多く、静と動の対比をより極めているように感じます。
詳しくは専門家に任せるべきですが、新しい時代の音楽家は、より自由な表現を求めて調性の拡張・簡略化等、伝統的な様式からの開放を進めていったことと無関係ではないように思います。
コメントのやり取りの中でも書いたのですが、CDのような「音のない無音」をベースにアタックが立ち上がったり、消え入る音を表現できる現代のオーディオは、正にドビュッシーのピアノにはピッタリでしょうね。
そして、僕はCDのこの特徴を考えるときはいつも、高額な植物図鑑に載っている「ボタニカルアート」の挿絵を思い出します。

形も色も精密で正確無比ですし、バックグラウンドは常に白バックです。
まさに、空間にポッと花が浮かび上がる感じがCDをはじめとする現代の高性能オーディオの提示する音像に共通したものがあると思います。
その空間こそは、まさしく「無」の空間で、言ってみれば宇宙空間に浮かんだピアノが旋律を謳いだしたり、そこに溶け込んで消えてゆきます。
ラヴェルやドビュッシーの器楽曲にこれ程ふさわしいフィールドがあるでしょうか。
もし、空中に浮くピアノではなくステージの床の上に置いてあるピアノを再現しようとすると、その床にはもしかしたら傷があるかもしれないし、ゴミも落ちているかもしれない。
そんなホールはエアコンも古いから、気にすれば気になる雑音も聞こえてくるでしょう。
19世紀のホールに比べたら現代のホールは色々な意味で良く出来ているはずです。オーディオも劇場も時代の変化と共に進化を続けて行くのです。
Hさんは、静寂を獲得した替わりに失ったものもあるかもしれないと仰っていましたが、僕はそんなことはないと思いますよ。
Hさんは体質的にノイジーな物がNGということでしたが、むしろ進化した現代のものを積極的に嗜好する人の方が圧倒的に多いのですから、それを推し進めてこれまでにない良質なものを作り出して行くべきだと思います。
一方、生活のために、紫煙の立ち込めるカフェや酒場でピアノを弾いていたエリック・サティの曲などは余りにアカデミックに傾きすぎないように聴くべきなのかもしれませんね。
これはオーディオの性能とは別に、聞き手と楽曲との付き合い方の問題だと思います。 いやーー、深い。実に深い。
無音の音という意味ではもう一点、是非挙げておきたい部分があります。
人類史上最も有名な楽曲のひとつでもある ベートーヴェンの交響曲第五番 の冒頭部分です。
俗に運命はかく扉を叩くと言われる、「ダダダ・ダーン」のテーマですが、楽譜を見ると・・・

先頭の八分休符を初めて見たときには大げさに言って、半日は固まっていました。
宇宙の果てや、海の底ですら人類は知らないことが多いけれど、人間の脳の可能性だってまだまだ先が見えないと思いました。それくらい衝撃を受けた八分休符です。
上譜の通り、先頭には八分休符が存在し、「ん!・ダダダ・ダーン」という形になっています。
当然 四分の二拍子ですから、八分音符が3つなら一つ分余るのでその穴埋めに八分休符で埋めておいたとデジタル(計算ずく)な見方も出来るでしょう。
でも、二拍子の振り始めに半拍置いてフォルテシモスタートですよ!!!!お互い登り詰めてバクハツしかないでしょう。
溜めて、ためて爆発させるための八分休符ですから、このタメを作れないオーケストラはまだまだですし、この休符の空気を再生出来ないオーディオセットもまだまだってことになるのでしょうね。
結局は、出る音だけを捉えていーだのわるいだの言っても、何時までも決着は付かないんだよ。ということをベートーヴェンは200年も前に自ら作った曲に乗せて我々現代のオーディオ好きに教えてくれているんだと思う。
悲しいことに最も大切にしている演奏である、1947年、テタニア・パラスト館のライブ録音レコードが今我が家にありません。 このレコードを紹介されているメタボパパさんへのリンク
大戦後、ナチ裁判から晴れて自由を勝ち取ったフルトベングラーが演奏会に復帰した戦後初公演と伝わる名演中の名演です。
余りに緊張が過ぎて、2度目の「ダダダ・ダーン」でクラリネット(だったか?)奏者が堪えきれずに華々しいフライングを飾っている模様が克明に記録されています。
これを「演奏の傷、ミスのある不完全な演奏」とぬかした者がかつて居りました。
取り繕いの録音機材で録られた音を、こもっていて音が悪いといった者もおりました。
壊滅的に破壊されたベルリンにあって、ガレキを掻き分けて会場に通った人々の吸っていた空気がこのレコードには記録されているはずです。
会場内に充満する、戦争が終わったという実感、安堵、目の前のガレキの山、生きることへの不安、でも希望の光が射しているといった空気が感じられて仕方ありません。
上のサティと同じく1枚のレコードとどのように付き合うかは100%聴き手に委ねられているのがオーディオの奥深く、楽しいところですね。
私を含め、現在95件のピュアオーディオ・ブログが参加している、ブログ村オーディオカテゴリーへのリンクです。
是非覗いてみてください。ウエスタンや自作アンプ、自作スピーカーの情報が盛りだくさんです

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同じく、現在315件のクラシック音楽ブログが参加しているリンクです。歴史的名盤から、ニューリリースの感想まで、私もレコード探しの参考にさせて頂いています。

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対して、ロックやポップスのような連続して一定の音量でリズムを刻む曲は車の中でも聞きやすく、まあクラシックが若い人に受けるはずもないということも理解できました。
さて、今日は、絶対的に音のしない「無音」について考えてみます。
というか、それが当たり前なんですけどね。「無音」なんですから。
Hさんのコメントには、
CDの出現によって「これで ドビュッシーのピアノ曲がやっと聴ける」と安堵した。
と、ありました。
以前のロマン派の音楽に比べて、近代フランスの作品は静寂や間を上手く利用して曲想を高める仕掛けが施されているものが多く、静と動の対比をより極めているように感じます。
詳しくは専門家に任せるべきですが、新しい時代の音楽家は、より自由な表現を求めて調性の拡張・簡略化等、伝統的な様式からの開放を進めていったことと無関係ではないように思います。
コメントのやり取りの中でも書いたのですが、CDのような「音のない無音」をベースにアタックが立ち上がったり、消え入る音を表現できる現代のオーディオは、正にドビュッシーのピアノにはピッタリでしょうね。
そして、僕はCDのこの特徴を考えるときはいつも、高額な植物図鑑に載っている「ボタニカルアート」の挿絵を思い出します。

形も色も精密で正確無比ですし、バックグラウンドは常に白バックです。
まさに、空間にポッと花が浮かび上がる感じがCDをはじめとする現代の高性能オーディオの提示する音像に共通したものがあると思います。
その空間こそは、まさしく「無」の空間で、言ってみれば宇宙空間に浮かんだピアノが旋律を謳いだしたり、そこに溶け込んで消えてゆきます。
ラヴェルやドビュッシーの器楽曲にこれ程ふさわしいフィールドがあるでしょうか。
もし、空中に浮くピアノではなくステージの床の上に置いてあるピアノを再現しようとすると、その床にはもしかしたら傷があるかもしれないし、ゴミも落ちているかもしれない。
そんなホールはエアコンも古いから、気にすれば気になる雑音も聞こえてくるでしょう。
19世紀のホールに比べたら現代のホールは色々な意味で良く出来ているはずです。オーディオも劇場も時代の変化と共に進化を続けて行くのです。
Hさんは、静寂を獲得した替わりに失ったものもあるかもしれないと仰っていましたが、僕はそんなことはないと思いますよ。
Hさんは体質的にノイジーな物がNGということでしたが、むしろ進化した現代のものを積極的に嗜好する人の方が圧倒的に多いのですから、それを推し進めてこれまでにない良質なものを作り出して行くべきだと思います。
一方、生活のために、紫煙の立ち込めるカフェや酒場でピアノを弾いていたエリック・サティの曲などは余りにアカデミックに傾きすぎないように聴くべきなのかもしれませんね。
これはオーディオの性能とは別に、聞き手と楽曲との付き合い方の問題だと思います。 いやーー、深い。実に深い。
無音の音という意味ではもう一点、是非挙げておきたい部分があります。
人類史上最も有名な楽曲のひとつでもある ベートーヴェンの交響曲第五番 の冒頭部分です。
俗に運命はかく扉を叩くと言われる、「ダダダ・ダーン」のテーマですが、楽譜を見ると・・・

先頭の八分休符を初めて見たときには大げさに言って、半日は固まっていました。
宇宙の果てや、海の底ですら人類は知らないことが多いけれど、人間の脳の可能性だってまだまだ先が見えないと思いました。それくらい衝撃を受けた八分休符です。
上譜の通り、先頭には八分休符が存在し、「ん!・ダダダ・ダーン」という形になっています。
当然 四分の二拍子ですから、八分音符が3つなら一つ分余るのでその穴埋めに八分休符で埋めておいたとデジタル(計算ずく)な見方も出来るでしょう。
でも、二拍子の振り始めに半拍置いてフォルテシモスタートですよ!!!!お互い登り詰めてバクハツしかないでしょう。
溜めて、ためて爆発させるための八分休符ですから、このタメを作れないオーケストラはまだまだですし、この休符の空気を再生出来ないオーディオセットもまだまだってことになるのでしょうね。
結局は、出る音だけを捉えていーだのわるいだの言っても、何時までも決着は付かないんだよ。ということをベートーヴェンは200年も前に自ら作った曲に乗せて我々現代のオーディオ好きに教えてくれているんだと思う。
悲しいことに最も大切にしている演奏である、1947年、テタニア・パラスト館のライブ録音レコードが今我が家にありません。 このレコードを紹介されているメタボパパさんへのリンク
大戦後、ナチ裁判から晴れて自由を勝ち取ったフルトベングラーが演奏会に復帰した戦後初公演と伝わる名演中の名演です。
余りに緊張が過ぎて、2度目の「ダダダ・ダーン」でクラリネット(だったか?)奏者が堪えきれずに華々しいフライングを飾っている模様が克明に記録されています。
これを「演奏の傷、ミスのある不完全な演奏」とぬかした者がかつて居りました。
取り繕いの録音機材で録られた音を、こもっていて音が悪いといった者もおりました。
壊滅的に破壊されたベルリンにあって、ガレキを掻き分けて会場に通った人々の吸っていた空気がこのレコードには記録されているはずです。
会場内に充満する、戦争が終わったという実感、安堵、目の前のガレキの山、生きることへの不安、でも希望の光が射しているといった空気が感じられて仕方ありません。
上のサティと同じく1枚のレコードとどのように付き合うかは100%聴き手に委ねられているのがオーディオの奥深く、楽しいところですね。
私を含め、現在95件のピュアオーディオ・ブログが参加している、ブログ村オーディオカテゴリーへのリンクです。
是非覗いてみてください。ウエスタンや自作アンプ、自作スピーカーの情報が盛りだくさんです

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コメント
”1枚のレコードとどのように付き合うかは100%
聴き手に委ねられている”と言うのは言い得て妙^^
趣旨が少し違うかも知れませんが、僕の場合”音”を
聴くか”音楽”を聴くかと言う選択を脳内では無く、
スピーカーの選択(切替)でやってます^^
聴き手に委ねられている”と言うのは言い得て妙^^
趣旨が少し違うかも知れませんが、僕の場合”音”を
聴くか”音楽”を聴くかと言う選択を脳内では無く、
スピーカーの選択(切替)でやってます^^
wooさん、こんばんは。
お手数をおかけしました m(_ _)m
それは中々斬新な手法ですね。でも、お使いの組のSPが物語ってますね。
僕もマジコのQ5が欲しいなんて思うこともありますが、やはり部屋が
必要になって妄想だけで済んでいます。
お手数をおかけしました m(_ _)m
それは中々斬新な手法ですね。でも、お使いの組のSPが物語ってますね。
僕もマジコのQ5が欲しいなんて思うこともありますが、やはり部屋が
必要になって妄想だけで済んでいます。
2011/06/29(水) 00:44 | URL | kaorin27 #-[ 編集]
kaorin27さん こんにちは。
示唆に富む、興味深いお話が次から次へと…。とてもコメントでは
書ききれないので、私のブログの記事にしました。よかったら、読んでく
ださい。それから、初めてリンクということをしてみました。kaorin27さん
の今回の記事を、私のブログにリンクしたのですが、こういうことは勝手に
やって良いのかどうか?わかりません。よろしかったら率直なところを
教えて下さい。トラックバックというのも、今だにちゃんと訳が分からず…(悲)。
示唆に富む、興味深いお話が次から次へと…。とてもコメントでは
書ききれないので、私のブログの記事にしました。よかったら、読んでく
ださい。それから、初めてリンクということをしてみました。kaorin27さん
の今回の記事を、私のブログにリンクしたのですが、こういうことは勝手に
やって良いのかどうか?わかりません。よろしかったら率直なところを
教えて下さい。トラックバックというのも、今だにちゃんと訳が分からず…(悲)。
こんばんは、
ブログ記事読ませていただきました。
あまり、大した事を書けていないので、立派な解説を
付けて頂いているようで恐縮です。
さて、リンクはこちらも貼っておきますので、そちらからも
お願いします。
トラックバックについては、実は私も良く判らずにまだ
したことがありません。
ブログ記事読ませていただきました。
あまり、大した事を書けていないので、立派な解説を
付けて頂いているようで恐縮です。
さて、リンクはこちらも貼っておきますので、そちらからも
お願いします。
トラックバックについては、実は私も良く判らずにまだ
したことがありません。
2011/06/30(木) 02:42 | URL | kaorin27 #-[ 編集]
kaorin27さん こんばんは。
一人の聴き手として、ある音楽とどうかかわったかということが
感じられる言葉は、その人が言葉を生業とするか否かに関係なく、
とても面白いものです。kaorin27さんや、メタボパパさんの言葉は、
墨が和紙に沁みるよに、私の心に何かを投げかけてくる。
『ガレキを掻き分けて会場に通った人々の吸っていた空気が
このレコードには記録されているはずです。』こういうものの
言い方に私は弱い。ふーむ。
本日、朝の地震は大丈夫でしたか?
一人の聴き手として、ある音楽とどうかかわったかということが
感じられる言葉は、その人が言葉を生業とするか否かに関係なく、
とても面白いものです。kaorin27さんや、メタボパパさんの言葉は、
墨が和紙に沁みるよに、私の心に何かを投げかけてくる。
『ガレキを掻き分けて会場に通った人々の吸っていた空気が
このレコードには記録されているはずです。』こういうものの
言い方に私は弱い。ふーむ。
本日、朝の地震は大丈夫でしたか?
こんばんは、
ご心配頂きありがとうございます。
私の住む長野市内はほとんど揺れも感じない状況でした。
今朝から、松本のお世話になったところへ片付けの手伝いに
行っておりました。
オーディオ店でもスピーカーが落ちたりテープデッキが
転がったりして少なからず被害がありました。
ご心配頂きありがとうございます。
私の住む長野市内はほとんど揺れも感じない状況でした。
今朝から、松本のお世話になったところへ片付けの手伝いに
行っておりました。
オーディオ店でもスピーカーが落ちたりテープデッキが
転がったりして少なからず被害がありました。
2011/07/02(土) 02:10 | URL | kaorin27 #-[ 編集]
こんばんは
フルトヴェングラーの運命(DGG)はもっともこの
ンを意識させる間(呼吸)を感じます。
お金のない聴衆がタバコと引き換えにチケットを
求めた。そんな演奏だと思います。
フルトヴェングラーの運命(DGG)はもっともこの
ンを意識させる間(呼吸)を感じます。
お金のない聴衆がタバコと引き換えにチケットを
求めた。そんな演奏だと思います。
こんにちは、コメントありがとうございます。
巨匠は、棒を上から下に振り下ろす時には「12回!」くねったそうですね。
さすがのBPOも出のタイミングが分からなくて、見事なアインザッツになったとか・・・
恐らく(半分)狙ってたでしょうから、やっぱり巨匠はモノが違います。
五味さんが軍隊時代に、極限状態の人はコメよりタバコを欲するとしていましたね。
そうゆうことなんでしょうねえ。
生への執着より、性への執着が強いってことですか、音楽も一緒ですね。
(シモネタじゃないですよ、「サガ」です。でも意味は同じです)
巨匠は、棒を上から下に振り下ろす時には「12回!」くねったそうですね。
さすがのBPOも出のタイミングが分からなくて、見事なアインザッツになったとか・・・
恐らく(半分)狙ってたでしょうから、やっぱり巨匠はモノが違います。
五味さんが軍隊時代に、極限状態の人はコメよりタバコを欲するとしていましたね。
そうゆうことなんでしょうねえ。
生への執着より、性への執着が強いってことですか、音楽も一緒ですね。
(シモネタじゃないですよ、「サガ」です。でも意味は同じです)
2011/07/03(日) 18:19 | URL | kaorin27 #-[ 編集]
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