終わりなき人間の「エイジング」
長嶋監督と松井さんの国民栄誉賞受賞で湧いた連休後半でしたが、昨日見たTV番組で偶然にしては余りに出来過ぎな一致がありましたのでつい記事にしたくなっちゃいました。
お二人の受賞によって改めて「師弟関係」とか育てることがクローズアップされましたね。
その中で監督は「松井君という選手は素振りによって作られた人ですよ。素振りは技術よりも自分自身を見つめる機会なのだ」とおっしゃっていました。
そして、昨日見た番組は 北野武さんのNHK-BS「たけし アート✩ビート」でゲストが宮大工棟梁の小川三夫さんでした。
小川さんは22歳で「法隆寺の鬼」と言われた伝説的宮大工、西岡棟梁の内弟子となります。
最初の一年は「TVも新聞も何も見ずに刃物を研ぎ続けなさい」と言われ、その研ぐ行為が大工としての自分を見つめ直すことができるのだそうで、今でも自身のお弟子さん達にはそのように教えており、仕事が終わった夜には黙々と刃物を研いでいるそうです。

夜更けまで刃物を研ぎ続けるお弟子さんたちと、じっと見守る棟梁。映像に残る長嶋・松井師弟と全く同じ光景です。
次は建物の話し
仏教建築の一つの美は屋根先の跳ね上がりにあることは間違いなかろうと思います。
その反り返しについて再建の済んだ薬師寺の西塔と修復を待つ東塔とを比較しての説明がありました。

ご覧の通り1000年の時は重力によって木材を下げて先端の反り返しをナマします。
ですから、建立の際には1000年分の下げ幅を予め読み込んで反り返しを付けるのだそうです。ピアノの調律師さんと同じことをおっしゃるのです。困ったものです。
エイジングは1000年でも続くということですね。
私も、いい音が出たからといって分かった風な気分にならずに、もう少ししつこく食い下がって見るべきだったと反省しきりです。
小川三夫さんについてはこのサイトで糸井重里さんと法隆寺見学しながら大変に興味深い話をされています。本当に良いサイトでしかも見ごたえたっぷり!
その中から1枚拝借

ある回廊の天井の造りで、飛鳥時代のオリジナルの箇所と平安時代に修復された箇所があります。
ご覧の通りです。平安時代にはすでに!!技術の伝承が途切れコストダウンが始まっていたということです。
Westren‐ElectricやKlangfilmにバカ値が付くのも頷ける話ではありますが、あまりにも・・・・

故西岡棟梁の使っておられた道具。
小川さんは「道具を見れば持ち主の技量がわかります」と言われました。怖い話ですがオーディオだって全く同じことが言えるだろうと思います。
写真では伝わりませんが、TVに映された道具の数々は稀代の名人の執念が染み込んだとてつもなく崇高で危険な兵器のような迫力がありました。
ここまでに成るには、いったいどれほどの時間と情熱を注いだのか?
さて、最後に西岡棟梁の言葉を載せておきます。
「力で切るんじゃなしに、ノコギリで切るということ、よういわれますわ。力入れて切ったらあかんちゅうて、ノコギリ自身が、おれはこんだけしかよう切らんというのをまず知ってやることですわ。」
これをオーディオに置き換えて自戒の言葉としてみました。
「力で鳴らすんじゃななしに、スピーカーが鳴るということ。よういわれますわ。力入れて鳴らしたらあかんちゅうて、スピーカー自身が、おれはこんだけしかよう鳴らんというのをまず知ってやることですわ」
スピーカーに限らずアンプでも部品一つでも同じことでしょうが、一流の機械なら私たちの能力では決して垣間見ることの出来ないくらい高い次元で鳴るのをまず肝に命ずることでしょうね。
その上であっちゃこっちゃ弄りまわして力づくで鳴らそうとせずに悠々と鳴りたいように鳴らしてやればいい。
このスピーカー(アンプ)はこの程度が限界だ。もっといいの(高いの)に買え替えなきゃいい音にならない。
なんて言い分は自分の限界をスピーカーに押し付けているだけなんだと自分が恥ずかしくなる教えでした。
ちっくしょー、今日から心を入れ替えてがんばるぞーー。
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お二人の受賞によって改めて「師弟関係」とか育てることがクローズアップされましたね。
その中で監督は「松井君という選手は素振りによって作られた人ですよ。素振りは技術よりも自分自身を見つめる機会なのだ」とおっしゃっていました。
そして、昨日見た番組は 北野武さんのNHK-BS「たけし アート✩ビート」でゲストが宮大工棟梁の小川三夫さんでした。
小川さんは22歳で「法隆寺の鬼」と言われた伝説的宮大工、西岡棟梁の内弟子となります。
最初の一年は「TVも新聞も何も見ずに刃物を研ぎ続けなさい」と言われ、その研ぐ行為が大工としての自分を見つめ直すことができるのだそうで、今でも自身のお弟子さん達にはそのように教えており、仕事が終わった夜には黙々と刃物を研いでいるそうです。

夜更けまで刃物を研ぎ続けるお弟子さんたちと、じっと見守る棟梁。映像に残る長嶋・松井師弟と全く同じ光景です。
次は建物の話し
仏教建築の一つの美は屋根先の跳ね上がりにあることは間違いなかろうと思います。
その反り返しについて再建の済んだ薬師寺の西塔と修復を待つ東塔とを比較しての説明がありました。

ご覧の通り1000年の時は重力によって木材を下げて先端の反り返しをナマします。
ですから、建立の際には1000年分の下げ幅を予め読み込んで反り返しを付けるのだそうです。ピアノの調律師さんと同じことをおっしゃるのです。困ったものです。
エイジングは1000年でも続くということですね。
私も、いい音が出たからといって分かった風な気分にならずに、もう少ししつこく食い下がって見るべきだったと反省しきりです。
小川三夫さんについてはこのサイトで糸井重里さんと法隆寺見学しながら大変に興味深い話をされています。本当に良いサイトでしかも見ごたえたっぷり!
その中から1枚拝借

ある回廊の天井の造りで、飛鳥時代のオリジナルの箇所と平安時代に修復された箇所があります。
ご覧の通りです。平安時代にはすでに!!技術の伝承が途切れコストダウンが始まっていたということです。
Westren‐ElectricやKlangfilmにバカ値が付くのも頷ける話ではありますが、あまりにも・・・・

故西岡棟梁の使っておられた道具。
小川さんは「道具を見れば持ち主の技量がわかります」と言われました。怖い話ですがオーディオだって全く同じことが言えるだろうと思います。
写真では伝わりませんが、TVに映された道具の数々は稀代の名人の執念が染み込んだとてつもなく崇高で危険な兵器のような迫力がありました。
ここまでに成るには、いったいどれほどの時間と情熱を注いだのか?
さて、最後に西岡棟梁の言葉を載せておきます。
「力で切るんじゃなしに、ノコギリで切るということ、よういわれますわ。力入れて切ったらあかんちゅうて、ノコギリ自身が、おれはこんだけしかよう切らんというのをまず知ってやることですわ。」
これをオーディオに置き換えて自戒の言葉としてみました。
「力で鳴らすんじゃななしに、スピーカーが鳴るということ。よういわれますわ。力入れて鳴らしたらあかんちゅうて、スピーカー自身が、おれはこんだけしかよう鳴らんというのをまず知ってやることですわ」
スピーカーに限らずアンプでも部品一つでも同じことでしょうが、一流の機械なら私たちの能力では決して垣間見ることの出来ないくらい高い次元で鳴るのをまず肝に命ずることでしょうね。
その上であっちゃこっちゃ弄りまわして力づくで鳴らそうとせずに悠々と鳴りたいように鳴らしてやればいい。
このスピーカー(アンプ)はこの程度が限界だ。もっといいの(高いの)に買え替えなきゃいい音にならない。
なんて言い分は自分の限界をスピーカーに押し付けているだけなんだと自分が恥ずかしくなる教えでした。
ちっくしょー、今日から心を入れ替えてがんばるぞーー。
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コメント
うーむ 名言ですなあ 耳が痛いわ
ところで質問
C8の電源供給としてMC225を使おうとしたらC8のランプすら灯きません。今の手持ちの225が不良なのか、或いはMC225の時代には単なる電源SW連動だけになっているのでしょうか?
やっぱMC30辺りを確保しないといかんもんでしょうかしら?
ところで質問
C8の電源供給としてMC225を使おうとしたらC8のランプすら灯きません。今の手持ちの225が不良なのか、或いはMC225の時代には単なる電源SW連動だけになっているのでしょうか?
やっぱMC30辺りを確保しないといかんもんでしょうかしら?
2013/05/12(日) 12:33 | URL | mambo #n9Bk/wZI[ 編集]
ご無沙汰しています。
現在こちらに来ている物などの細かい日程などはメールにて・・・
で、MC225ですがNETにある回路図をちょっと覗きましたが、そこにはプリアンプ用の電源供給の端子(接点)が見えませんでした。
225の時代にはプリアンプもみんな電源を背負うようになっていたのでしょう。
ヴァージョンなどで差があるかもしれませんが、スピーカー端子脇のGTソケットは500Ωラインの出力でしたのでそれでしたらプリは動きません。
C8だと6.3V(ACまたはDC)と300VほどのDCが必要です。
確かにMC30にはプリへの電源供給のソケットがありました。
おそらく、外部電源(大して規模は大きくない)か古い時代のアンプ(の必要があればですが)から電源を取る必要がありますね。
現在こちらに来ている物などの細かい日程などはメールにて・・・
で、MC225ですがNETにある回路図をちょっと覗きましたが、そこにはプリアンプ用の電源供給の端子(接点)が見えませんでした。
225の時代にはプリアンプもみんな電源を背負うようになっていたのでしょう。
ヴァージョンなどで差があるかもしれませんが、スピーカー端子脇のGTソケットは500Ωラインの出力でしたのでそれでしたらプリは動きません。
C8だと6.3V(ACまたはDC)と300VほどのDCが必要です。
確かにMC30にはプリへの電源供給のソケットがありました。
おそらく、外部電源(大して規模は大きくない)か古い時代のアンプ(の必要があればですが)から電源を取る必要がありますね。
2013/05/12(日) 23:35 | URL | kaorin27 #-[ 編集]
教えて頂いた、法隆寺のサイト楽しく拝見しました。感心する所も多かったのですが、薬師寺の西塔に関してだけはあれはおかしいと思っています。拙ブログに感じる所をまとめました。異論が御気に触ったら御免なさい。
kawaさん こんばんは
ブログ記事拝見しました。改修をしたのは私ではないので西岡棟梁に変わって気分を害する立場にはありませんし、対象が1300年前に起こったことなので正解は明言できないので色々な考え、アプローチがあるのもまた当然のことと思います。
伝統工法素人の自分がこの傾斜の話を最初から納得できたのには二つの下地がありました。
一つ目は現存する東塔は創建時より何mか背が低い、つまり木材が詰まったという話を聞いたとき。なるほど木材ってのは長い時間で随分と変化するんだと思った・・・実家の1階の襖がキツくなった時大工さんに直してもらったことを思い出した。
二つ目が正月休みに唐招提寺金堂の修復事業をBS放送で見たときに、同じく軒先の垂下が克服すべき課題になっていて苦労していたのを見ていた。その時の要旨は http://www.takenaka.co.jp/solution/purpose/traditional/service07/index.html に。
それで、軒の突き出しが大きくてまるでヤジロベエのようだと言われる塔の構造ならばさにあらん。と考えた訳です。
そちらのブログを読ませて頂いた中でひとつ感じたことですが
kawaさんの記事と、自分のこの記事に書いてしまった共通して遺憾なことがありました。
「建立の際には1000年分の下げ幅を予め読み込んで反り返しを付けるのだそうです。」が間違いでした。
そちらでは
「彼の言い分は東塔だって千年を掛けてあそこまで垂れて来たのだ、新築時にはこれから千年の垂れを読み込んで置くモノだ」のところです。
これは、西暦2013年の人間しか考えないことです。
今から1300年前、奈良時代にこの塔を作った大工さんたちはこの塔が何年間立ち続けるかも分からず(というか興味がないはず)まして、軒は下がるだろうけれど1300年後に何m下がるなんて全く考慮せずにただその時点でのデザインなのか建築様式の決まり事に従って建てたはずです。いや、これはあえて言い切ります。 いつか補修の時期が来るだろうけれど、まさか1000年も持つなんて思ってもいなかったんじゃないかしら?その前に多分1000年なんて時間を想像もできないでしょう。太陰暦で過去の歴史書も大工さんには関係ないし文字を書ける人も少なく平均寿命は30歳くらい?の世の中ですよね。
kawaさんだって突き出した軒が、雨も振れば晴れの日もある。地震だって多い日本で1300年も立っていれば、何mかは別にしても幾らかは先が垂れるのは当たり前だと思うでしょう?
そうですよ、奈良の大工さんの思いには関係なく自然現象として垂れただけなんです。
西岡棟梁は図面や技術で建てるんじゃなくて現場の大工のカンが最終的にものをいう。と言ったそうです。
そのカンていうのは、奈良時代の最初に作った大工さんが軒の傾斜を決めたときも「経験や勉強」や「カン=センス」で導き出したカーブで建立したことでしょう。
てことになれば、昭和に再建するときには時の棟梁が「カン=センス」で決めるのは極めて正当で正統な選択ではないでしょうか?
その時点で昔の宮大工の伝統を一番身近に継承し、それを決定するに相応い人が西岡棟梁だったのかも知れません。
だから棟梁はこの塔ならこの反り返りで一番いい。と決めて良いはずです。日本建築の伝統に従ってね。任したのだったら思い通りにやればいいんです。
今後1000年で何m沈むなんてことは今の時点ではどうでもいい事なんです。どの道、幾らかは沈むのだからその時に必要なら調べればいい。
ということで、記事の記述を私はここで訂正します。
西岡棟梁はどうだいカッコいいだろうと西塔を建てた。と
東塔も建てた当時はこのくらいカッコ良かったんだろうよ。でも、1300年経ってるからいまくらい軒先は沈んじゃってるんだよね。
従って、RIAAカーブを決めるEQや、ピアノの調律師さんのように最初から望む結果に対してずらしておいて入ると言うことの例えとしては不適切な例でした。
2013年に生きてる人間こそが歴史の最先端であって自分が現象の理由を決めるなんてのは思い上がりでした。
1000年前から立っている建物があって、今があり、また今後1000年の時を刻むその悠久の時の流れの中の今はほんの一瞬でしかないのです。ある時点で出来る一番いいモノを作って、経時変化や痛みがあればまたその時に一番良い方法で修理したり再建する。その繰り返しです。
お詫びして訂正いたします。
昭和56年の時点で西岡棟梁に再建を依頼して現在の西塔があることは個人的には良かったと思います。
と言うか他に誰が居たのかという事に答える能力がありません。
これがいま時点の自分で考えうる思いです。また勉強します。
ブログ記事拝見しました。改修をしたのは私ではないので西岡棟梁に変わって気分を害する立場にはありませんし、対象が1300年前に起こったことなので正解は明言できないので色々な考え、アプローチがあるのもまた当然のことと思います。
伝統工法素人の自分がこの傾斜の話を最初から納得できたのには二つの下地がありました。
一つ目は現存する東塔は創建時より何mか背が低い、つまり木材が詰まったという話を聞いたとき。なるほど木材ってのは長い時間で随分と変化するんだと思った・・・実家の1階の襖がキツくなった時大工さんに直してもらったことを思い出した。
二つ目が正月休みに唐招提寺金堂の修復事業をBS放送で見たときに、同じく軒先の垂下が克服すべき課題になっていて苦労していたのを見ていた。その時の要旨は http://www.takenaka.co.jp/solution/purpose/traditional/service07/index.html に。
それで、軒の突き出しが大きくてまるでヤジロベエのようだと言われる塔の構造ならばさにあらん。と考えた訳です。
そちらのブログを読ませて頂いた中でひとつ感じたことですが
kawaさんの記事と、自分のこの記事に書いてしまった共通して遺憾なことがありました。
「建立の際には1000年分の下げ幅を予め読み込んで反り返しを付けるのだそうです。」が間違いでした。
そちらでは
「彼の言い分は東塔だって千年を掛けてあそこまで垂れて来たのだ、新築時にはこれから千年の垂れを読み込んで置くモノだ」のところです。
これは、西暦2013年の人間しか考えないことです。
今から1300年前、奈良時代にこの塔を作った大工さんたちはこの塔が何年間立ち続けるかも分からず(というか興味がないはず)まして、軒は下がるだろうけれど1300年後に何m下がるなんて全く考慮せずにただその時点でのデザインなのか建築様式の決まり事に従って建てたはずです。いや、これはあえて言い切ります。 いつか補修の時期が来るだろうけれど、まさか1000年も持つなんて思ってもいなかったんじゃないかしら?その前に多分1000年なんて時間を想像もできないでしょう。太陰暦で過去の歴史書も大工さんには関係ないし文字を書ける人も少なく平均寿命は30歳くらい?の世の中ですよね。
kawaさんだって突き出した軒が、雨も振れば晴れの日もある。地震だって多い日本で1300年も立っていれば、何mかは別にしても幾らかは先が垂れるのは当たり前だと思うでしょう?
そうですよ、奈良の大工さんの思いには関係なく自然現象として垂れただけなんです。
西岡棟梁は図面や技術で建てるんじゃなくて現場の大工のカンが最終的にものをいう。と言ったそうです。
そのカンていうのは、奈良時代の最初に作った大工さんが軒の傾斜を決めたときも「経験や勉強」や「カン=センス」で導き出したカーブで建立したことでしょう。
てことになれば、昭和に再建するときには時の棟梁が「カン=センス」で決めるのは極めて正当で正統な選択ではないでしょうか?
その時点で昔の宮大工の伝統を一番身近に継承し、それを決定するに相応い人が西岡棟梁だったのかも知れません。
だから棟梁はこの塔ならこの反り返りで一番いい。と決めて良いはずです。日本建築の伝統に従ってね。任したのだったら思い通りにやればいいんです。
今後1000年で何m沈むなんてことは今の時点ではどうでもいい事なんです。どの道、幾らかは沈むのだからその時に必要なら調べればいい。
ということで、記事の記述を私はここで訂正します。
西岡棟梁はどうだいカッコいいだろうと西塔を建てた。と
東塔も建てた当時はこのくらいカッコ良かったんだろうよ。でも、1300年経ってるからいまくらい軒先は沈んじゃってるんだよね。
従って、RIAAカーブを決めるEQや、ピアノの調律師さんのように最初から望む結果に対してずらしておいて入ると言うことの例えとしては不適切な例でした。
2013年に生きてる人間こそが歴史の最先端であって自分が現象の理由を決めるなんてのは思い上がりでした。
1000年前から立っている建物があって、今があり、また今後1000年の時を刻むその悠久の時の流れの中の今はほんの一瞬でしかないのです。ある時点で出来る一番いいモノを作って、経時変化や痛みがあればまたその時に一番良い方法で修理したり再建する。その繰り返しです。
お詫びして訂正いたします。
昭和56年の時点で西岡棟梁に再建を依頼して現在の西塔があることは個人的には良かったと思います。
と言うか他に誰が居たのかという事に答える能力がありません。
これがいま時点の自分で考えうる思いです。また勉強します。
2013/05/19(日) 03:23 | URL | kaorin27 #-[ 編集]
何より真摯なご返答有り難う御座います。それから唐招提寺の金堂と伽藍が好きで、今度の工事では明治に入れた屋根トラスを止めると聞いていましたが、本来の浅い屋根に戻したかが判らなかったのですが、御蔭で屋根のシルエットは戻していない事も知る事が出来ました。仰る通り、奈良の棟梁も江戸、明治の棟梁も経年変化は承知していても出来た形が何年持つか(或は持たせる必要があるか)までは読み切れてはいなかったのでしょう。その時点での最善を尽くして後世の判断を待つのも歳を刻む一つの手だとは言える気がします。
kawaさん、こんにちは
素人の妄想に付き合っていただきありがとうございます。
オーディオの世界でも30年振りにメディアのイノベーションが有って「最新=最高」と自分で考えも判断もできずただ妄信的に唄ううつけ者がいますが、また30年も経てば今のメディアの価値はなくなり録音された音楽だけが残るのになあと淋しい気持ちになります。
時代時代それぞれに最新と最先端があり、そこから残った物には意味ありと敬意を払えないといけませんね。
年月というフィルターに耐えるのはそれに相応しい物だけですからこそお寺さんは戦火や地震を生き延びて来たのですよね。それはある意味、守り育んできた人々の総意である訳です。
オイロダインだって1950年には最新機種だったっちゅうの!そして、今でも高いぞ。です。
素人の妄想に付き合っていただきありがとうございます。
オーディオの世界でも30年振りにメディアのイノベーションが有って「最新=最高」と自分で考えも判断もできずただ妄信的に唄ううつけ者がいますが、また30年も経てば今のメディアの価値はなくなり録音された音楽だけが残るのになあと淋しい気持ちになります。
時代時代それぞれに最新と最先端があり、そこから残った物には意味ありと敬意を払えないといけませんね。
年月というフィルターに耐えるのはそれに相応しい物だけですからこそお寺さんは戦火や地震を生き延びて来たのですよね。それはある意味、守り育んできた人々の総意である訳です。
オイロダインだって1950年には最新機種だったっちゅうの!そして、今でも高いぞ。です。
2013/05/20(月) 18:56 | URL | kaorin27 #-[ 編集]
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