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良い音ってなんだ (彼の見ている海)

平成10年の8月8日 
29歳の若さで一人の青年はその生涯を閉じた。
幼くしてネフローゼを患い闘病の29年であった。

「ぜったい名人になるんじゃ」
大きな夢を抱き、その才能は将棋会を震わし第一人者羽生名人をも驚愕させた。

「怪童丸」 村山 聖(さとし)八段
29年の魂の軌跡を綴った「聖の青春」 講談社刊 は何度読み返しても涙を禁じ得ない私の愛読書です。
DSC02161.jpg
聖がプロ棋士になりたての頃、目標としていた谷川(当時)名人に一蹴されたが彼は敗北を受け入れ、いよいよその挑戦意欲を高めていった。

平成元年1月 聖は、棋界の超新星 羽生善治との初対局を戦った。
「何て、強いんだ・・・・・何て、強いんだ」
年度が変わり9月に再戦がついた。

「同じ浜辺に座り将棋という海を見ていたはずだった。その海を谷川はより深く潜り、そして自分もそれに負けないくらいにより速く、より深く、そしてより長い時間息を止められているように、努力を重ねてきた。」そして思った。
羽生の見ている海は違う。彼は自分が見ていた景色とはまるで違うものを見ている
本文より抜粋
その後、聖は血の滲む様な努力を重ね、羽生現名人に対しても互角以上の星を残すようになりました。
逕サ蜒・057_convert_20090714180019ダイナミックで希望に溢れた海だったに違いない。


前置きがかなり長くなって恐縮ですが、実はこの一節を読んで私は「良い音」の認識を始めて持てたのです。

オーディオを始めて以来、沢山の方に我が家を訪ねて頂いたり、また先方にも寄せて頂きました。
それらの時々に、隣で聴いている人と自分自身が、別々のシーンで感動したり、首を捻っていることを不可思議に感じていました。

その頃は「良い音」という絶対評価が存在し、オーディオマニアと呼ばれるからにはその絶対神に近づくことだけが唯一の存在意義だとでも思っていたのでしょう。
そして、愚かにも自分だけが近道を歩んでいると思い上がり、自分と違う音に理解を示すことが出来ませんでした。


その後、より多くの方々とお付き合いをさせて頂き、新たな感覚を覚えるようになったのです。
一例を挙げますと、
☆.私の家で「高音が強い」との感想を述べられた方のお宅へ行くと、私には「高音不足」に感じる
   その逆も当然ある。
高低のバランス一つをとっても、人それぞれ感覚は異なるようです。

オーディオは経験を積むと極微細な変化でも気付くようになりますから、結局のところ、
本人も気付かない間に、自分の耳の癖を反映した音に自室の装置を調整しているのでしょう。
自分の装置の音が具合が良くないと悩んでいる時でも、他のお宅の音を聴いて帰ってから聴き直してみると、「やっぱり落ち着くなあ」と思えるのも当然のことと思います。

人々はそれぞれ違う海を見てオーディオを聴いているのです。良い音は、その人の中に存在します。(なんだか聖書のようですが)
オーディオは自分の海に、より深く、より長く潜るゲームなのでしょうね。

そして、最も大切なことは、聴く力を身に着けることだと考えています。
(評論家さんの真似事で部品の評価をしたり、他人の家の音に点数をつけるような、俗に言われる「凄耳」という意味ではありません。)
美しい演奏や音を、美しいと感じる心とでも言いましょうか。

その人の家で鳴る音のクオリティは、その人が聴くことのできる音のクオリティを上回ることはありません。
駆け出しの頃、大先輩の音を聴いても全くピンとこなかった経験をお持ちの方は沢山いると思います。
その「凄さ」(或いは自然さ)を理解できなかった為です。

もし、我が家の装置が、突然とんでもないハイクオリティな音を出したとしても、その凄さを理解できない私たちは、自分の理解できる範疇のクオリティへ落としてしまうだけなのですから。

DSC01573.jpg
蓄音器の良さは、聴く力がなければ解りませんね。F特は狭いし、S/N比なんて最悪!オーディオ的な評価だけなら、存在価値は皆無です。



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コメント
小生は囲碁をするのですが、ルール5分、上達一生のゲームです。
この世界、達人の上にはさらに達人がいます。おっしゃるとおり上手は下手と違う全く別の海を見ています。でも目指すことは明快です、地を少しでも多く取れば勝ちです。

でもオーディオの目指すところはゲームと違ってそれほど明快ではないですね。万人が認める良き再生音というものもあるといわれればそうかもしれないし、個人の好みでいけばといわれればそれも正解みたいですし。

目指すゴールも多種多様、玉石混合です。プロが自分で弾いたピアノの録音を自宅で聞くためのオーディオ、日曜大工好きが洒落たSPボックスを作ってウイスキーを飲みながら音を出すオーディオ、アンプ作りがナス管にこだわって作るアンプもオーディオ。オペラシティで聞いたオペラの録音盤CDを会場出口で買い、帰宅後、生の記憶と比較するためのオーディオ

音楽好き、サウンド好き、工作好き、骨董品好き、オペラ好きも立派なオーディオファンです。でもみんな自分の人生の中で磨かれた大好きな、大事な音を頭の中に持っていて、それに少しでも近い音を出したいと汗水流して、大枚はたいて、家庭争議起こして、努力していますね。そして自分の好きな音を他人にも理解してもらいたいと思っています。

こんな趣味を一言でいえば「道楽」でしょうか。自分の価値観を他人と共有できない趣味、まさしく「道楽」の境地でしょうか、すこし悲しくなりますね。

登り窯、お疲れ様でした。
2009/07/14(火) 20:55 | URL | kunitan #SFo5/nok[ 編集]
いつも、ご丁寧なコメントありがとうございます。

仰る通り、同好の士には解ってもらいたい、できたら褒めてもらいたいと思うのがマニアの心情ですね。
全く同じ音を共有できないことは致し方なしとして、別の個性に共感し、尊ぶことが大切なのかなと思います。少し補足して記事を書く心算です。
ま、そのへんのところの弱いことがマニアの性ってやつで困っちゃうんですけど。

そうですね、ゲームをプレイする。と書くと「遊戯を遊ぶ」になってしまいますね。
英語のまま書かなければいけませんでしたね。すみません。

海外の五輪選手が「GameをPlayすることをEnjoyする」という表現(参加する喜びを感じながら一生懸命競技します。ってことですよね)を使いますが、日本の若い選手が「五輪を楽しんできます」等と勘違いをして発言したら、世論から「真面目にやれ」なんて怒られていました。私も外来の言葉は使い方を慎重にしなければいけませんでした。

私は人生も、オーディオも 「Play the Game」に徹したいと考えています。
辞書の文例を引くと 「規則に従ってりっぱに競技する。堂々と振舞う」と出てきます。
ちょっと、カッコ良すぎましたね。v-398 
2009/07/15(水) 17:16 | URL | kaorin27 #-[ 編集]
あまりに気恥ずかしいコメントでしたので、ちょっと言い訳をさせて頂きます。

正々堂々と生きると言うよりは、もう少し日本語のゲームに近い感覚でいきたいです。

十返舎一九やベートーヴェンの辞世の句を読むたびにあの人たちって、あんなに苦労をしたように(人間だれでも苦労をしているのしょうが)見えるのにゲームとして人生を感じていたのかなと思ってしまうところがあります。
まさに、刹那の夢ということでしょうか。

オーディオどころか作曲活動を通じてあれだけの作品を残した人の最後の言葉が
「諸君、喜劇は終わった」
ですから・・・敵いませんね。
2009/07/15(水) 17:56 | URL | kaorin27 #-[ 編集]
所詮、人生はゲーム、と達観して酒を飲んで暮らしたいですね(^-^)/
2009/07/15(水) 21:57 | URL | kunitan #SFo5/nok[ 編集]
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