物の価値 と もののあはれ

たかがオーディオの話(どれほど高額品でもオーディオ製品はマスプロダクトに変わりない)に対する例えとしてゴッホの絵画を持ち出すのは恐れ多いのだけれど、
ゴッホの作品を今日手入しようとしたら一体どれほどの札束が必要だろうか?一般庶民には想像もできない額だろう。
しかし、生前には1枚しか売れなかったと逸話に伝わっている。

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『療養所の庭』入院中に自らの耳を切り落としたと言われている病院の中庭を描いた作品、なんだかなあ。

ゴッホの作品が高額なのはもう既に揺るぎないことだから、時と場面によっては芸術的な価値や物としての価値が額面通り経済的価値にリンクしていないことは明白だ。



中学校の時に学友にTVセットからスピーカーを取り外してもらった時から数えるともう40年も「音の出るからくり」をいじってきた。
その時間の中で、唯の一度も交わっていないカテゴリーの品があり、それはいわゆる「自作アンプ」です。
過去に、AD-1を入手した時にTelefunkenの回路によってアンプを自ら製作したことがあるが、これは完全な複製を目指したのであって自分の創意工夫は皆無であり到底自作と呼べるものではなかった。つまり誰が作っても同じものができたから、作り手が私である必要がないという意味。

また、これまで欧米の古い業務用機器を中心にメンテや修理を行いたまに修理依頼も受けてきたが、自作品や個人製作のガレージと言われる製品については例外なく仕事をお断りしてきた。

****例え小規模でも企業の体制がある会社はその対象になりません、尤もサービス体制が整備されているので最初から私のような個人には持ち込まれてこないのです。そうしたところはメーカーでありガレージとは呼びません****




長いことブレずに来た私ですがこの夏に一度だけ、どうしても断りにくい状況に追い込まれ(汗)迂闊にも!!お受けしてしまった一組のアンプセットがありました。

それからは苦行の連続でした。筐体設計なんてものは概念からして存在しないのでしょう。
幾つかの部品を外さないとつかえてしまって基板そのものがシャーシから取り外せないのです。
さらに制作後も仕様変更に次ぐ仕様変更があったようで、後付けの部品がまたいい感じに邪魔をしてくれます。

その上、幾つかの部品はお手製の「特注品」だか「特製品」のオンパレードで相当数が経年劣化による使用不能の状態でしたが、現在入手しうる部品の中から何を選べばいいのかわかりません。

・・・その後も悲劇は次々と襲ってきましたが、思い出したくないので割愛します。


さて、ずっと遠ざけていたガレージ製品が何故私のところに依頼が来たのでしょう?

その社の創業社長であり唯一の社員でもある方が数年前から体を悪くされて入院生活となり復帰は難しい、一応修理の依頼先は決められているようですが、なんとも心もとないということでした。


その話を聞いて、ハタと思いました。

このアンプのことを知ろうと80年代のステレオサウンド誌を幾つか探していて恐ろしいことに気づいちゃったんです。
皆さんも30、40年前のオーディオ雑誌があったら見てください。そこにはたくさんの広告がありますでしょう?
そのうち、現存しているメーカーが幾つあるか数えてみたことありますか? 背筋が凍ります。

私思うんですけれど、今は亡きガレージメーカーの製品を買った人たちはよく暴動とか起こさないなあ!って。
修理サービスはどうしているのかなあ? 下取りどころか処分にお金を取られちゃうんじゃないかしら?

結局の所、メーカーの寿命も短いけれど、ユーザーの使用期間はそれ以上に短時間ですぐに買い替えちゃうから問題が起こらないのでしょうね。新しもの好きの日本人の購買衝動を逆手に取った見事なマーケティングです。
私個人としては「売り逃げ」のような企業姿勢はどうかと思いますがね。

いつも言いますが、ハッセルブラッドやライカのように経営者は変わっても時代が移っても
70年前に買ったカメラやレンズが今日でも当たり前に使えることの方が素人目に映る「性能向上」よりも余程大切なことのように思えて仕様がないんです、しかし極東の島国ではそんな呑気な商品開発を許してはもらえないようです。



このアンプを例にとって、製作時のポリシーを紐解くと
・ちょっとやそっとじゃバラせない作り方
・専用部品、特注部品だとオーナーは威張って言うが、ストックや代替品はない
・製作者しか理解できないような奇々怪界な回路

一言で言ってしまうと「売りっぱなし」感覚なんでしょうね。
修理しても長く使おう、どころか修理したり部品交換することも想定されていない。悪意があるわけでなくとも結果的にはユーザーベネフィットは皆無と言えるでしょう。

個人的に何が一番気に入らないかと申しますとね、
「音をよくするために」が金科玉条となって、自分が(大抵は勝手な妄想で)思い込んだからにはそれ以外は何を犠牲にしても許されるという感覚そのものなんです。

だから「特製部品」にはコストをかけたのでしょう、しかし筐体や構造部品は近所のパーツ屋で扱う中でも一番安い程度の部品しか使われていません。極端にバランスの崩れた構成なのです。

だからといって小さなメーカーが悪いのでないことは当たり前、ライツ社だって偉大なるZeiss社に比べれば吹けば飛ぶような町工場がスタートですから。
すべては頭の中身=企業理念や姿勢の問題をいっているわけで、誤解を恐れずに述べるなら「音のために」モノつくりしていると表に出している処はしっかりと中身を確認すべき場合が多いような気がします。


もちろん、責任は1000%買った側にあります。

その時点だって何時だって選択肢は沢山ある中で自分自身が選んだのですから。

それは一点の曇りもない!


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すみません、画像を貼り違えたので訂正しておきます。
こちらは「夜のカフェテラス」  いくら 大好きでお金があっても買ってはいけないモノってあるべきだと思うんです。
この作品に負けないだけの人物にならなければ、だた「持っている」だけでは何の意味もないでしょう。 


そんなことを考えていたある日、Yahoo!オークションを覗いていたら
自作アンプって結構な値段がついて取引されているんですね、本当にびっくりしました。

何より、隣あわせで出品されていた黄金期のアメリカ製の名器アンプより高いビットがついていた物があったのです(落札価格は知らない)
「自作」カテゴリーがいけないと言っているのではありません、しかし
中には恐れ知らずにアンプの内臓(配線側内部)写真を掲載しているものもあり、使用部品代金の総計と出品価格との疑問はもちろん
お世辞にも上手とは言い難い配線や部品の取り付け状態のものもビットされているのです。
真空管パワーアンプは300v150mA程度を扱うものなのに怖くないのでしょうか?

物の価値(対価)ってなんだろうと思いました・・・結局はその人の脳が作り出しているんです価値(判断)は。

もちろん購入者の好みで何を買っても構わないんですが、買うものが対価にふさわしい価値を有するものか判断できなければ将来的には疑問が生じることもあるかもしれません。


話を先頭に戻すと
ゴッホを買う人はそれが本物か?偽物か?の判断がつかないのならゴッホを所有する(少なくとも芸術的には)意味を持たないということです。
だから人間は一生勉強が必要なのでしょう。



このお話は次回に続く







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コメント
たまちゃんの富士山の絵は欲しいのですが自分がそれに見合うものになっていません ですから飾りのない部屋 ものが少し多い せめてものだけでもなくしていきたいと日々努力しています 精神修行です モノがなくなる日はいつになるか そのとき芸術が考えられると思います♪
2015/12/04(金) 11:08 | URL | SEED #QqN1CBuw[ 編集]
スピーカーが5割でアンプが3割プレーヤーが2割・・・・なんて話を聞きますが

人生から見たらスピーカーは3%くらいでアンプは2%くらいです(これでも多すぎ)
オーディオバカでない人の方が良い音を出しているのは、永遠の謎です
2015/12/06(日) 16:06 | URL | kaorin27 #-[ 編集]
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